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「イタリー」を含む日記 RSS

はてなキーワード: イタリーとは

2025-04-29

anond:20250424105051

全部妄想からな。

聞き流してくれ。

夕張メロン

赤肉メロン一般名みたいに使われるが、生産日本一茨城

夕張原種は厳重に管理してるということになってて、その他の赤肉メロンとは違うということを言い張ってるが、夕張の隣の穂別町のほうが美味いと評判。

松坂

どこで育てられたとしても松坂の屠畜場で処理されたら松坂牛になる。

狭山茶

静岡茶宇治茶狭山茶三大銘茶ってことになってるけど、生産量的には静岡県鹿児島県三重県の順。

奈良県とか三重県で作っても宇治茶ってことになってるから宇治茶は嘘ではないかもだが、狭山茶なんて流通量のわずか。

花畑牧場のなんちゃら

普通に仕入れ商品

最終加工かパッケージだけ。

自社加工してても原料は仕入れ

観光牧場はだいたいそう。

搾りたての牛乳は美味しいとかソフトクリームが美味いとか、それ全部気のせい。

牧場ってのは牛っていう生産機械が展示されてるようなもんなので、見る人が見れば、そこから生産される生産量も牛乳品質もすぐわかる。

野暮だからみんな言わないだけ。

スペイン生ハムとか

最終加工地としては嘘じゃないが、子豚はみんなデンマークから輸入してる。

森でドングリ食べで育ってるとか嘘に決まってるだろ。

ドイツ

だいたい中国工場

中国EVは不当に補助金を貰ってて市場破壊するからけしからん関税関税

って言ってたのはEUでもドイツ以外の国で、当のドイツ車はEVまで中国生産で実のところセルフ制裁

やっとセルフ制裁に気づいたので、トランプ関税には反対してるという感じ。

エルメスとかグッチとか

最終工程以外は中国

熟練した職人ロゴをつけたりパッケージすればメイドインフランスメイドインイタリー

カバンとか財布なんかどうでもいいけど、医薬品とか医療機器とかもこの理屈って大丈夫なんかな?

中国から仕入れパッケージ、受入試験と出荷試験品質保証責任者サインを入れたら、最高の品質保証される品質マネジメントシステムって詐欺だと思うぞ。

話が逸れた。忘れてくれ。

数学オリンピックアメリカ代表

だいたい、国別で一位が中国、二位がアメリカなんだけど、中華系とインド系ばっか。

本土に住んでる中国人とアメリカに住んでる中国人の戦い。

インドカレーの店

ほぼネパール

和紙

手漉きなんかしてないし、楮なんかお気持ち程度でも入ってればいいほうで、パルプ100%でも和紙

海外工場生産しても和紙

2025-04-23

anond:20250423151046

こないだ、高級ブランド鞄のメイドインフレンチとかメイドインイタリーは全部嘘っぱちで、最後ロゴつけるところ以外は全部中国でつくっているっていう暴露動画みた。

でも、

何をいまさら・・・

っていう感想しか出なかったな。

昔、研修ヨーロッパチーズ作りを見にいったことがあるんだけど、糞みたいな品質牛乳を使って、

伝統にのっとって、塩水で拭く以外のことはしません!キリッ」

っていって、汚い雑巾チーズ拭いてたよ。

ヨーロッパの人たちって、昔からある珍しくも何でもないもの名前をつけてブランディングして、その名前を使いたかったら認証機関みかじめ料を上納しろっていう、ヤクザビジネスしか興味ないの。

そりゃ、中国に負けるわなって思うし、アメリカにも愛想つかされるわなと。

2024-09-30

 三四郎はこの時ふと汽車水蜜桃をくれた男が、あぶないあぶない、気をつけないとあぶない、と言ったことを思い出した。あぶないあぶないと言いながら、あの男はいやにおちついていた。つまりあぶないあぶないと言いうるほどに、自分はあぶなくない地位に立っていれば、あんな男にもなれるだろう。世の中にいて、世の中を傍観している人はここに面白味があるかもしれない。どうもあの水蜜桃の食いぐあいから、青木堂で茶を飲んでは煙草を吸い、煙草を吸っては茶を飲んで、じっと正面を見ていた様子は、まさにこの種の人物である。――批評家である。――三四郎は妙な意味批評家という字を使ってみた。使ってみて自分うまいと感心した。のみならず自分批評家として、未来存在しようかとまで考えだした。あのすごい死顔を見るとこんな気も起こる。  三四郎は部屋のすみにあるテーブルと、テーブルの前にある椅子と、椅子の横にある本箱と、その本箱の中に行儀よく並べてある洋書を見回して、この静かな書斎の主人は、あの批評家と同じく無事で幸福であると思った。――光線の圧力研究するために、女を轢死させることはあるまい。主人の妹は病気である。けれども兄の作った病気ではない。みずからかかった病気である。などとそれからそれへと頭が移ってゆくうちに、十一時になった。中野行の電車はもう来ない。あるいは病気が悪いので帰らないのかしらと、また心配になる。ところへ野々宮から電報が来た。妹無事、あす朝帰るとあった。  安心して床にはいったが、三四郎の夢はすこぶる危険であった。――轢死を企てた女は、野々宮に関係のある女で、野々宮はそれと知って家へ帰って来ない。ただ三四郎安心させるために電報だけ掛けた。妹無事とあるのは偽りで、今夜轢死のあった時刻に妹も死んでしまった。そうしてその妹はすなわち三四郎が池の端で会った女である。……  三四郎はあくる日例になく早く起きた。  寝つけない所に寝た床のあとをながめて、煙草を一本のんだが、ゆうべの事は、すべて夢のようである。椽側へ出て、低い廂の外にある空を仰ぐと、きょうはいい天気だ。世界が今朗らかになったばかりの色をしている。飯を済まして茶を飲んで、椽側に椅子を持ち出して新聞を読んでいると、約束どおり野々宮君が帰って来た。 「昨夜、そこに轢死があったそうですね」と言う。停車場か何かで聞いたものらしい。三四郎自分経験を残らず話した。 「それは珍しい。めったに会えないことだ。ぼくも家におればよかった。死骸はもう片づけたろうな。行っても見られないだろうな」 「もうだめでしょう」と一口答えたが、野々宮君ののん気なのには驚いた。三四郎はこの無神経をまったく夜と昼の差別から起こるものと断定した。光線の圧力試験する人の性癖が、こういう場合にも、同じ態度で表われてくるのだとはまるで気がつかなかった。年が若いからだろう。  三四郎は話を転じて、病人のことを尋ねた。野々宮君の返事によると、はたして自分の推測どおり病人に異状はなかった。ただ五、六日以来行ってやらなかったものから、それを物足りなく思って、退屈紛れに兄を釣り寄せたのである。きょうは日曜だのに来てくれないのはひどいと言って怒っていたそうである。それで野々宮君は妹をばかだと言っている。本当にばかだと思っているらしい。この忙しいものに大切な時間を浪費させるのは愚だというのである。けれども三四郎にはその意味ほとんどわからなかった。わざわざ電報を掛けてまで会いたがる妹なら、日曜の一晩や二晩をつぶしたって惜しくはないはずである。そういう人に会って過ごす時間が、本当の時間で、穴倉で光線の試験をして暮らす月日はむしろ人生に遠い閑生涯というべきものである自分が野々宮君であったならば、この妹のために勉強妨害をされるのをかえってうれしく思うだろう。くらいに感じたが、その時は轢死の事を忘れていた。  野々宮君は昨夜よく寝られなかったものからぼんやりしていけないと言いだした。きょうはさいわい昼から早稲田学校へ行く日で、大学のほうは休みから、それまで寝ようと言っている。「だいぶおそくまで起きていたんですか」と三四郎が聞くと、じつは偶然、高等学校で教わったもとの先生広田という人が妹の見舞いに来てくれて、みんなで話をしているうちに、電車時間に遅れて、つい泊ることにした。広田の家へ泊るべきのを、また妹がだだをこねて、ぜひ病院に泊れと言って聞かないから、やむをえず狭い所へ寝たら、なんだか苦しくって寝つかれなかった。どうも妹は愚物だ。とまた妹を攻撃する。三四郎おかしくなった。少し妹のために弁護しようかと思ったが、なんだか言いにくいのでやめにした。  その代り広田さんの事を聞いた。三四郎広田さんの名前をこれで三、四へん耳にしている。そうして、水蜜桃先生青木堂の先生に、ひそかに広田さんの名をつけている。それから正門内で意地の悪い馬に苦しめられて、喜多床の職人に笑われたのもやはり広田先生にしてある。ところが今承ってみると、馬の件ははたして広田先生であった。それで水蜜桃も必ず同先生に違いないと決めた。考えると、少し無理のようでもある。  帰る時に、ついでだから、午前中に届けてもらいたいと言って、袷を一枚病院まで頼まれた。三四郎は大いにうれしかった。  三四郎は新しい四角な帽子かぶっている。この帽子かぶって病院に行けるのがちょっと得意である。さえざえしい顔をして野々宮君の家を出た。  御茶の水で電車を降りて、すぐ俥に乗った。いつもの三四郎に似合わぬ所作である。威勢よく赤門を引き込ませた時、法文科のベルが鳴り出した。いつもならノートインキ壺を持って、八番の教室はいる時分である。一、二時間講義ぐらい聞きそくなってもかまわないという気で、まっすぐに青山内科玄関まで乗りつけた。  上がり口を奥へ、二つ目の角を右へ切れて、突当たりを左へ曲がると東側の部屋だと教わったとおり歩いて行くと、はたしてあった。黒塗りの札に野々宮よし子と仮名で書いて、戸口に掛けてある。三四郎はこの名前を読んだまま、しばらく戸口の所でたたずんでいた。いなか物だからノックするなぞという気の利いた事はやらない。「この中にいる人が、野々宮君の妹で、よし子という女である」  三四郎はこう思って立っていた。戸をあけて顔が見たくもあるし、見て失望するのがいやでもある。自分の頭の中に往来する女の顔は、どうも野々宮宗八さんに似ていないのだから困る。  うしろから看護婦草履の音をたてて近づいて来た。三四郎は思い切って戸を半分ほどあけた。そうして中にいる女と顔を見合わせた。(片手にハンドルをもったまま)  目の大きな、鼻の細い、唇の薄い、鉢が開いたと思うくらいに、額が広くって顎がこけた女であった。造作はそれだけである。けれども三四郎は、こういう顔だちから出る、この時にひらめいた咄嗟の表情を生まれてはじめて見た。青白い額のうしろに、自然のままにたれた濃い髪が、肩まで見える。それへ東窓をもれる朝日の光が、うしろからさすので、髪と日光の触れ合う境のところが菫色に燃えて、生きた暈をしょってる。それでいて、顔も額もはなはだ暗い。暗くて青白い。そのなかに遠い心持ちのする目がある。高い雲が空の奥にいて容易に動かない。けれども動かずにもいられない。ただなだれるように動く。女が三四郎を見た時は、こういう目つきであった。  三四郎はこの表情のうちにものうい憂鬱と、隠さざる快活との統一を見いだした。その統一の感じは三四郎にとって、最も尊き人生の一片である。そうして一大発見である三四郎ハンドルをもったまま、――顔を戸の影から分部屋の中に差し出したままこの刹那の感に自らを放下し去った。 「おはいりなさい」  女は三四郎を待ち設けたように言う。その調子には初対面の女には見いだすことのできない、安らかな音色があった。純粋の子供か、あらゆる男児に接しつくし婦人でなければ、こうは出られない。なれなれしいのとは違う。初めから古い知り合いなのである。同時に女は肉の豊かでない頬を動かしてにこりと笑った。青白いうちに、なつかしい暖かみができた。三四郎の足はしぜんと部屋の内へはいった。その時青年の頭のうちには遠い故郷にある母の影がひらめいた。  戸のうしろへ回って、はじめて正面に向いた時、五十あまり婦人三四郎挨拶をした。この婦人三四郎からだがまだ扉の陰を出ないまえから席を立って待っていたものみえる。 「小川さんですか」と向こうから尋ねてくれた。顔は野々宮君に似ている。娘にも似ている。しかしただ似ているというだけである。頼まれ風呂敷包みを出すと、受け取って、礼を述べて、 「どうぞ」と言いながら椅子をすすめたまま、自分は寝台の向こう側へ回った。  寝台の上に敷いた蒲団を見るとまっ白である。上へ掛けるものもまっ白である。それを半分ほど斜にはぐって、裾のほうが厚く見えるところを、よけるように、女は窓を背にして腰をかけた。足は床に届かない。手に編針を持っている。毛糸のたまが寝台の下に転がった。女の手から長い赤い糸が筋を引いている。三四郎は寝台の下から毛糸のたまを取り出してやろうかと思った、けれども、女が毛糸にはまるで無頓着でいるので控えた。  おっかさんが向こう側から、しきりに昨夜の礼を述べる。お忙しいところをなどと言う。三四郎は、いいえ、どうせ遊んでいますからと言う。二人が話をしているあいだ、よし子は黙っていた。二人の話が切れた時、突然、 「ゆうべの轢死を御覧になって」と聞いた。見ると部屋のすみに新聞がある。三四郎が、 「ええ」と言う。 「こわかったでしょう」と言いながら、少し首を横に曲げて、三四郎を見た。兄に似て首の長い女である三四郎はこわいともこわくないとも答えずに、女の首の曲がりぐあいをながめていた。半分は質問があまり単純なので、答に窮したのである。半分は答えるのを忘れたのである。女は気がついたとみえて、すぐ首をまっすぐにした。そうして青白い頬の奥を少し赤くした。三四郎はもう帰るべき時間だと考えた。  挨拶をして、部屋を出て、玄関正面へ来て、向こうを見ると、長い廊下のはずれが四角に切れて、ぱっと明るく、表の緑が映る上がり口に、池の女が立っている。はっと驚いた三四郎の足は、さっそく歩調に狂いができた。その時透明な空気の画布の中に暗く描かれた女の影は一足前へ動いた。三四郎も誘われたように前へ動いた。二人は一筋道廊下のどこかですれ違わねばならぬ運命をもって互いに近づいて来た。すると女が振り返った。明るい表の空気の中には、初秋の緑が浮いているばかりである。振り返った女の目に応じて、四角の中に、現われたものもなければ、これを待ち受けていたものもない。三四郎はそのあいだに女の姿勢服装を頭の中へ入れた。  着物の色はなんという名かわからない。大学の池の水へ、曇った常磐木の影が映る時のようである。それはあざやかな縞が、上から下へ貫いている。そうしてその縞が貫きながら波を打って、互いに寄ったり離れたり、重なって太くなったり、割れて二筋になったりする。不規則だけれども乱れない。上から三分一のところを、広い帯で横に仕切った。帯の感じには暖かみがある。黄を含んでいるためだろう。  うしろを振り向いた時、右の肩が、あとへ引けて、左の手が腰に添ったまま前へ出た。ハンケチを持っている。そのハンケチの指に余ったところが、さらりと開いている。絹のためだろう。――腰から下は正しい姿勢にある。  女はやがてもとのとおりに向き直った。目を伏せて二足ばかり三四郎に近づいた時、突然首を少しうしろに引いて、まともに男を見た。二重瞼の切長のおちついた恰好である。目立って黒い眉毛の下に生きている。同時にきれいな歯があらわれた。この歯とこの顔色とは三四郎にとって忘るべからざる対照であった。  きょうは白いものを薄く塗っている。けれども本来の地を隠すほどに無趣味ではなかった。こまやかな肉が、ほどよく色づいて、強い日光にめげないように見える上を、きわめて薄く粉が吹いている。てらてら照る顔ではない。  肉は頬といわず顎といわずきちりと締まっている。骨の上に余ったものはたんとないくらいである。それでいて、顔全体が柔かい。肉が柔かいのではない骨そのものが柔かいように思われる。奥行きの長い感じを起こさせる顔である。  女は腰をかがめた。三四郎は知らぬ人に礼をされて驚いたというよりも、むしろのしかたの巧みなのに驚いた。腰から上が、風に乗る紙のようにふわりと前に落ちた。しかも早い。それで、ある角度まで来て苦もなくはっきりととまった。むろん習って覚えたものではない。 「ちょっと伺いますが……」と言う声が白い歯のあいから出た。きりりとしている。しかし鷹揚である。ただ夏のさかりに椎の実がなっているかと人に聞きそうには思われなかった。三四郎はそんな事に気のつく余裕はない。 「はあ」と言って立ち止まった。 「十五号室はどの辺になりましょう」  十五号は三四郎が今出て来た部屋である。 「野々宮さんの部屋ですか」  今度は女のほうが「はあ」と言う。 「野々宮さんの部屋はね、その角を曲がって突き当って、また左へ曲がって、二番目の右側です」 「その角を……」と言いながら女は細い指を前へ出した。 「ええ、ついその先の角です」 「どうもありがとう」  女は行き過ぎた。三四郎は立ったまま、女の後姿を見守っている。女は角へ来た。曲がろうとするとたんに振り返った。三四郎赤面するばかりに狼狽した。女はにこりと笑って、この角ですかというようなあいずを顔でした。三四郎は思わずうなずいた。女の影は右へ切れて白い壁の中へ隠れた。  三四郎はぶらりと玄関を出た。医科大学生と間違えて部屋の番号を聞いたのかしらんと思って、五、六歩あるいたが、急に気がついた。女に十五号を聞かれた時、もう一ぺんよし子の部屋へあともどりをして、案内すればよかった。残念なことをした。  三四郎はいさらとって帰す勇気は出なかった。やむをえずまた五、六歩あるいたが、今度はぴたりととまった。三四郎の頭の中に、女の結んでいたリボンの色が映った。そのリボンの色も質も、たしかに野々宮君が兼安で買ったものと同じであると考え出した時、三四郎は急に足が重くなった。図書館の横をのたくるように正門の方へ出ると、どこからたか与次郎が突然声をかけた。 「おいなぜ休んだ。きょうはイタリー人がマカロニーをいかにして食うかという講義を聞いた」と言いながら、そばへ寄って来て三四郎の肩をたたいた。  二人は少しいっしょに歩いた。正門のそばへ来た時、三四郎は、 「君、今ごろでも薄いリボンをかけるものかな。あれは極暑に限るんじゃないか」と聞いた。与次郎はアハハハと笑って、 「○○教授に聞くがいい。なんでも知ってる男だから」と言って取り合わなかった。  正門の所で三四郎はぐあいが悪いからきょうは学校を休むと言い出した。与次郎はいっしょについて来て損をしたといわぬばかりに教室の方へ帰って行った。

anond:20240930192717

2022-12-13

アメリカ根付人種カースト、又は恋愛の壁について

半年くらいアメリカに住んでいる女性と話して、実際にアメリカに行って聞いたり見たりして学んだ

アメリカ人種カースト、そして壁について話そうと思う。


アメリカ多様性の国、人種サラダボウルなんて言われている。日本人はうっすらと、黒人白人アジア人もごちゃまぜに、恋愛したり働いてる、と思いがちだ。


しかし実際に行ってみると、違うことに気付く。人種サラダボウルではなく、スーパーのように陳列されまとめられている。

どういうことか。具体的に言えば、街、職業、店、カップル、仲良しグループ、それぞれがそれぞれの人種でまとめられているのである


たとえば職業基本的屋台土木といった底辺として扱われる職業は、中東系、ヒスパニックでまとめられている。

レストランホワイトカラー職業は、基本的白人知的階級黒人インド人なども、ちらほら見かける。


土地もそうだ。リトルイタリーチャイナタウンはよく聞くが、ユダヤ系が住む地域アジア系が住む地域と分けられている。


高級レストランの客層は白人で固められていて、そえでなくてもグループ食事してる人は大体同じ人種

高級で洗礼された場所白人が行き、ピザジャンク系は中東系やアジア系黒人が集まる。


現地の小学生も、黒人アジア系白人集団に分かれている。混ざってないのだ。まるでスーパーのように、同じ種類、同じ品種でまとめられており、品揃えが多いだけだ。人種スーパーだ。


恋愛についても同じことが言える。白人白人と、中東系は中東系と、アジア人アジア人と付き合う。


よく「日本人女性(アジア女性)はアメリカモテて、日本人男性(アジア男性)はモテない」と聞くのではないか?(『日本人女性』がモテてたのは1980年代の話だ。金持ち白人日本人女性を妻にするのがステータスだった。今はアジア人女性で括られている)


まずは恋愛人種カーストについて知る必要がある。

女性は、白人女性黒人女性アジア人女性中東ヒスパニック

カーストが分けられている。

男性白人男性黒人男性アジア人中東ヒスパニックだ。


ここまで聞くと、アジア人男性は誰と付き合えばいいのか?となるかもしれない。

しかし実際に街を歩くと、アジア人アジア人と付き合っている。何故か。


恋愛も含め、「人種カースト」は「人種カースト」だからである。つまり非合理な階層に過ぎない。

男が女に若さや女らしさ、綺麗さを求めるように、女は男に大人っぽさ、男らしさ、逞しさ(金)を求める。


白人も、黒人も、中東含むアジア系ヒスパニックも、トップ層は大差ない。同様に男らしく魅力的なのである

ここで重要になるのは、「女性側の人種恋愛カーストである

例えばアジア人女性の中で恋愛カーストトップアジア人女性が、白人トップ層と付き合おうとすると何が起きるか?


セフレまりである。現地のアジア人女性もそれを理解している。

憧れの白人と付き合えても、トップ層とは付き合えない。白人の中の「イケてないやつら」と、恋愛トップ自分が付き合うことになるのである


その他恋愛に対する文化の違いも相まって、結局同じ人種で付き合うのが、自分価値を最大限活かせる取引材料となるのだ。


ともかく、外国人と付き合いたい日本人男性アメリカではなくヨーロッパに行くべきだ。

中東系と付き合いたい人はアメリカは良いかもしれない。アメリカだと美人でも中東系というだけで下に見られている。

アメリカ女性日本人女性より奢られ思想が強く、かといって女性として魅力になろうとかなにかしてあげようとか全く考えない上に、アジア中東ヒスパニック人種に対してかなり見下した思考を持っている。


現地でもアジア人と付き合ってる白人女性ヨーロッパ出身だ。

ヨーロッパにいけ。

反対意見がある人や違うよ!って人は教えてね

2021-08-28

anond:20210827110912

てか、他所の国だと大使館員って残るもんなのかな。

今回いったん出かけたイタリー大使館員が再び舞い戻って協力者の脱獄支援にあたったとかで、かっけえな、とは思ったけど。

大使館員・外交官が真っ先に逃げるのは文官とか役人から当然かと思ってた。

2021-06-19

若気のイタリーみたいなのが

欲しいんだけど

意外と見つからない。

2020-10-04

anond:20201004194436

数百年前のイタリー労働者階級なので手づかみで食べてます。すまんな

2020-05-02

anond:20200502110431

子音と直後のiで「子音+アイ」という発音になるわけですね。Italicsも地域によってはアイタリクスです。Italyイタリーなのにね。

2020-04-16

コロナって流行すれば感染力弱まるはずだったんじゃないのか?

かなり謎。

ソーシャルディスティニーじゃなくても、散々広がったら感染力が弱くなって患者から他の人に移る確率がどんどん減っていくのが常道だって聞いてたので。

イタリーハグキス乱発も、ガンガンやりまくってるうちにその程度じゃ伝染らなくなる菌になるんだと思ってた。

どうもそんなことはないようすで、実際に物理的に距離を置かないかぎり伝染ってしまもののままみたいで、そこに驚いてる。

医療の人たちはどう受け止めているのだろう。ひととおり流行しあとは感染力が弱くなるのなら、普段よりちょっと気を付ける程度の生活に戻ればいいだけだと思ってたが、この感染力を維持したままだと、流行収まっても以前のようには生きられないのでは?

2019-02-28

anond:20190228071740

ちょうど今読んでいる夏目漱石の「創作家の態度」に、そこら辺のご都合主義的に歪められた世界観に気付いてしまった読者の心理が書かれているところがあったので参考までに。

青空文庫でも読めるます

https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/1102_14956.html

>>これは小説ではありません。事実だとして、あるものに書いてありましたが、私は単に自分に都合のいい例として御話を致します。

以太利イタリーのさるヴァイオリニスト旅行をして、しばらく、ポートサイドに逗留とうりゅうしておりました時、妙齢埃及エジプト美人に見染みそめられまして親しき仲となったそうでございます。ところがこの男は本国に許嫁いいなずけの娘があるので、いよいよ結婚の期が逼せまった頃、ポートサイドを出帆して帰国の途に上りました。ところがその夜になると、船足で波が割れて長く尾を曳ひいている上に忽然こつぜんとかの美人があらわれました。身体からだも服装も透すき通っておりますが、顔だけはたしかにその女だと分るくらいに鮮あざやかであります。ただ常よりは非常に蒼白あおしろいのであります。この女が波の上から船の方へ手を伸して、舷ふなばたを見上げながら美くしい声で唄うたをうたいました。それが奇麗きれいに波の上へ響くので、船の中の人はことごとく物凄ものすごい心持になりましたが、やがて夜が明けると共にかの美人はふっと消えました。やれやれ安心しているとその晩またあらわれました。そうして手を伸して、首を上げて、波の上を滑すべって、船のあとをつけて、いかにも淋しい声で、夜もすがら唄をうたいますそれから夜が明けると、またふっと消えます。そうして夜になるとまた出ます。そのうち船がとうとうネープルスへ着きましたので、かの音楽家はそこで上陸致して、自分郷里へ帰ると、手紙が来ております。差出し人はと見ると、ポートサイドにいる友人で、かねて自分と彼の女との間を知っているものでありました。すぐに開封して見ると、あの女は君が船へ乗って出帆するや否や、海の中へざぶざぶ這入はいって行って、とうとう行き方知れずになったとありました。

(中略)

ここに、こんな切な恋がある。これをどう云いあらわしたらば、云い終おおせるかとの試問に応じて出来上った答案と見なければなりません。世の中へ出て行って、どんな恋があるか探索して来いと云う命令に基もとづいた、報告書と見ては見当が違います。したがって客観的価値の少ないものができたのであります。真と認められないものになりました。だからこの話を聞くと、マグダの結末ほどには、はあなるほど、こうもあろうとか、こうあるかも知れないねと云う気にはなりません。しかしながらその代りに、ごもっともだ、こうもありたいね、こうあれかしだと云う気にはたしかになれます。あれかしと云う語は裏面に事実じゃないと云う意味を含んでおりますから、つまりは嘘だと云う事に下落してしまます。この下落が烈はげしくなるととうてい読めなくなります馬鹿馬鹿しくなります

例たとえば今の話しでも、もし船のあとを跟つけるものが、幽霊でなくって、本当の女が、波の上をあるいて来て、ちょいと、あなたとか何とか云って手招ぎでもしたらそれこそ奇蹟きせきになります幽霊ならば、有るとも無いとも証明ができないだけで済みますが、生きた人間が波の上を歩いては明かに自然法則を破っておりますいくら、かくあれかしと思ったって、冗談じょうだんじゃない、おのろけも好い加減にした方がよかろうと申したくなります。人を馬鹿にするにもほどがあらあね、まるで小供だと思っていやがると本を抛なげ出すかも知れません。

西遊記、アレビヤンナイト、もしくはシェーヴィング・オブ・シャグパットのようなもの面白味は別問題として論じなければなりません)して見ると私が前段に申した意味が自おのずから御明暸になりましたろう。すなわちいか主観的な叙述でも、ある程度まで真を含んでおらんと読みにくいものである、そう截然せつぜんと片っ方づけられるものじゃないと云う事であります。この幽霊のごときは極端の極端の例であるから積極的に真を含んでおらんとも云えましょうが、むやみに真を打ち壊しているものでないと云う事だけは、さきの説明で明らかでありましょう。しかも読んで馬鹿馬鹿しくならんのは全くそのお蔭である以上は、真の分子いかに叙述の上に大切であるかが分るでありましょう。 <<

彼の話の主題は別のところにあるのですが、つまりは「ある程度のつじつまがあっていないと、人は没入することができない」ということではないでしょうか。

西遊記アラビアンナイトについては別問題としているわけですが、完全な創作世界お話であっても、その世界の中でのつじつまがある程度あっていなければ読むのが馬鹿馬鹿しくなる。

まあその「ある程度」が人によって異なるのが厄介なポイントなので、こうして議論になるわけですが…

2018-11-23

anond:20181123085805

もし特定人種が手掴みでスパゲッティを食べる動画を流したら、それは差別的だ、と感じる人は更に多いんじゃないかな。それと同じ感覚アジア人を「木の棒を使って食事する人たち」と彼らは思っている。

まあ、実際のところイタリアの服飾産業中国人経営者が現地中国人を使って作った生地メイドインイタリーとして輸出してるからまさに「箸でピザを食う」様な状態だけどね。

2013-04-25

デパート紳士セールの季節がやって参りました

どうもお疲れ様です。

スーツなんて作業着コードに服装は関係ない、と普段は無知を誇って言ってても、給料を出す側の論理で着とかないといけない状況もあります小作人は辛い。

適当に買うわけですが、この時期なら都内デパート各店の紳士セールがありますね。

この紳士セールへ行く時に、勝手のわかっていないギークあるいはモヒカンさんでも、1つだけやっとくといいことがあります

それは、売り場のおばちゃんを無視すること。

彼女らはただのパートで、商品知識も客の体型を見分ける眼も持っていません。

ツーパンツだノータックイタリー製だ、とどうでもいいことしか言って来ません。

出したハンガーをかけっぱなしにしたりして、客が自分スーツをみることを想定した動きをしません。

デパートで働いているくせにコンビニ店員より気が利かない、ただの木偶の坊です。

ですから無視して下さい。

特にO田急と京Oはひどいです。

売り場のおばちゃんに聞かないで値段の割に良いスーツを見分ける方法

そんなの教えたら私が掘り出し物見つけるのが大変になるじゃないですか。

あ、すみません一点忘れてました。

ジャケット羽織った時に背中特にから首にかけてシワが出るかだけはおばちゃん達に見てもらったほうがいいです。

 
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