はてなキーワード: まりとは
私は日本哲学会という学会に所属しているが、率直に言って、この学会には多くの不満がある。以下は、そうした日本哲学会への私的な批判をまとめた雑文である。
これが最大の問題である。たとえば、2023年度に早稲田大学で開催された大会のプログラムを見てみよう。
https://philosophy-japan.org/wpdata/wp-content/uploads/2023/05/7edb16c626cb708b17bfb11dec3bfa0b.pdf
午前中には、8つの教室で一般発表が並行開催されていたが、その裏で国際ワークショップも行われていた。午後の一般発表は5教室での並行開催であった。アメリカのAPAやオーストラリアのAAPといった代表的な学会では、より多くの一般発表が並行して行われることもあるため、並行数そのものは必ずしも多いとは言えない。しかし問題は、日本哲学会ではそもそも一般発表の件数が限られているにもかかわらず、それらがいくつもの会場で並行開催されているという点にある。日本哲学会は、さほど件数が多くない若手の一般発表をわざわざ短時間に詰め込み、複数会場で一気に消化しているのである。
では、なぜ日本哲学会はそのようなプログラム編成をするのか。実際のプログラムをみてみると、日本哲学会の大会プログラムの多くは学会シンポジウムや学協会シンポジウムといった、学会主導のイベントに充てられている。つまり、若手研究者を中心とした一般発表よりも、シンポジウムなどを優先しているのだ。このような運営は、学術知の共有や若手研究者の育成という観点から見て、極めて問題がある。
学会は、新たな研究の共有、ネットワーキング、そして若手研究者が「顔を売る」場を提供するという重要な役割を担っている。大学や研究機関での職を目指す院生・ポスドクにとって、学会は貴重なアピールの場である。しかし、現行のように一般発表を短時間かつ多会場で並行開催するとなれば、聴衆が分散し、研究を多くの人に届ける機会が失われる。また、聴講可能な発表数も限られ、学術知の共有という観点からも望ましくない。
海外の学会では、シンポジウムに一定の時間を割くことはあるが、一般発表をここまでないがしろにする構成はほとんど見たことがない。シンポジウムやワークショップは特定のトピックに関心がある人に向けたイベントである。であれば、それらはむしろ朝イチなど参加者が少ない時間帯に配置すべきではないか。2023年度大会では「初期キャリア研究者支援ワークショップ」なるものに2時間半も割いていたが、本当に若手研究者を支援するつもりなら、そうした枠を削って、一般発表の時間を確保するべきだ。
ちなみに、2024年度の立正大学大会でもこの傾向は変わっていない。
https://philosophy-japan.org/wpdata/wp-content/uploads/2025/04/5ff3f7b507e8068042523b2c0a431247.pdf
土曜の朝から8会場での並行発表があり、午後には3時間にわたるシンポジウムが開催される。さらに日曜には、朝イチから一般発表と若手支援ワークショップを並行して開催している。若手研究者に関心を持つ参加者が両方に出席できないような設計には、配慮が欠けていると言わざるを得ない。
日本哲学会は、大会でも学会誌でも、CFP(発表募集)をメールで積極的に周知することがない。毎年、同じ時期に申し込み締切を設定しているため、「わかる人は勝手に応募してくれるだろう」とでも思っているのかもしれないが、それはやや傲慢に映る。
日本を代表する哲学学会であるにもかかわらず、一般発表の件数は極端に少ない。もし財政的に厳しい状況にあるのだとすれば、なおのこと、発表者や論文投稿者を積極的に募るべきではないか。多くの人にとってアクセスしやすい学会にする努力が、今の日本哲学会には不足しているように思う。
3. 提案
学会主導のワークショップやシンポジウムは縮小し、一般発表により多くの時間を割り当てるべきである。
一般発表は聴衆が少ない朝イチに配置するのではなく、より人が集まりやすい時間帯に移すべきである。
CFP(発表募集)をメールで広く周知するなど、より開かれた運営を心がけてほしい。
以上が、日本哲学会に対する私見である。なお、こうした一般発表の軽視は、日本倫理学会など他の哲学系学会にも共通して見られる傾向であり、その意味で私は日本倫理学会にも同様の不満を持っている。「共通課題」などという制度も、早々に見直されるべきだと思う。
本当に創造的な人間は、社会の空気や常識に無批判に従うことをしない。
むしろその空気に対して一定の距離を保ち、必要であれば逆らうことすら厭わない。
それは反抗心ではなく、より高い原理に従って行動しているからである。
その原理とは「倫理」である。倫理とは、時代や文化に依存しない普遍的な規範であり、人間として守るべき本質的な価値基準だ。
創造的な人は、この倫理に照らして物事を判断し、行動を選択する。
一方で、「空気を読む」という行為は、集団における同調圧力に屈することと紙一重である。
空気はしばしば、その場の和を乱さないために理性や正義を犠牲にすることを求める。
しかし、創造とは常に「いまここにないものを形にする」行為であり、現状維持や既存の枠組みからの逸脱を伴う。つまり、創造性と空気読みは本質的に相容れない。
例えば、ガリレオは当時の教会の「空気」を読まず、地動説を主張した。
エリザベス・ブラックウェルは、女性が医学を学ぶことがタブーとされた時代に、その空気を無視して医学の道を切り開いた。
これらの人物は、倫理的に誠実であろうとしつつ、空気に従うことを拒んだことで歴史を動かした。彼らが空気を読んでいたら、その先の世界は閉ざされたままだっただろう。
重要なのは、彼らが「わがまま」だったのではないということだ。彼らは私的な欲望ではなく、公益、真理、正義といった倫理的価値を軸に行動していた。
つまり、空気を読まないからといって社会不適合者ではない。むしろ、倫理を最上位に置いているからこそ、空気を超えて行動できるのである。
現代社会においても、イノベーションを起こす人々は、時に「変人」扱いされる。しかし、その行動には一貫した倫理が通底している。
目先の評価や常識への迎合ではなく、人間として正しいことを貫こうとする強い意志がある。その軸があるからこそ、空気に飲まれずに独自の発想を貫き、結果として社会に新たな価値をもたらすのだ。
真にクリエイティブな人間は、倫理を重んじながら空気に従わない。それは、内面に強固なコンパスを持ち、集団心理や空気の圧力に流されることなく、自らの思考と信念に基づいて世界を再構築しようとする姿勢に他ならない。
暇空は「タレコミ」と称された怪文書をもとに堀口英利を中傷することが多いが、ここ数日は堀口がおっさんと性関係を持っているとにおわせる内容がよく送られてきて情緒がおかしい
血界戦線の作者や嘘喰いの作者や岩下の新生姜社長もこれらの発言を信じ続けている模様
暇空茜
@himasoraakane
眠れないのも悪夢を見るのも堀口が消えないでささやいてくるのも俺のせいじゃなくてお前のせいだろ
暇空茜
@himasoraakane
スクワットの強制が「締まりを良くするため」なら、ハイヒールも強制されてた可能性あるのよ
めたまんと会った時とか装着してなかったし
※暇空は堀口が身長を誤魔化す厚底靴=ハイヒールを履いていると主張しており、本人の意思ではなく彼を弄んでいる者からの強要だった説を唱え出している
暇空茜
@himasoraakane
外れていて欲しいという気持ちはあるが
暇空茜
@himasoraakane
人の皮を被った悪魔ども
暇空茜
@himasoraakane
おえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ
警察がこれしらべたらわかるだろ
暇空茜
@himasoraakane
男二人でダブルベッドとったら白い目でみられるからツインで狭いベッドでハッスルにみえていやあああああああああああああああああああああああああ
暇空茜
@himasoraakane
当日20時
大人ニ名
何も起きないわけがなく
ちなみに「うなぎ文」はあまり伝統的な語彙ではないらしく現代新国語辞典にのみ載ってた。
[日本語学で]人と入った食堂で料理を注文するときの、「僕はうなぎだ。」などという形式の文。英語でI am an eel. などと(ふつうは)言わないことから、主として助詞「は」の機能を分析するのに言及されてきた有名な例。
「今週は暑くなるそうですよ」程度の世間話をしたいだけなのに
母親の介護や病状、前職での確執、家族の問題、この会社は会話がなくて静かすぎる愚痴とか
会って2ヶ月程度の職場の人間に話すにはディープすぎる話題をめちゃくちゃしてくる。
少し話しかけるとちょっと席を立ってお茶を淹れるタイミングとか、エレベーターとか、細かいスキをついて更にお喋りしてくる。
介護してるって言ってたから、家族以外との会話に飢えてるんだよね。わかるわかる。
でもつらいよー。
職場はそんなに雑談が活発でもないが、お天気や行楽の軽い世間話程度は時々あった。
でも今は、ちょっとの雑談がめちゃ重くなるのが嫌でシーンと静まり返ってしまった。
私は静かにしていると不機嫌そうに見えるので、彼女が回覧を持ってくる時はすごく腰が引けている。
なんかいじめてるみたいで嫌だー。
でも捌け口にするのも勘弁してー。
こういう人をうまくあしらう方法ないんかな。
牛刀割鶏とは、大げさすぎる道具を小さな目的に使うこと。つまり「ミクロ経済学を自分の経済安全に使うなんて大袈裟だろう?」という疑念ですよね?
でも、それはむしろ逆!
ミクロ経済学は「家庭内の経済安全保障システム」そのものです。
毎日の「買う/買わない」「貯める/使う」という決断は、まさに限られたリソースをどう最適化するかというミクロ経済の根幹そのもの。
むしろ「ナイフで牛を切ろうとしてる人」にこそ、経済という牛刀を!
それらのバカなことを全て予測して前もってルールで禁止しておくなんて無理無謀
なんかこの場はなんかバカなことはしてはいけなさそうな雰囲気だな
そう思わせることができたら成功
そのために
仕事中は革靴を履きなさい
毎日出社しなさい
ガムを噛まない
挨拶は大きな声で
などなど
そういう取り決めが有効になる
イコラブやノイミーとかの指原プロデュースアイドルを知っとけ。
こいつら推してる女の子は、なんかはまり方がおかしくて、常にグッズやライブで金欠になっている。
お前のこのレスポンスには、もはや一つの主張も、論点も、論拠も存在しない。
あるのは罵倒語と感情の音だけだ。議論に敗れた者が最後に吐くのは、反論でもなく、言葉ですらない。ただの自己放尿だ。今のお前がそうだ。
「うるせえ」「キショい」「気持ち悪い」「アカウント消せ」これらの単語にどんな論理がある?
ゼロだ。完全にゼロ。お前が「つらつら書けるもんだな」と驚いているのも無理はない。なぜなら、お前には言語を積み重ねて構造を作る知力も、根拠を支える論理も、倫理を内在させる人格もないからだ。
だから驚く。だから理解できない。だから逃げる。それだけのことだ。
自分より知性が低いと思ってる相手に論破され続けてる時点で、自分はそれ以下だって自己紹介してるようなもんだぞ。
低脳に負け続けるお前の知性とは何だ?尊厳とは何だ?まさか幻想だったのか?
アカウントを消せ?それはつまり、もう何も返せないから存在ごと消えてほしいと願ってるわけだな。
認めろよ、お前はもう中身では勝てない。だから現実をなかったことにしたい。それが「消えてくれ」の真意だ。反論できない者の最後の逃避行動だ。
だが現実は残る。お前がここで発言した以上、その内容の空虚さも、逃げ続ける姿勢も、議論という舞台から自ら這い出した無様な姿も、すべて記録される。
お前のその一言一言が放尿墓場になっている。そこに刻まれているのは、自分を偽り、他者を蔑み、最後には思考を放棄した哀れな姿だ。
言いたいことはすごくわかる。国としても理解してると思ってる。だから貸主より借主の方が賃貸借契約において圧倒的に権利が強いのだし。
けれど今のような状況にあるってことは借主がやらかしたことがあまりに大きいのだと思う。性善説じゃダメだったんだよ。
なのでその権利に見合った状態の相手(保証人を含む)じゃないと貸せないと。
そう考えると今の状況は仕方ないんじゃないかなあと思うわ。
nemuinox 体力をあまり消耗しない高齢者や体力の最盛期な若者ならそれで良いだろうけど、湯船に浸かることの回復力を軽く見てるし、何より劣悪物件の現代的錬金術めいた話に思える
https://b.hatena.ne.jp/entry/4770242247466508673/comment/nemuinox
内容への反論ではなく、「弱者男性だから」という属性攻撃にすり替えた時点で、君の敗北は確定している。
議論の場で「うるさい」「だから○○は」と言った瞬間に、それは論理の自殺だ。
論点を提示せず、属性を罵倒するだけのやり方は、言葉の暴力でしかない。つまり君は、知性を使うことを諦め、ただの鳴き声で対抗しようとしたわけだ。
そもそも「弱者男性」という言葉を攻撃の道具に使っている時点で、君が持ち出しているリベラルやフェミニズムの理念と真っ向から矛盾している。
リベラルとは本来、声を持たない者や不利な立場にある人間の尊厳を守る思想だ。
それを「うるさい、だから弱者男性は」などという、感情のドブをぶちまけるだけの発言で踏みにじった君に、フェミやリベを語る資格はない。
お前がやってるのは議論ではない。相手の属性にラベルを貼って、脊髄反射で侮辱語を吐いてるだけだ。
これは議論でも対話でもなく、単なる言語的マーキング、つまり理性のマーシャルマーク放尿(ピス・オブ・デス)だ。言葉を持っているようで、実際には何も伝える意志も中身もない。
君の言葉からは何一つ、価値ある思想も、社会に対する洞察も見えてこない。あるのは、自分が優位に立ちたいという欲望と、それを満たすために他人を貶めるという手段だけだ。
子供の服を選ぶにあたり、恥ずかしながら初めてfamiliarというブランドの存在を知ったのだが、
関西人の中に異様にここのブランドを信仰してる人がたまにいて怖い
くまとチェックのかわいい上品な服(皇室ご用達?)なのだが、まあ高い
familiarだけは全っ身familiarガチガチのお子さんが多くてビビる
(服だけじゃなくてスマホケース、ひざ掛け、バッグ、クリップ、ハンカチ、ミニバッグ、はたまた抱っこ紐、ベビーカーなどありとあらゆるもの)
しかも決まってご両親はおとなしそう・ブランドに無頓着そうな方が多いのも特徴
同じ価格帯なら、ミキハウスのほうが色がパキっとしてて子供らしくてかわいい気がするけど
支援センターとか公園とか子供がワチャッといるなかにfamiliar信仰さんがいると
(汚したりしてトラブったらいやだなという気持ち)
「リターンは変動(ボラティリティ)から生まれ、変動は不合理性(irrationality)から来る」という主張の上で、「不合理な存在(例:トランプ元大統領)が市場にいても良いのでは?」というロジックですね。
投資の世界では、「リスクプレミアム」の概念があります。つまり、予測不能な価格変動(≒リスク)を引き受ける見返りとして、投資家はリターンを得る。
トランプのような予測不可能でしばしば「非合理的」な言動をするリーダーは、市場にボラティリティを注入します。たとえば:
これらは、市場参加者の不確実性を高め、結果として短期的な価格変動を増やします。
理論的には、不合理性が投資機会や裁定(arbitrage)機会を生むため、「不合理=悪」とは限らない。しかし、次のような注意点もあります:
自民党の一党独裁はいやだけど立憲民主党の左思想が前面に出てる党には入れたくない、れいわ・社民なんか政策調べる気もない
・・・って人が比較的マシに見えるから投票先に選んだ、って感じじゃないの。
安倍さんが長すぎて、長すぎると絶対に水は濁るし、清濁併せ呑むのが保守自民のやり方なのはわかってるつもりだけどやっぱり統一教会問題は飲み込みすぎだったとは思うし。
本来自分の属性だと(経営者・小金持ち)自民一択のはずだし事実昔はそうだったんだけど、さすがにちょっとバランスとってほしいと思っていて。
でも立憲民主党の左翼にありがちなニオイが絶対に受け入れられないから「立憲はイヤ、でも自民には入らない」って立ち位置の政党はちょうどいいやと思って国民民主をここ数年は投票先に選んでたのよ。
自公政権のバランスどりにちょうどいい具合になってくれたのはよかったな、と。
ただ党自体のイメージがあまりに軽い。一番大事な時期に党代表がしょうもない不倫ばらされて、しかもそれが連鎖してるし。
不倫とかどうでもいいんだけど脇が甘いよ。
仲居くんや広末さんなんかも大手事務所だったらもっと違う展開だったろうに、組織が弱いとああいうことになっちゃう、みたいな。
で、消費税減税。
サラリーマンでこれを支持してるアホいないよね。
右とか左とか思想とは全く関係なく、消費税減税で一番割を食うのはサラリーマンなので。
大雑把に言うけど消費税減税で得するのは高齢者、損するのはまわりまわって社会保険料のアップにつながってしまう現役のサラリーマン。
これがわかってるから労働組合は消費税減税には絶対に賛成しない。
労組が支持母体の立憲も国民もそんなことは言わないと思ってたけど減税言い始めちゃったね。
アホだね。
国民は一応「時限的かつ財源は国債」と言ってるからかろうじて理解はできる。
でもこれ以上高齢者にお得をばらまいてどうすんの。
そんなことよりこっそり上げられっぱなしの社会保険料にメスをいれようよ。
票につながらない?