はてなキーワード: イタリーとは
聞き流してくれ。
夕張は原種は厳重に管理してるということになってて、その他の赤肉メロンとは違うということを言い張ってるが、夕張の隣の穂別町のほうが美味いと評判。
どこで育てられたとしても松坂の屠畜場で処理されたら松坂牛になる。
静岡茶、宇治茶、狭山茶が三大銘茶ってことになってるけど、生産量的には静岡県、鹿児島県、三重県の順。
奈良県とか三重県で作っても宇治茶ってことになってるから宇治茶は嘘ではないかもだが、狭山茶なんて流通量のわずか。
最終加工かパッケージだけ。
自社加工してても原料は仕入れ。
観光牧場はだいたいそう。
搾りたての牛乳は美味しいとかソフトクリームが美味いとか、それ全部気のせい。
牧場ってのは牛っていう生産機械が展示されてるようなもんなので、見る人が見れば、そこから生産される生産量も牛乳の品質もすぐわかる。
野暮だからみんな言わないだけ。
最終加工地としては嘘じゃないが、子豚はみんなデンマークから輸入してる。
森でドングリ食べで育ってるとか嘘に決まってるだろ。
中国のEVは不当に補助金を貰ってて市場を破壊するからけしからん!関税!関税!
って言ってたのはEUでもドイツ以外の国で、当のドイツ車はEVまで中国生産で実のところセルフ制裁。
やっとセルフ制裁に気づいたので、トランプ関税には反対してるという感じ。
熟練した職人がロゴをつけたりパッケージすればメイドインフランス、メイドインイタリー。
カバンとか財布なんかどうでもいいけど、医薬品とか医療機器とかもこの理屈って大丈夫なんかな?
中国から仕入れてパッケージ、受入試験と出荷試験に品質保証責任者のサインを入れたら、最高の品質が保証される品質マネジメントシステムって詐欺だと思うぞ。
話が逸れた。忘れてくれ。
だいたい、国別で一位が中国、二位がアメリカなんだけど、中華系とインド系ばっか。
ほぼネパール人
半年くらいアメリカに住んでいる女性と話して、実際にアメリカに行って聞いたり見たりして学んだ
アメリカは多様性の国、人種のサラダボウルなんて言われている。日本人はうっすらと、黒人も白人もアジア人もごちゃまぜに、恋愛したり働いてる、と思いがちだ。
しかし実際に行ってみると、違うことに気付く。人種のサラダボウルではなく、スーパーのように陳列されまとめられている。
どういうことか。具体的に言えば、街、職業、店、カップル、仲良しグループ、それぞれがそれぞれの人種でまとめられているのである。
たとえば職業。基本的に屋台や土木といった底辺として扱われる職業は、中東系、ヒスパニックでまとめられている。
レストランやホワイトカラーの職業は、基本的に白人。知的階級の黒人やインド人なども、ちらほら見かける。
土地もそうだ。リトルイタリーやチャイナタウンはよく聞くが、ユダヤ系が住む地域、アジア系が住む地域と分けられている。
高級レストランの客層は白人で固められていて、そえでなくてもグループで食事してる人は大体同じ人種。
高級で洗礼された場所は白人が行き、ピザやジャンク系は中東系やアジア系、黒人が集まる。
現地の小学生も、黒人・アジア系と白人の集団に分かれている。混ざってないのだ。まるでスーパーのように、同じ種類、同じ品種でまとめられており、品揃えが多いだけだ。人種のスーパーだ。
恋愛についても同じことが言える。白人は白人と、中東系は中東系と、アジア人はアジア人と付き合う。
よく「日本人女性(アジア女性)はアメリカでモテて、日本人男性(アジア男性)はモテない」と聞くのではないか?(『日本人女性』がモテてたのは1980年代の話だ。金持ち白人が日本人女性を妻にするのがステータスだった。今はアジア人女性で括られている)
女性は、白人女性>黒人女性≧アジア人女性≧中東・ヒスパニック系
でカーストが分けられている。
ここまで聞くと、アジア人男性は誰と付き合えばいいのか?となるかもしれない。
しかし実際に街を歩くと、アジア人はアジア人と付き合っている。何故か。
恋愛も含め、「人種カースト」は「人種カースト」だからである。つまり非合理な階層に過ぎない。
男が女に若さや女らしさ、綺麗さを求めるように、女は男に大人っぽさ、男らしさ、逞しさ(金)を求める。
白人も、黒人も、中東含むアジア系、ヒスパニックも、トップ層は大差ない。同様に男らしく魅力的なのである。
例えばアジア人女性の中で恋愛カーストトップのアジア人女性が、白人のトップ層と付き合おうとすると何が起きるか?
セフレ止まりである。現地のアジア人女性もそれを理解している。
憧れの白人と付き合えても、トップ層とは付き合えない。白人の中の「イケてないやつら」と、恋愛トップの自分が付き合うことになるのである。
その他恋愛に対する文化の違いも相まって、結局同じ人種で付き合うのが、自分の価値を最大限活かせる取引材料となるのだ。
ともかく、外国人と付き合いたい日本人男性はアメリカではなくヨーロッパに行くべきだ。
中東系と付き合いたい人はアメリカは良いかもしれない。アメリカだと美人でも中東系というだけで下に見られている。
アメリカの女性は日本人女性より奢られ思想が強く、かといって女性として魅力になろうとかなにかしてあげようとか全く考えない上に、アジア・中東ヒスパニック人種に対してかなり見下した思考を持っている。
ヨーロッパにいけ。
反対意見がある人や違うよ!って人は教えてね
かなり謎。
ソーシャルディスティニーじゃなくても、散々広がったら感染力が弱くなって患者から他の人に移る確率がどんどん減っていくのが常道だって聞いてたので。
イタリーのハグキス乱発も、ガンガンやりまくってるうちにその程度じゃ伝染らなくなる菌になるんだと思ってた。
どうもそんなことはないようすで、実際に物理的に距離を置かないかぎり伝染ってしまうもののままみたいで、そこに驚いてる。
医療の人たちはどう受け止めているのだろう。ひととおり流行しあとは感染力が弱くなるのなら、普段よりちょっと気を付ける程度の生活に戻ればいいだけだと思ってたが、この感染力を維持したままだと、流行収まっても以前のようには生きられないのでは?
ちょうど今読んでいる夏目漱石の「創作家の態度」に、そこら辺のご都合主義的に歪められた世界観に気付いてしまった読者の心理が書かれているところがあったので参考までに。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/1102_14956.html
>>これは小説ではありません。事実だとして、あるものに書いてありましたが、私は単に自分に都合のいい例として御話を致します。
以太利イタリーのさるヴァイオリニストが旅行をして、しばらく、ポートサイドに逗留とうりゅうしておりました時、妙齢の埃及エジプトの美人に見染みそめられまして親しき仲となったそうでございます。ところがこの男は本国に許嫁いいなずけの娘があるので、いよいよ結婚の期が逼せまった頃、ポートサイドを出帆して帰国の途に上りました。ところがその夜になると、船足で波が割れて長く尾を曳ひいている上に忽然こつぜんとかの美人があらわれました。身体からだも服装も透すき通っておりますが、顔だけはたしかにその女だと分るくらいに鮮あざやかであります。ただ常よりは非常に蒼白あおしろいのであります。この女が波の上から船の方へ手を伸して、舷ふなばたを見上げながら美くしい声で唄うたをうたいました。それが奇麗きれいに波の上へ響くので、船の中の人はことごとく物凄ものすごい心持になりましたが、やがて夜が明けると共にかの美人はふっと消えました。やれやれと安心しているとその晩またあらわれました。そうして手を伸して、首を上げて、波の上を滑すべって、船のあとをつけて、いかにも淋しい声で、夜もすがら唄をうたいます。それから夜が明けると、またふっと消えます。そうして夜になるとまた出ます。そのうち船がとうとうネープルスへ着きましたので、かの音楽家はそこで上陸致して、自分の郷里へ帰ると、手紙が来ております。差出し人はと見ると、ポートサイドにいる友人で、かねて自分と彼の女との間を知っているものでありました。すぐに開封して見ると、あの女は君が船へ乗って出帆するや否や、海の中へざぶざぶ這入はいって行って、とうとう行き方知れずになったとありました。
(中略)
ここに、こんな切な恋がある。これをどう云いあらわしたらば、云い終おおせるかとの試問に応じて出来上った答案と見なければなりません。世の中へ出て行って、どんな恋があるか探索して来いと云う命令に基もとづいた、報告書と見ては見当が違います。したがって客観的価値の少ないものができたのであります。真と認められないものになりました。だからこの話を聞くと、マグダの結末ほどには、はあなるほど、こうもあろうとか、こうあるかも知れないねと云う気にはなりません。しかしながらその代りに、ごもっともだ、こうもありたいね、こうあれかしだと云う気にはたしかになれます。あれかしと云う語は裏面に事実じゃないと云う意味を含んでおりますから、つまりは嘘だと云う事に下落してしまいます。この下落が烈はげしくなるととうてい読めなくなります。馬鹿馬鹿しくなります。
例たとえば今の話しでも、もし船のあとを跟つけるものが、幽霊でなくって、本当の女が、波の上をあるいて来て、ちょいと、あなたとか何とか云って手招ぎでもしたらそれこそ奇蹟きせきになります。幽霊ならば、有るとも無いとも証明ができないだけで済みますが、生きた人間が波の上を歩いては明かに自然の法則を破っております。いくら、かくあれかしと思ったって、冗談じょうだんじゃない、おのろけも好い加減にした方がよかろうと申したくなります。人を馬鹿にするにもほどがあらあね、まるで小供だと思っていやがると本を抛なげ出すかも知れません。
(西遊記、アレビヤン・ナイト、もしくはシェーヴィング・オブ・シャグパットのようなものの面白味は別問題として論じなければなりません)して見ると私が前段に申した意味が自おのずから御明暸になりましたろう。すなわちいかな主観的な叙述でも、ある程度まで真を含んでおらんと読みにくいものである、そう截然せつぜんと片っ方づけられるものじゃないと云う事であります。この幽霊のごときは極端の極端の例であるから、積極的に真を含んでおらんとも云えましょうが、むやみに真を打ち壊しているものでないと云う事だけは、さきの説明で明らかでありましょう。しかも読んで馬鹿馬鹿しくならんのは全くそのお蔭である以上は、真の分子がいかに叙述の上に大切であるかが分るでありましょう。 <<
彼の話の主題は別のところにあるのですが、つまりは「ある程度のつじつまがあっていないと、人は没入することができない」ということではないでしょうか。
西遊記やアラビアンナイトについては別問題としているわけですが、完全な創作世界のお話であっても、その世界の中でのつじつまがある程度あっていなければ読むのが馬鹿馬鹿しくなる。
どうもお疲れ様です。
スーツなんて作業着、コードに服装は関係ない、と普段は無知を誇って言ってても、給料を出す側の論理で着とかないといけない状況もあります。小作人は辛い。
で適当に買うわけですが、この時期なら都内デパート各店の紳士服セールがありますね。
この紳士服セールへ行く時に、勝手のわかっていないギークあるいはモヒカンさんでも、1つだけやっとくといいことがあります。
それは、売り場のおばちゃんを無視すること。
彼女らはただのパートで、商品知識も客の体型を見分ける眼も持っていません。
ツーパンツだノータックだイタリー製だ、とどうでもいいことしか言って来ません。
出したハンガーをかけっぱなしにしたりして、客が自分でスーツをみることを想定した動きをしません。
デパートで働いているくせにコンビニ店員より気が利かない、ただの木偶の坊です。
特にO田急と京Oはひどいです。
売り場のおばちゃんに聞かないで値段の割に良いスーツを見分ける方法?
そんなの教えたら私が掘り出し物見つけるのが大変になるじゃないですか。
あ、すみません一点忘れてました。