はてなキーワード: きたろうとは
追記ですが、後悔がやっぱりすごい 4/29
次の出勤日に、上司か人事の方に正直に告白しようと思います。自分がやったことは取り返しがつかないかもしれないから。
胸の中に抑えておくより、正直に言って公僕としての裁きを受けたい。
(本文)
とあるYahoo!ニュースを読んだ。いわゆるAED問題に近いものがある。
今、頭がグッチャフルになってる。文章が読みにくかったら申し訳ない。
ひろゆき氏「女性にとって損」女性を介抱しながら男がわいせつ行為未遂疑い逮捕の報道受け
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202504100000126.html
※Yahoo!ニュースが消えてたので代わりに日刊スポーツ
この記事を読む前にも、当方もはてなユーザーだから、いわゆるAED文学とか揶揄されるものを読むことはあった。AED文学というのは、「男性は倒れている女性に(逮捕リスクを冒して)AEDを使うべきか?」を扱った文学らしい。
はてな匿名ダイアリーでもたまに、男性がAEDを女性に使用することや、したことについての日記があった。
覚えてる限りだと、(AEDを使ったことを後悔してるかもしれない https://anond.hatelabo.jp/20230524192008)だろうか。これ以外にもいろいろあったけど、ブクマしてなかったので今ではわからない。
自分は一応、公僕のひとりである。ピンチの人がいたら、自分とこの住民でも、住民でなくても助けてはあげたい。
こうした問題について、これまで個人的に考え悩むことはあった。でも、そういう機会に遭うことはまずないと思っていた。そしたら、先週末についに起こってしまった。
世田谷の東端であった職場の飲み会の帰りに、ついでに二次会のバーにも行って、ほろ酔いで道路を歩いていた。もう深夜が近かった。
すると、自販機のあたりで若い女性の人が倒れていた。素人から見ても危うい様子だった。しゃがんだ状態から立ち上がったけど、またゴロンと路上に転がってしまった。スカートじゃないのが幸い?だった。これはやばいやつだと感じた。
心配だと思って、その子の近くまで寄った。近くに歩いてる人は少ない。おかしいな、普段はもっといるはずなのに~!!と頭にきていた。女性の人がいたらヘルプの声をかけようと思ったけどいなかった。いや、何人かはいたけど、お水風の人だった。もし仕事中だったら申し訳ないし、雰囲気が怖かった。
その倒れた女性を見ると、咳き込んでいた。またゴロンと路上に倒れた。さっきは見えなかったけど、よく見たらそのへんにゲロ吐いてる。
心臓がバクバクして、本当にどうしようかと思って、助けようとしてカバンの中のタオルを探し始めたところで、上のひろゆき氏のYahoo!ニュースを思い出した。
結局、女性を助けずに帰った。スタスタとその場を離れて、数分も経つと何事もなかったみたいに、心臓がスッと楽になった。
でも、後悔してる。「なんで、あの時助けてあげられなかったんだろう」とか「救急車を呼ぶことならできたろう?」とか、後悔の念が頭に昇ってる。
あの人、大丈夫だったんだろうか。死んじゃいないと思うけど、でも絶対とはまで言い切れない。あの後吐いたりして、吐しゃ物が喉に詰まっていたらと考えると……
腐っても地方公務員である(※世田谷区の職員じゃありません)。あの場所で倒れていた女性は、うちの区民である可能性が普通にある。でも、助けるという選択を取れなかった。もし、上司や同僚がこのことを知ったらどう思うんだろうか。
これは重大なことかもしれない。もし、彼女がうちの区民で、当方が助けなくて重体になったことを立証されたら……厳重注意では済まない。多分、上司からも人事からも退職勧告を受けると思う。金曜日に当方がしたことは、公務員業界においては、それくらいひどいことだ。
「職員は路上で倒れている人がいたら救護せねばならない」という法律・条例・規則は存在しない。それ以下の内規すらもない。なんでないのかって、「当たり前」だからだ。公務員が、それも自分とこの市区町村の住民が倒れていたら救護をするのは。当たり前すぎて、法規にしたらむしろ不適切だと思う。
自分は、その義務を果たさなかった可能性がある。それが何よりもつらい。
でも、増田の人にだけは信じてほしい。怖かったんだよ。女性を介抱して、トラブルになって、警察に逮捕されるのが。
そんなことになったら、職場にいられなくなるじゃん。公務員になって、父親も母親もばあちゃんも、喜んでくれたのに。
今、罪悪感がすごい。
もし、自分がちゃんとした行動ができる人だったら、あの女性をきっと助けることができたんだと思う。
祖父が死んだ。
桜の花びらが、まるで嘲笑うように舞い散る美しい日であった。
祖父という男は、この世の快楽のみを追い求めた者であった。酒、女、博打——それが彼の生の全てであり、彼はそれらに身を捧げ尽くしたのである。
かつて家族が語るところによれば、彼は祖母に跪いて結婚を懇願したというのに、契りを結んだ後は、彼女に対する責務など微塵も顧みることはなかった。これぞ男の本質の露呈というものか。
仕事というものに身を捧げることができず、すぐに投げ出してしまう。祖母の血と汗で得た金銭を湯水のごとく使い、酒に溺れ、馬券と煙草に金を注ぎ込む。
顔立ちだけは整っていたというから(古びた写真には、伊勢谷友介によく似た端正な顔が写っていた)、女性を魅了するのも無理からぬことか。いくつもの不実を重ねたという。
ああ、何と無様な男であろうか。まさに腐敗の権化であった。
多くの苦難を背負い込んだ祖母は、若くして黄泉の国へと旅立ってしまった。祖母は「あの人には長生きするように伝えてくれ」と言い残した。
愛情の名残かと思いきや、「天国を一人でできるだけ長く楽しみたいの。もうあんな人の世話など、したくないわ」と続けた。
祖母の願望通り、祖父はその後二十五年もの間、この世に留まり続けた。
幾度か死の淵をさまよいながらも、奇跡的に生還を繰り返した。きっと祖母が「こちらへ来るな」と拒絶したのであろう。
(その二十五年間の醜悪なる行状を語れば際限がないため、ここに筆を留める)
ついに祖父は逝った。ほとんど苦悶することなく、あっけなく。これほどまでに他者に迷惑をかけ続けた男が、何故かくも美しく死を迎えられるのか。世の中の理不尽さに、私は暗澹たる思いを抱く。
祖父の葬儀は、笑いに包まれていた。「もう十分に生きたろう」と、誰一人として涙を見せることはなかった。
棺の中に紛れ込んだパック酒を見つけた時の、あのしっくりとした光景に、不謹慎にも笑いが漏れた。誰かが「ああ、馬券を持ってきてやれば良かったな」と呟けば、また笑いが起こる。
「冥銭を『一杯やろうか』『高松宮記念杯があるじゃないか』と、三途の川の前で散財してしまうに違いない」「次に死ぬ知人に無心するだろう」との冗談が飛び交い、笑いの渦は止まなかった。
このような葬式は初めての経験であったが、不思議と祖父らしい見送られ方であると感じた。晴天を背景に、満開の桜と人々の笑い声が、死と生の境界線上で妙なる饗宴を繰り広げていた。
あの世ではもう少しまともな人間になるがいい。この世に戻ろうとしても、その体は灰となったのだから叶わぬことだ。
そもそも、貴方が天国に辿り着けるとは思えないが、万が一辿り着けたなら、祖母を探さず新たな女を見つけるがよい。
いつの日か私も死という儀式を執り行う時が来よう。その時、あの世で祖父と関わることなく過ごせますように——これが私の切なる願いである。
祖父が死んだ。
桜の花びらが、まるで嘲笑うように舞い散る美しい日であった。
祖父という男は、この世の快楽のみを追い求めた者であった。酒、女、博打——それが彼の生の全てであり、彼はそれらに身を捧げ尽くしたのである。
かつて家族が語るところによれば、彼は祖母に跪いて結婚を懇願したというのに、契りを結んだ後は、彼女に対する責務など微塵も顧みることはなかった。これぞ男の本質の露呈というものか。
仕事というものに身を捧げることができず、すぐに投げ出してしまう。祖母の血と汗で得た金銭を湯水のごとく使い、酒に溺れ、馬券と煙草に金を注ぎ込む。
顔立ちだけは整っていたというから(古びた写真には、伊勢谷友介によく似た端正な顔が写っていた)、女性を魅了するのも無理からぬことか。いくつもの不実を重ねたという。
ああ、何と無様な男であろうか。まさに腐敗の権化であった。
多くの苦難を背負い込んだ祖母は、若くして黄泉の国へと旅立ってしまった。祖母は「あの人には長生きするように伝えてくれ」と言い残した。
愛情の名残かと思いきや、「天国を一人でできるだけ長く楽しみたいの。もうあんな人の世話など、したくないわ」と続けた。
祖母の死を前にして悲しみに暮れるはずなのに、その言葉に不謹慎にも笑いを抑えることができなかった。人の心とは、かくも複雑なものである。
祖母の願望通り、祖父はその後二十五年もの間、この世に留まり続けた。
幾度か死の淵をさまよいながらも、奇跡的に生還を繰り返した。きっと祖母が「こちらへ来るな」と拒絶したのであろう。
(その二十五年間の醜悪なる行状を語れば際限がないため、ここに筆を留める)
ついに祖父は逝った。ほとんど苦悶することなく、あっけなく。これほどまでに他者に迷惑をかけ続けた男が、何故かくも美しく死を迎えられるのか。世の中の理不尽さに、私は暗澹たる思いを抱く。
祖父の葬儀は、笑いに包まれていた。「もう十分に生きたろう」と、誰一人として涙を見せることはなかった。
棺の中に紛れ込んだパック酒を見つけた時の、あのしっくりとした光景に、不謹慎にも笑いが漏れた。誰かが「ああ、馬券を持ってきてやれば良かったな」と呟けば、また笑いが起こる。
「冥銭を『一杯やろうか』『高松宮記念杯があるじゃないか』と、三途の川の前で散財してしまうに違いない」「次に死ぬ知人に無心するだろう」との冗談が飛び交い、笑いの渦は止まなかった。
このような葬式は初めての経験であったが、不思議と祖父らしい見送られ方であると感じた。晴天を背景に、満開の桜と人々の笑い声が、死と生の境界線上で妙なる饗宴を繰り広げていた。
あの世ではもう少しまともな人間になるがいい。この世に戻ろうとしても、その体は灰となったのだから叶わぬことだ。
そもそも、貴方が天国に辿り着けるとは思えないが、万が一辿り着けたなら、祖母を探さず新たな女を見つけるがよい。
いつの日か私も死という儀式を執り行う時が来よう。その時、天国で祖父と関わることなく過ごせますように——これが私の切なる願いである。
https://x.com/ojo199654/status/1892440495546122421?t=2nZevO9ivsRfKIaq3QWGVA&s=19
日本人のロリコンが田舎で小学生とやった漫画を上げ、海外に見つかり燃えている。
海外の美少女アイコンも驚愕し気持ち悪がっているし、これに7万いいねがつく日本や日本男性やロリコン男への軽蔑や殺意を隠さないツイートも多く支持を得ている。
生きたまま皮を剥げ日本男の絶滅を願うなど過激なバッシングも目立つし、これに七万いいねがつくロリコンの国日本への嫌悪も目立つ。
驚くことに外国人男性も普通にロリコン犯罪妄想を吐きまくる日本男を嫌悪してロリコン犯罪漫画バッシングに参加している。
この日記書いてる間に1.2万もいいねが増えていたくらい猛烈に伸びてる。
We need to start killing more child predators. I’m being so serious
私たちはさらに多くの子供たちを捕食する者を殺し始める必要があります。すごく真剣なんです
https://x.com/E1ZOUKEN/status/1893362550097494460?t=OzRgLC8oOv07ZfqlJAvk6g&s=19
確かにとても気持ち悪いが、日本のロリコン作品ではよくあるレベルの表現だ。
直接的なエロシーンも描かれてない、それでもこうなるのが普通の感覚なんだと衝撃があった。
多分日本人の女が騒いでいたら表現の自由戦士達が嬉々として現実と漫画の区別がつかないキチガイフェミが幼女に嫉妬ーと叩きにきたろうが、海外で燃えたからかまだダンマリを決め込んでいる。
https://anond.hatelabo.jp/20241002004712
広田先生が病気だというから、三四郎が見舞いに来た。門をはいると、玄関に靴が一足そろえてある。医者かもしれないと思った。いつものとおり勝手口へ回るとだれもいない。のそのそ上がり込んで茶の間へ来ると、座敷で話し声がする。三四郎はしばらくたたずんでいた。手にかなり大きな風呂敷包みをさげている。中には樽柿がいっぱいはいっている。今度来る時は、何か買ってこいと、与次郎の注意があったから、追分の通りで買って来た。すると座敷のうちで、突然どたりばたりという音がした。だれか組打ちを始めたらしい。三四郎は必定喧嘩と思い込んだ。風呂敷包みをさげたまま、仕切りの唐紙を鋭どく一尺ばかりあけてきっとのぞきこんだ。広田先生が茶の袴をはいた大きな男に組み敷かれている。先生は俯伏しの顔をきわどく畳から上げて、三四郎を見たが、にやりと笑いながら、
「やあ、おいで」と言った。上の男はちょっと振り返ったままである。
「先生、失礼ですが、起きてごらんなさい」と言う。なんでも先生の手を逆に取って、肘の関節を表から、膝頭で押さえているらしい。先生は下から、とうてい起きられないむねを答えた。上の男は、それで、手を離して、膝を立てて、袴の襞を正しく、いずまいを直した。見ればりっぱな男である。先生もすぐ起き直った。
「なるほど」と言っている。
「あの流でいくと、むりに逆らったら、腕を折る恐れがあるから、危険です」
三四郎はこの問答で、はじめて、この両人の今何をしていたかを悟った。
「御病気だそうですが、もうよろしいんですか」
「ええ、もうよろしい」
三四郎は風呂敷包みを解いて、中にあるものを、二人の間に広げた。
「柿を買って来ました」
広田先生は書斎へ行って、ナイフを取って来る。三四郎は台所から包丁を持って来た。三人で柿を食いだした。食いながら、先生と知らぬ男はしきりに地方の中学の話を始めた。生活難の事、紛擾の事、一つ所に長くとまっていられぬ事、学科以外に柔術の教師をした事、ある教師は、下駄の台を買って、鼻緒は古いのを、すげかえて、用いられるだけ用いるぐらいにしている事、今度辞職した以上は、容易に口が見つかりそうもない事、やむをえず、それまで妻を国元へ預けた事――なかなか尽きそうもない。
三四郎は柿の核を吐き出しながら、この男の顔を見ていて、情けなくなった。今の自分と、この男と比較してみると、まるで人種が違うような気がする。この男の言葉のうちには、もう一ぺん学生生活がしてみたい。学生生活ほど気楽なものはないという文句が何度も繰り返された。三四郎はこの文句を聞くたびに、自分の寿命もわずか二、三年のあいだなのかしらんと、ぼんやり考えはじめた。与次郎と蕎麦などを食う時のように、気がさえない。
広田先生はまた立って書斎に入った。帰った時は、手に一巻の書物を持っていた。表紙が赤黒くって、切り口の埃でよごれたものである。
「これがこのあいだ話したハイドリオタフヒア。退屈なら見ていたまえ」
「寂寞の罌粟花を散らすやしきりなり。人の記念に対しては、永劫に価するといなとを問うことなし」という句が目についた。先生は安心して柔術の学士と談話をつづける。――中学教師などの生活状態を聞いてみると、みな気の毒なものばかりのようだが、真に気の毒と思うのは当人だけである。なぜというと、現代人は事実を好むが、事実に伴なう情操は切り捨てる習慣である。切り捨てなければならないほど世間が切迫しているのだからしかたがない。その証拠には新聞を見るとわかる。新聞の社会記事は十の九まで悲劇である。けれども我々はこの悲劇を悲劇として味わう余裕がない。ただ事実の報道として読むだけである。自分の取る新聞などは、死人何十人と題して、一日に変死した人間の年齢、戸籍、死因を六号活字で一行ずつに書くことがある。簡潔明瞭の極である。また泥棒早見という欄があって、どこへどんな泥棒がはいったか、一目にわかるように泥棒がかたまっている。これも至極便利である。すべてが、この調子と思わなくっちゃいけない。辞職もそのとおり。当人には悲劇に近いでき事かもしれないが、他人にはそれほど痛切な感じを与えないと覚悟しなければなるまい。そのつもりで運動したらよかろう。
「だって先生くらい余裕があるなら、少しは痛切に感じてもよさそうなものだが」と柔術の男がまじめな顔をして言った。この時は広田先生も三四郎も、そう言った当人も一度に笑った。この男がなかなか帰りそうもないので三四郎は、書物を借りて、勝手から表へ出た。
「朽ちざる墓に眠り、伝わる事に生き、知らるる名に残り、しからずば滄桑の変に任せて、後の世に存せんと思う事、昔より人の願いなり。この願いのかなえるとき、人は天国にあり。されども真なる信仰の教法よりみれば、この願いもこの満足も無きがごとくにはかなきものなり。生きるとは、再の我に帰るの意にして、再の我に帰るとは、願いにもあらず、望みにもあらず、気高き信者の見たるあからさまなる事実なれば、聖徒イノセントの墓地に横たわるは、なおエジプトの砂中にうずまるがごとし。常住の我身を観じ喜べば、六尺の狭きもアドリエーナスの大廟と異なる所あらず。成るがままに成るとのみ覚悟せよ」
これはハイドリオタフヒアの末節である。三四郎はぶらぶら白山の方へ歩きながら、往来の中で、この一節を読んだ。広田先生から聞くところによると、この著者は有名な名文家で、この一編は名文家の書いたうちの名文であるそうだ。広田先生はその話をした時に、笑いながら、もっともこれは私の説じゃないよと断わられた。なるほど三四郎にもどこが名文だかよくわからない。ただ句切りが悪くって、字づかいが異様で、言葉の運び方が重苦しくって、まるで古いお寺を見るような心持ちがしただけである。この一節だけ読むにも道程にすると、三、四町もかかった。しかもはっきりとはしない。
贏ちえたところは物寂びている。奈良の大仏の鐘をついて、そのなごりの響が、東京にいる自分の耳にかすかに届いたと同じことである。三四郎はこの一節のもたらす意味よりも、その意味の上に這いかかる情緒の影をうれしがった。三四郎は切実に生死の問題を考えたことのない男である。考えるには、青春の血が、あまりに暖かすぎる。目の前には眉を焦がすほどな大きな火が燃えている。その感じが、真の自分である。三四郎はこれから曙町の原口の所へ行く。
子供の葬式が来た。羽織を着た男がたった二人ついている。小さい棺はまっ白な布で巻いてある。そのそばにきれいな風車を結いつけた。車がしきりに回る。車の羽弁が五色に塗ってある。それが一色になって回る。白い棺はきれいな風車を絶え間なく動かして、三四郎の横を通り越した。三四郎は美しい弔いだと思った。
三四郎は人の文章と、人の葬式をよそから見た。もしだれか来て、ついでに美禰子をよそから見ろと注意したら、三四郎は驚いたに違いない。三四郎は美禰子をよそから見ることができないような目になっている。第一よそもよそでないもそんな区別はまるで意識していない。ただ事実として、ひとの死に対しては、美しい穏やかな味わいがあるとともに、生きている美禰子に対しては、美しい享楽の底に、一種の苦悶がある。三四郎はこの苦悶を払おうとして、まっすぐに進んで行く。進んで行けば苦悶がとれるように思う。苦悶をとるために一足わきへのくことは夢にも案じえない。これを案じえない三四郎は、現に遠くから、寂滅の会を文字の上にながめて、夭折の哀れを、三尺の外に感じたのである。しかも、悲しいはずのところを、快くながめて、美しく感じたのである。
曙町へ曲がると大きな松がある。この松を目標に来いと教わった。松の下へ来ると、家が違っている。向こうを見るとまた松がある。その先にも松がある。松がたくさんある。三四郎は好い所だと思った。多くの松を通り越して左へ折れると、生垣にきれいな門がある。はたして原口という標札が出ていた。その標札は木理の込んだ黒っぽい板に、緑の油で名前を派手に書いたものである。字だか模様だかわからないくらい凝っている。門から玄関まではからりとしてなんにもない。左右に芝が植えてある。
玄関には美禰子の下駄がそろえてあった。鼻緒の二本が右左で色が違う。それでよく覚えている。今仕事中だが、よければ上がれと言う小女の取次ぎについて、画室へはいった。広い部屋である。細長く南北にのびた床の上は、画家らしく、取り乱れている。まず一部分には絨毯が敷いてある。それが部屋の大きさに比べると、まるで釣り合いが取れないから、敷物として敷いたというよりは、色のいい、模様の雅な織物としてほうり出したように見える。離れて向こうに置いた大きな虎の皮もそのとおり、すわるための、設けの座とは受け取れない。絨毯とは不調和な位置に筋かいに尾を長くひいている。砂を練り固めたような大きな甕がある。その中から矢が二本出ている。鼠色の羽根と羽根の間が金箔で強く光る。そのそばに鎧もあった。三四郎は卯の花縅しというのだろうと思った。向こう側のすみにぱっと目を射るものがある。紫の裾模様の小袖に金糸の刺繍が見える。袖から袖へ幔幕の綱を通して、虫干の時のように釣るした。袖は丸くて短かい。これが元禄かと三四郎も気がついた。そのほかには絵がたくさんある。壁にかけたのばかりでも大小合わせるとよほどになる。額縁をつけない下絵というようなものは、重ねて巻いた端が、巻きくずれて、小口をしだらなくあらわした。
描かれつつある人の肖像は、この彩色の目を乱す間にある。描かれつつある人は、突き当りの正面に団扇をかざして立った。描く男は丸い背をぐるりと返して、パレットを持ったまま、三四郎に向かった。口に太いパイプをくわえている。
「やって来たね」と言ってパイプを口から取って、小さい丸テーブルの上に置いた。マッチと灰皿がのっている。椅子もある。
「かけたまえ。――あれだ」と言って、かきかけた画布の方を見た。長さは六尺もある。三四郎はただ、
「なるほど大きなものですな」と言った。原口さんは、耳にも留めないふうで、
「うん、なかなか」とひとりごとのように、髪の毛と、背景の境の所を塗りはじめた。三四郎はこの時ようやく美禰子の方を見た。すると女のかざした団扇の陰で、白い歯がかすかに光った。
それから二、三分はまったく静かになった。部屋は暖炉で暖めてある。きょうは外面でも、そう寒くはない。風は死に尽した。枯れた木が音なく冬の日に包まれて立っている。三四郎は画室へ導かれた時、霞の中へはいったような気がした。丸テーブルに肱を持たして、この静かさの夜にまさる境に、はばかりなき精神をおぼれしめた。この静かさのうちに、美禰子がいる。美禰子の影が次第にでき上がりつつある。肥った画工の画筆だけが動く。それも目に動くだけで、耳には静かである。肥った画工も動くことがある。しかし足音はしない。
静かなものに封じ込められた美禰子はまったく動かない。団扇をかざして立った姿そのままがすでに絵である。三四郎から見ると、原口さんは、美禰子を写しているのではない。不可思議に奥行きのある絵から、精出して、その奥行きだけを落として、普通の絵に美禰子を描き直しているのである。にもかかわらず第二の美禰子は、この静かさのうちに、次第と第一に近づいてくる。三四郎には、この二人の美禰子の間に、時計の音に触れない、静かな長い時間が含まれているように思われた。その時間が画家の意識にさえ上らないほどおとなしくたつにしたがって、第二の美禰子がようやく追いついてくる。もう少しで双方がぴたりと出合って一つに収まるというところで、時の流れが急に向きを換えて永久の中に注いでしまう。原口さんの画筆はそれより先には進めない。三四郎はそこまでついて行って、気がついて、ふと美禰子を見た。美禰子は依然として動かずにいる。三四郎の頭はこの静かな空気のうちで覚えず動いていた。酔った心持ちである。すると突然原口さんが笑いだした。
「また苦しくなったようですね」
女はなんにも言わずに、すぐ姿勢をくずして、そばに置いた安楽椅子へ落ちるようにとんと腰をおろした。その時白い歯がまた光った。そうして動く時の袖とともに三四郎を見た。その目は流星のように三四郎の眉間を通り越していった。
「どうです」と言いながら、マッチをすってさっきのパイプに火をつけて、再び口にくわえた。大きな木の雁首を指でおさえて、二吹きばかり濃い煙を髭の中から出したが、やがてまた丸い背中を向けて絵に近づいた。かってなところを自由に塗っている。
絵はむろん仕上がっていないものだろう。けれどもどこもかしこもまんべんなく絵の具が塗ってあるから、素人の三四郎が見ると、なかなかりっぱである。うまいかまずいかむろんわからない。技巧の批評のできない三四郎には、ただ技巧のもたらす感じだけがある。それすら、経験がないから、すこぶる正鵠を失しているらしい。芸術の影響に全然無頓着な人間でないとみずからを証拠立てるだけでも三四郎は風流人である。
三四郎が見ると、この絵はいったいにぱっとしている。なんだかいちめんに粉が吹いて、光沢のない日光にあたったように思われる。影の所でも黒くはない。むしろ薄い紫が射している。三四郎はこの絵を見て、なんとなく軽快な感じがした。浮いた調子は猪牙船に乗った心持ちがある。それでもどこかおちついている。けんのんでない。苦ったところ、渋ったところ、毒々しいところはむろんない。三四郎は原口さんらしい絵だと思った。すると原口さんは無造作に画筆を使いながら、こんなことを言う。
「小川さんおもしろい話がある。ぼくの知った男にね、細君がいやになって離縁を請求した者がある。ところが細君が承知をしないで、私は縁あって、この家へかたづいたものですから、たといあなたがおいやでも私はけっして出てまいりません」
今思い出しても腹が立つ。
しかし、人間関係に波風立てても良いことないので思いを書き出して供養しておく。
---
私と苦手な彼は同じサークルに所属しており、会員は皆イベンター的な側面を持っている。
そこで私は苦手な彼と出会った。
初対面から苦手な人だな〜と思いつつも、同じサークルにいるから当たり障りなく過ごしていた。
苦手な彼と言いつつも彼は悪い人ではない。
私は苦手な彼の軽口に傷つけられた経験があるので、個人的には発言にもう少し配慮があると良いなと感じる程度。
苦手な彼は別サークルで仲良いグループ作って遊んでるから、私が苦手な側面であっても他の人は気にしない側面かと考え、深く考えることなく距離をとって過ごしていた。
サークル内で「何々が大変だよね〜」とか雑談してる時、「俺のイベントは、あなたのイベントよりも100倍進行が大変」(要約)と軽口を叩かれた。
良い大人だからとその場はスルーしつつも、腹の底に押さえきれぬ怒りを抱えてその日の活動は終えた。
苦手な彼のイベントは、事前準備も大変だし当日もリアルタイムの即興対応の負担が多く管理が大変だ。
私のイベントは、事前準備も同様に大変だが事前準備で大部分は管理できる範囲な大変さだ。
ただ私は、今もハラワタが煮えたぎっている。
感情的な側面としては、私も工数かけて準備して皆が楽しめるようイベント開催運営に腐心してる事実に対し、私の行動が矮小化された気持ちになり私の大変さは大したことでないと、否定された気持ちになった。
それぞれが大変と思ってることに対して、比較する必要があったのか?
反論できたろう。私の大変だと思った内容を理解を図るため、言葉で伝える選択肢もあったろう。
ただ私は伝達する気持ちにもなれなかった。
苦手な彼とは同じサークルで顔は合わすだろう。
---
今回を振り返ると、私は議論が苦手なのかも。
最近仕事では、目的をもって良い選択肢と行動を取るために話し合うスキルを獲得できた。
しかし、今回のように答えのない事柄に対して、相手を説得し合う言葉の応酬するスキルがないのかもしれない。
いや違うな。自分の好きなイベントを議論して自分のイベントを否定されるような結論の可能性もありうるから、結論を出したくなかったのかも。
権力勾配で強制性が発生するのであれば、最も大きな勾配は同業務である松本人志ー小沢一敬間にあるのだから、小沢のアテンド行為自体にも強制力が働いたと見るべきだろう。
たとえ松本からの明確な指示がなくても、公になっている過去の言動から、松本がそれを望んでいるのは明らかな訳で。
小沢は加害者でもあるが、歪な権力構造に嵌まり込んだ被害者でもある。
松本くらい権威を身に纏ってしまったら、セックスに限らず全ての行動に強制性が発生し、パワハラやセクハラの色彩を帯びることを自覚すべきたろう。少なくとも日本国内では。
関係者は多かれ少なかれ接待モードで接するだろうし、松本何か希望を口にすれば(匂わせれば)実現に奔走するだろう。飲食店や宿泊施設、商業施設でも有形無形の優遇を受けているはずだ。
比較的国内での拘束時間が少ない大物ミュージシャンが海外に移住するのは、そういったリスクを無意識であれ感じているからではないか。
わからないことが多すぎる…
ここ数年そんな雰囲気じゃなかったろ。まともに国内でライブもできなかったのに。
日本国内で活躍してからでもよかったって、他のジャニーズアイドルで別に海外に売り出さなくたって海外で見つかってた人はいたよ。
コロナ禍でもアメリカで歌取らせてもらってたじゃん。そんなに売れなかったけど。
2位の世界で飛び抜けて売れたわけじゃないのになんでいきなり世界を目指すのか。
英語ができないのが振りだったにしてももう少しできたろう、他のグループは英語どころか中国語とか他の言語も勉強してたりしてたのに。
海外海外言う割に行動が伴ってないとずっと思ってた。ジャニーさんの海外で活躍っていうのは日本のエンターテイメントを世界にって意味だろ。海外のマネしろってことじゃないよ。
スポンサー様との仕事中に退社したメンバーに会って写真拡散されたのもわからん。
事務所に怒りを向ける理由がわからん。普通の会社でも大規模プロジェクト急に半壊させたらそりゃ腫れ物扱いだろう。
俺が苦しんだのは被害者なのにも関わらず騙されたことを馬鹿にするお前らの存在があったからだよ
この前女子大学生が投資詐欺に引っかかって自殺したニュースでも、リテラシーがないだの死ぬようなことじゃないと馬鹿にマウントとってたが、そんな反応するやつがいるから死にたくなるんだろうが
俺がもし無敵の人になったら、お前らのような人の尊厳を傷付けるやつを真っ先に殺すよ
しかも、お前ら党派性に利用できるとなったら途端に正義のふりして叩き出してるだろ
きっちり混じりっけなしの悪だから
いじめを無視してきたやつらが、自分たちも無視してきたこと責められそうになったら、手のひら返していじめ悪いとか言って怒り出したら、アホかと思うだろ
それと同じだ
お前らは加害者側であって、被害者を守る正義でなんか絶対にない
俺はジョーカーが現れてお前らが殺されることを切に願うよ