はてなキーワード: かねたとは
@Racer_Kamira
藤原かみらは富裕層のボンボンで、会社経営をしつつ趣味でレーサーをやっており本名は藤原能成
https://pbs.twimg.com/media/GcZj4FSbkAA6nHJ.jpg
貴族の藤原氏の末裔で、織田信長の末裔、武蔵七党の末裔、祖父は海軍将校、祖母は女優、親戚は東大卒だらけの名家だという
レースやゲーム実況などを行うYouTuberでもあったが、再生数は2桁の零細チャンネルだった
ところが暇アノンとなり、暇空の毎日数時間やる電波配信を信者目線で簡潔にまとめる動画の制作をするようになってから爆伸び
当初はcolabo叩きに精を出して「仁藤は保護少女を人間牧場に送り込んでシャブ漬けにしている」などと中傷していたが、次第にそっちはどうでもよくなり、堀口英利叩きを目的とする「堀口系」になった
藤原は金持ちだが大学は中退しており、しかし子供時代に公文式でトップ成績だったプライドはあるので、ロンドンの有名大学に通う堀口に対して敵対心を持っていた
暇アノンの間で堀口を全裸にしたり滅多刺しにしたりする画像の制作が流行った際、批判的に画像が引用されると、本名公開済みの藤原が画像制作者とつるんで権利者として削除申立てをしていた(削除申立者の氏名が公開されるのを制作者が嫌ったため)
50近い年齢の藤原はネット黎明期から各地にレスバの痕跡を残しており、20代の堀口が生まれる前のレスバが現在でも観測できる
暇アノン最高幹部として暇空から寵愛されていた藤原だったが、暇空はフェミ系リベラル系にブロックされてぶつかる相手が減ったせいで内輪揉めが多くなり、藤原もやがて攻撃対象になった
最近の暇空は共産党叩きムーブに飽きて仏教系団体「真如苑」が全ての裏にいるという説にハマっている
「かみら」とは古語ではニラのことを指しており仏教の中で触れられることもあるので、つまり仏教用語を名乗る藤原は真如苑の信者だと認知プロファイリングした
また暇空は、堀口が真如苑の暗部に触れたせいで殺害されたと主張しており、藤原が殺害や死体処理に関与していると示唆
藤原曰く、「かみら」という名は吸血鬼カーミラをもじったキャラ「カミラ」に由来するそうで冤罪だそうだが、暇アノンは信じて藤原を殺人犯扱いした
旅行好きの藤原が港町で蟹を食べただけで「行き先は嘘で、これは宗教施設のイベントで食べてる」と暇空は認知プロファイリング
藤原はアルパカ画像をアイコンにしており、人気が出てからはAI絵で作ったアルパカグッズの販売もしていたため、暇空は真如苑の息がかかったアンチ十二神将のうち「羊」に相当するのが藤原だと認知プロファイリングした
公式から買ってくださいって言うけど公式がダフ屋にチケット売ってんじゃんっていつも思う。
一生懸命稼いだ金でFC入って申し込めるだけ申し込んだ抽選ぜんぶ外れた公演のチケットがダフ屋にあったら買うだろ。だって買わなかったらそこ空席になんだから。
某韓国アイドルのFCに3年近く入った頃、ファンの母数が爆発的に増えて公演当たらなくなってめちゃくちゃ転売チケ買ってた。天井席で定価プラス20k位。死ぬほどコスパ悪いと思ったけど、各地方の方言話す推しとか、公演ごとに演出やセトリが変わる可能性もあるからどうしても見たかった。実際に初日と2日目以降でセトリが変わったことがあって、そこからはより熱心にできるだけ多く観劇したいと思うようになった。
同じドルオタの友達に頼んで一名義増やしたけど、コンセプトの変化についていけてなかったり、コロナもあって熱が冷めてしまった。コロナ禍が空ける頃にはもう自名義か友達名義かどっちか当たればいいや位の気持ちだった。
2年前に友達名義のチケット持って地方遠征して入場したとき、初めてランダム本人確認にぶち当たって入場拒否された。友達が行けなくて代わりにきたから(これは嘘だけど複数名義だから)高額転売じゃないとか、発券前だったから私が発券して支払いした領収書すぐ出せるとか、友達に今すぐ連絡して身分証明書の写真もしくはカメラ通話で証明してもらえるとか、粘ってみるけど無理だった。
ゴネている間にスタッフが2人、3人と増えていき、そのうち一番年配ぽいスタッフと口論に発展した。スタッフたちの「券面名義と顔写真付き身分証明書が一致しなければ入場できないと規約にある」って正論が効きに効きまくってピキってたので。
「同じように券面の名義と入場者が一致していないのに観劇できる者がいる可能性は認めるのか」「もし認めるならそんなのおかしいから全員に本人確認しろ」と言えば「不公平性は理解できるが来場者全員への本人確認は様々な問題がありできない、私たちもやりたい気持ちはある」と返される。気持ちがあるんだったら今この場でやれよ早く!と声を荒らげてしまう。
見かねた別のスタッフが「近くに券面名義の友人はいないか?」と質問してきた。意図が読めず答えあぐねていたら「もし近くに友人がいて、顔写真付き身分証明書があって券面と一致すれば入場できる」と信じられない言葉が続く。まあ友人は私に名義貸してるだけだからその場にいないし無理なんだけど、もしいたとして、それが罷り通るのおかしいだろ。結局券面名義と入場者はノットイコールなのに、券面名義と顔写真付き身分証明書がイコールだったら別人が入場できるんだ!
二の句も継げずに絶句したのち、あまりにも屈辱的で惨めで辛くて悲しくて苦しくて結局規約違反してるのは自分だからチケットも入場者特典も全部その場に捨てて退場した。癇癪持ちの自己表現終わりすぎている。
この一件で友達名義も自名義もFCの更新をやめてオタクをやめた。もともと曲も好みじゃなくなってたし事務所が買収されてから運営が最悪で、グローバル色が強すぎたりグッズデザインやら何から何まで酷くなってたので潮時だと思った。
転売チケ買ってた頃から考えてたけど、この頃から一層公式がダフ屋にチケット売るからダフ屋から買うしかなくなるんだろって、より強く思うようになった。今はSNS等を介した個人間の高額転売が主流だろうから少し違うのかもしれないけど。
でも考えれば考えるほど「チケットは誰でも買えるのに入場できるのは券面の人だけ」って、変なシステムだなと思わない?FC先行だって複数名義で実際には行かない人が購入することが可能じゃん。プレイガイド先行もアカウント作れば簡単じゃん。なのに入場するときは絶対に顔写真付き身分証明書と券面の名義が一致してないとダメっておかしいよ。
だったら売る時よりももっと前から本人確認を徹底する必要があるんじゃないの。FC入会やプレイガイドのアカウント登録時に顔写真付き身分証明書の登録を必須にして、有効期限が来たら登録内容の更新も必須、来場者全員に入場時の本人確認を実際して、登録済の顔写真付き身分証明書以外は使用不可。ここまでやってくれるんだったら、「本人しか買えないチケットだから本人しか入場できない」って認めるよ。
金がかかるって言うんだったらチケ代なり年会費なり上乗せすればいいよ。なんなら1人1名義徹底する代わりに課金アイテムとして「1名義毎の抽選回数を増やす権利」を売ればいいじゃん。入会期間に応じて抽選回数は増えるようにすれば古参にもメリットいくよね。課金アイテムは使用したら消滅するシステムにすれば、熱量の高いオタクは毎回買うし、あんま高くなくてもどうしても行きたい!みたいなオタクは今回だけ買う、みたいなことができるしね。学生とかどうすんのって言われんだろうけど、推し活(笑)って身の丈に合う範囲でするものなんでしょ。アイドルだってアーティストだって歌手だってビジネスなんだから、金がかかって仕方ないんだよ。金で解決できんなら安いもんじゃん。
結局、紙切れ一枚にそれだけお金を出せる人がいるのに公式がその値段で売ってくれないからダフ屋が間に入って高額転売になるんでしょ。大衆ドルとか知ったこっちゃないから、自分たちのプレミアを自覚して、もっともっとお金を出せる人から出してもらって、難しい人には廉価で楽しんでもらう、くらいの、気概を、、見せてほしいよ。
昔(本人確認が実施され始めるより前)自名義で2枚取ったチケットが余って、「半額でいいから来てくれない?!」って友達を誘った。そのあと友達は自分でFC入って地方遠征したりするまでになってた。私が誘ったときのチケットは2階スタンドで、ステージからの距離は遠かったけど大きなスクリーンと外周いっぱいを走るトロッコのおかげで楽しかった。なにより自分と同じものを好きな人たちと一緒に、普段なかなかお目にかかれない推しの一挙手一投足を同じ空間で見ることができるのってめっちゃ楽しい。コンサートって画面を通じて見るものとは全く違うから、現地で、生で、全身で感じながら観てこそのものだと思うからこそ。
ちなみにこの某韓国アイドルは公式リセールシステムがあって、私のチケット云々の件は友達名義のチケットをリセールに出して自名義にすればよかったのかなって後から思った。実際にやってる人もいるだろうし。
今後リセールシステムが整備されていった先の未来では、マネーロンダリングならぬチケットロンダリングが主流になるんじゃないですかね。
高額転売って悪いことだって分かってるよ。なくなってほしいし、そのためには買う側がいなくなることが大切なのも理解してる。でもそれ以上に、売る側のシステムが抜本的に改革されなければ、買う側だけがダメージを被り続けることになるんじゃないのってずっと思ってる。
最近、映画中に劇場で携帯を操作する人についてのツイートが話題になっていた。
キチガイだろ pic.twitter.com/dVBIdA83YJ— クライムクライム (@crimecrime39) May 5, 2025
どうしても自らの中で感情を消化できない出来事があったので、こちらで愚痴らせてほしい。
先日、劇場へ舞台を観劇しに行った。普段からよく観劇する機会があるため、マナーについてはよく気にする方だ。
公演が2/3ほど進んだ頃だろうか。前に座っていた客が、公演中にもかかわらず、おもむろにスマホを取り出し、電源をつけて操作を始めた(おそらく開演前に主電源から切っていない様子)。
公演前にスタッフから携帯操作についての注意喚起がなされているにもかかわらず、である。
画面の様子を見るに(本当は見たくもなかったが、後方席だったために舞台上を観るにはその人がどうしても視界に入ってくる状況)、LINEか何かでメッセージの返信をしているようだった。
最初は、急用でどうしても返信しなければいけないことでもあったのか?、すぐに操作をやめてくれるだろうと思い、見過ごしていた。
しかし、数分経っても操作をやめる様子はなし。どうしても内容に集中できなくなってしまったため、「スマホいじるなら、会場を出てやってもらえませんか」とお声がけした。座席の状況上、注意できるのは私と私の隣の人の二人のみだったため、どちらかが言わなければ操作し続けるような状況だった。
お声がけをした当初はやめてもらえたが、10分もしないうちにまた同様にスマホをいじり始めた。
今度は返信にとどまらず、他アプリの操作も始めているようだった。
2回目も同様のお声がけをしたのですが、逆に「いいです、結構です。ありがとうございます。」と言われてしまった。
私からすれば、結構な状況ではないのでお声がけをしているのだ。まるでこちらの方がより迷惑をかけているかのような返信が、なぜできるのだろうか?
その後も、おそらく私から見えない角度になるように操作を続けて、結局は公演の最後ギリギリまで操作を続けられた。
本来なら納得できずにそのまま帰るのだが、どうしてもその日は腑に落ちず(今後同様の被害者が出るのも嫌だと思ったので)、公演後に改めて「スマホをいじるのであれば、会場の外でお願いできますか。非常識です。」という旨をお伝えした。
すると、「(注意した際の)肩のたたき方が…」と論点をずらされ、「お互い悪いのだから謝ってほしい」と言わた。理解できない。当然馬鹿力で叩いたわけでもなく、あくまでトントンと叩いた程度である。
謝ることには納得できるわけもなく、それを見かねたお相手がまた「いいです。結構です。」と言い始めた。
「私が実際に迷惑を被っているのだから、結構ではない」とお伝えしても理解してもらえなかった。何を言っても理解してもらえるような相手ではなかったとも思う。
後から思えば二度も注意せずに、諦めて劇場のスタッフに言いに行けば良かった。周りを見渡す限り劇場内にスタッフはいなかったため、すぐに言える状況ではなかった。
迷惑をかけられている立場の人間が観劇を中断して、席を立たなければいけないのかも納得できない。
頭に血が上ってしまい、少し言い方が強かったかもしれない。話の伝わらなさそうな相手に二度も言ってしまったことは、周囲に迷惑だったなとも反省している。
なんだろうね、こういう手合いのロジックって、いつも自分にとって都合のいい場所でストップさせてる。
ならば、その批判を批判するのも自由であるはずで、そういった循環ひっくるめての自由なはず。
果たして「俺の発言は全て受け入れられなければならない」と思っているのは誰なのだろうか。
「表現を選り好み」するのは結構だけど、「表現の自由を選り好み」していないだろうか。
究極的に自由を追求するならば、当然ながら統制が一切ない状態こそが理想なわけだが、現実問題として野放しだと支障が出る。
例えば「生きる自由」と「殺す自由」が共存できないのは、それぞれの利害が衝突するからだ。
衝突し続ける社会は機能不全を起こすため、究極の自由は妥協して権力が介入する。
この場合、生きる自由の方に肩入れしないと社会の歯車たる人間がいなくなるため、権力は生きる自由に有利なルールを作るわけだ。
ただ「生きる自由VS殺す自由」なんてのは分かりやすい方で、実際問題「自由VS」は公平性や客観性のもとジャッジされているといい難い。
生きるか死ぬかの切迫感などなく、「集団の利益」という多数決、或いはそんな建前すらなく「声が大きい人」が目立ち、それを見かねた権力側が統制を図るというのが現状だ。
その権力側だって、権力闘争を勝ち取った結果であり、正しいだとか良いかなんて必須条件ではない。
だから「特定の自由からみた利害」、つまり恣意や主観が入り込む余地なんていくらでもある。
そんな現状から逆算して「これは良い自由だから、自由なんだ」だとか、「これは悪い自由だから、自由じゃないんだ」っていうのは大した理屈じゃない。
俺からすれば、昔そういう統制によって不自由な思いをしてきた(と思ってる)側が、自分たちの利害のために現代の統制を「自由だ」っていうのは酷く欺瞞的に見える。
ただ、賛成派も否定派もそこらへんの認識を共有できてないし、俺もダルくなって途中で「まあ、そういうのも含めて自由だよな」って感じで言及するの飽きちゃうんだよな。
これを書いているのがdorawii本人であってもなくても構わないように書くけど、如何にユニークかなんてこの場において関係ない。
仮にそのユニークさを名乗らなきゃ担保できないんだったら、その程度ってことでしかない(実際、挙げられてる記事は大して反響がない)。
そして、そのユニーク担保を「はてな匿名ダイアリー」と書かれてるのを無視して、「名前を隠して楽しく日記。」と書かれてるのを無視して、「AnonymousDiary」と書かれてるのを無視してまでやってる。
『自分で言うのもあれだが』って書いている以上、わざわざ誇示することの問題意識はあるんだよな。
だったら「名乗ってまで書きたいことがあるなら匿名ダイアリーでやるなよ」って指摘も理解してるんだよな。
その点について何の大義名分もなく、論理武装もできてないのも分かってるよな。
擁護している他の増田(?)すら「大目に見ろよ」を違う表現に言い換えているだけか、言及側の悪印象にシフトさせようと煙に巻いているだけで、大した理屈がない。
まあ、「匿名ダイアリーの看板を無視してる」って点が事実で、その前提が覆らない以上、いくら詭弁を弄してもこっちがいうことは何も変わらない。
匿名ダイアリーみたいに観客が多くいる場所じゃないと注目されない、名乗らなきゃ担保できない程度のユニークさ。
そんなものは事情ですらなく、超個人的な自己顕示欲、承認欲求でしかない。
自己顕示欲、承認欲求があること自体が問題なのではなく、そのために看板に書かれてることを無視しているのが問題って話だ。
だったらマナーの悪い路上パフォーマーって印象は変わらないし、そんな輩に「マナー悪いよ」、「他所でやれよ」と指摘するのは妥当だろう。
ルールがないからマナーが悪くても問題ないと強弁を張っても、否定的なサンクションはあるだろって話。
だから、こっちは見かねたら「名前を隠して」指摘し続けるまでだし、それがこの場においての正道。
というか前記事から言及していることの念押しだからな、ここまで書いたことって。
大澤優真/OSAWA Yuma
@yumananahori
大晦日の夜は路上で生活する方々に年越しそばを届けに行きました。
お話していたら歩いていた4~50代の男性が「何やってるの」とお話ありました。
それ自体は問題ないのですが、マズい感じの近付き方でかつ酔っていたので同僚と私の方でトラブルにならないように対応していました。これは珍しくはないです。
(略)
女性である同僚の顔に近付いて「抱かせてくれない?」と言いました。
極めて失礼なので怒りたい気持ちでしたが、トラブルを防ぐために抑えて、とにかく遠くに場合によっては交番に一緒に行こうと何度も伝えました。
そうしたら、男性は「え、なにフェミニスト?」「あんたたちNPO?」「どこから金でてんの?」とか「俺は暇だからさここいるわ」「俺に惚れるかもしれないじゃん」とかありました。そんなことはないっすねお兄さんとお伝えしました。
「なんで?何があるかわかんないじゃん」と言われたので「いや無理でしょ」とお伝えしました。
唾が飛んでくるほど顔を近付けてよくわからないことを執拗にずっと言ってくるので、みかねた通行人の方が通報してくれたらしく警察官の方が3人来てくれました。
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今オフに日本に戻ってくる可能性を示唆、他の球団についても「オファーがあれば話だけは聞いておきたい」と発言
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この言葉を聞いたファンは「恩知らず!ルールの悪用!話を聞くな!」と激怒
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上沢からは特に発信なく、日ハムの施設で練習していることや、日ハム選手と交流していることが報じられる
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そこにソフトバンクが4年10億でオファーを検討しているとの報道
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これに対し(何に対し?)ファンはさらに激昂、功労者の上沢に心無い言葉を投げつける
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見かねたファンの一部が、まだ確定してないんだしもっとポジティブに俺たちの想いを伝えようよ、と「上沢投手どこにも行かないで」を合言葉に発信をはじめる
↓
すでにソフトバンクに行くと思いこんでいる日ハムファンは「あんな裏切り者いらない!」とよくわからないことを言っている(裏切ってない)
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結論: 思い込みや決めつけで有名人を誹謗中傷するのはやめましょう。上沢投手自身が何か発信するのを待てませんか?日ハムに帰ってきてくれてもあなたの発言はなかったことにできないのですよ?
というかプロ野球ファン、選手のキャリアに口出しすぎ。入る球団も選ばない中でたまたま入った球団に骨を埋める覚悟を強要するのはパワハラと一緒だぞ。思いを持つのはいいけど、節度を持ってほしい
当時は本当に人と関わりたくなくて、相部屋の人とも全く話さず、医師や看護師さんとだけ最低限の会話をして過ごしていた。
何かをする気力もないので、ぼんやり廊下から聞こえる話し声を聞いて暇をつぶす。年の近い女の子は飛び降りで足を骨折したそうで、歩くリハビリをしている。おばあちゃんは認知症。足の治療が必要で、高齢者施設からこの総合病院に移ってきたらしい。ここがどこかわからなくて、いろんな人に家へ帰りたいと訴えている。他にも、ナースコールを押しまくっては看護師さんに自分の偉さを説くおばさま、何故か診断がつかないとため息をつくお姉さん。研修医が後輩だったりもした。
静かだとナースステーションの声が聞こえるようで、愚痴だったり、研修医くんがミスをしたのか怒られていたり、かなり詳細に聞こえるので大丈夫かよこの壁の薄さ……と呆れていた。
研修医くんの怒られはだんだんエスカレートしていき、音だけだけど、偉い教授もいる会議?の場でかなりひどく叱責され、ある日は数人から暴力を振るわれているようだった。
現場の看護師さんからもかなり嫌われてしまったようで、愚痴は彼の事ばかりになった。ストレス発散になるから、とか言って暴力を振ることもあった。
いい大人がこんないじめみたいなことするのか、しかも入院患者に気づかれるほどに……。しかも暴力ってもはや警察沙汰なんじゃないか?
入院患者の共有スペースには公衆電話が置かれていたが、通報しようとすると繋がらなかった。
母とは時折電話していたので、彼のことを話した。
元々ドラマなどの暴力シーンが苦手だったこともあり、話していたら我慢していた涙があふれた。
その看護師さんは比較的彼への暴力に加担していなかったので、ダメ元で話した。できるかわからないけどどうにかしてみるね、とのことだった。
次の日、職員はひとりずつ警察と面談することになったらしい。私が外部に情報を漏らしたことがきっかけのようだ。
「私ちゃんのせいで、もうストレス発散できなくなるじゃんどうしてくれんの」
「しゃべらなきゃ大丈夫じゃない?」
昼食には手を付けなかった。
身の危険を感じた。
そういえば消火ホースが共有スペースの近くにあった。
消火ホースの扉を開けて、ホースを持ち上げて、ナースステーションに向かった。
そこで、取り押さえられた。
なんでこんなことしたの?と医師。経緯を説明。そんなことをする人は断じていない、と医師。経緯を説明2。医師は繰り返しそんな人はいないと言う。かなり怒っているようだった。
話しているうちにある可能性に気づく。これって統合失調症だ。それとも隠蔽?いや……
恐ろしくて漏らしたのはこのときが初めてだった。
ナースステーション内の話し声なんて全く聞こえない。
それ以来、見えないところから聞こえる話し声や音は聞かないようにしている。聞こえても、信じない。
以下の投稿を読んで、思い出した話です。
https://x.com/kedamikedami/status/1860307404413710659?t=LHz_ifjQ6cL5xIe01FyTQA&s=19
私の母は狂人だった。私が母に母らしい親しみを最後に感じたのはいつだったか。
この人が母親であることが嫌だなと思ったのは、中学校の三者面談の時に、
私が担任に褒められるとみるや否や、
「うちの子は親の敷いたレールの上をただ走ってるだけですから」
と言い放った日のことだ。
きっとその前からおかしかったのだろうが、中学くらいからはっきり「この人はおかしい人だ」と思うようになった。
私が「学校の先生には電話しないで。家で文句言ってるだけだから」と言っても、
「母は私の言ったちょっとしたことをわざわざ学校に電話をするところがあるから、
もし母が電話をかけてきたら話だけ聞いて、あとは無視して、私に電話があったことを教えてください」
とお願いをした。
その年は3回、担任から「カーチャンから電話があったぞ」と言われた。
大学で一人暮らしを始めようというときに、私は新居に向かう道に迷ってしまった。
母に「マンションって駅出てどっちの方向に向かって歩けばつくんだっけ?」と電話したら
「はぁ?あんた何意味の分からないことを言ってるの?」と言われた。
「ごめん、分かんなくなっちゃって。私方向音痴だし」と応じたが、
「何言ってるの?意味の分からないことを言わないで」とよく分からない回答。
その後何度状況を説明しても、
「意味が分からないわよ」「道が分からないって何」「どういう意味なの」
と全く会話にならない。
家には無事たどり着いたが、その後、「道は分かったの?」と聞かれて、ますます怖くなった。
「なんであんな訳の分からない対応したの?」と聞いても、「別に」としか言わなかった。
だが、その土地は父にも母にも、合っていないようだった。
「私の通ってるジムのインストラクターさんがね、私のことを好きになっちゃったみたいで困ってるの」
「20代の子なんだけどね、ほら、私って楽しそうに何でもするでしょう。
だから、それがすごく良かったみたいなの」
だから私に嫉妬して、いろんな人を使ってあとを付け回すようになったのよ」
「ほら、この後ろの車もそう。」
母は著しく車の速度を落として、バックミラーを睨みつけた。
私には、時速50kmは出すような道で、時速20kmで走られて困ってる老夫婦がいるようにしか思えなかった。
私は「ねぇ、そんな遅く走るの逆に危ないよ。事故に遭うからやめなよ」と言ったが、
「何言ってんの、あいつらは私に嫌がらせをしてるのよ!」と言って聞かなかった。
「いや、他の車の迷惑だからやめなって」と言うと、母はしぶしぶ普通の速度で運転をし始めた。
「あの人たちがその婚約者の人の仲間だなんて証拠あるの?」と聞いても、
「私には分かるのよ」としか答えてくれない。
家に帰ってもその話は続く。
「その婚約者はね、嫉妬から呪いをかけてね、電球の中に狐を送り込んできたの。
見てごらんなさい、狐がいるでしょう」
どれどれ、と家の電球をのぞき込んだが、私には狐を見つけることはできなかった。
暗くなって、部屋の中に車のライトが入ってくると、「きゃあ!」と母が叫んだ。
「狐、狐よ!ほら、狐の目を光らせているのよ!」
「車のライトだよ」と言っても、狐だと言って聞かない。
「こうやってね、光を部屋の中に入れて、私のことを焼いてくるのよ』
「ほら、みて、これが光で焼けたあとよ!」
そう言って、どう考えても腕に出来た老化によるシミを見せられた。
たまりかねた父が「そんな光線なんて送れるわけがないだろう!そんな装置は何億とお金がかかるんだ!」と怒った。
母は負けじと「そうよ、その婚約者はお金持ちだから、何億でも使って私に嫌がらせをするのよ!」と言い返した。
「お金を積んだってなかなか手に入らないだろそんなもの。あなたの肌だけを焼く装置なんてありえない。
そんなものはNASAとかそういうところでしか作られないんだ!」
どうして父がアメリカの航空宇宙局の名前を出したのか、あまりに脈絡がなくて不思議に思った。
父は父なりに、母にも分かる「なんだかすごいところ」の名前を出して、説得しようと必死だったのだろう。
父の努力もむなしく、母は「私はNASAに狙われるほどの特別な人物だ」と豪語していた。
私は一人暮らしの家に帰るときに、父に「病院に連れてった方がいいよ」と伝えた。
数カ月くらいで、母は変なことは言わなくなった。
あれから何年たっただろうか。
「向かいの家の大学生の男の子に、一日中ずっと部屋を覗かれてるみたい」
もし忘れていられるとすれば、私は母のことを忘れていたいと思っている。
遠くに住んで、たまにおしゃべりするだけの存在だったらどんなに楽かと思う。
でもどうやらそれは難しいようだ。
ハロウィンギャルのイラストにつけるセリフとして、いわゆるオタクにやさしいタイプか、辛辣なタイプか決めかねたからアンケートを取ってみた
ギャルと一言でいってもキャラデザやシチュエーションによっていろいろ変わってくると思うけど、
いわゆるトーヨコでウリをやってるような子やハロウィンで渋谷でコスプレするような子については後者のイメージがあって、
それをそのままフィクションでも感じたいんだなと思った
別にやさしくされたいわけではない、いちゃらぶしたいわけではない。
性欲を満たしたいだけ。
キャハハと笑いながらさげすまれることで興奮することもある。
殊勝さや純情さというギャップ萌えもあるのかもしれないけど、オタクが想像しうるギャルの共通認識に近いほうが共感を得やすいんだろう
ただgdgdいっといてなんだけど一番大事なのは自分のリビドーだ
お金にならないブクマやいいねのために大衆に迎合するものをつくっていたら、自分の魂が死んでしまう
お金をもらわないなら好きなように作ればいいんだよ
数年前に旅行先で偶然見かけた建築系学生のコンクールかねた展示会。
強風で目の前で作品が倒れて、親子連れに当たった。お母さんにかすっただけで大怪我はしなかったけど、運が良かっただけで危なかった。
あれどうなったんだろうと後で調べたら、なんか最終的に賞取ってたんで唖然とした。
観客に中に入ってもらう、くぐってもらうって作品が、固定が甘くて倒れて実際人に当たってるのに受賞するんだと。
事故ってもそれは減点にはならないんだねえ。
人の命と斬新さと天秤にかけて斬新さを取っちゃう業界なのかな。石が落ちてもなんかの賞取っちゃうんじゃないのかね。
石の休憩所みると、あの時倒れた赤い木組みの作品を思い出す。
コロナが逸り始める前にペットショップでひとめぼれして、一時間くらい眺めてたら見かねた店員さんが抱っこさせてくれて、即決した。
可愛かった。あの時も、今も。茶色と白の毛並みがとってもきれいだった。
普通なら1キロ以上の体重になるはずなのに、うちの子はずっとずっと小さかった。ごはんを食べさせてもおやつを食べさせても、ずっと赤ちゃんみたいな顔と身体をしていた。
たまにペットショップに弟君が欲しいね、って他の子を見に行ったりしたときに、うちの子の小ささに毎回驚愕していた。
その子が、もう、いない。
寿命はだいたい5年から10年だから、早すぎる。本当に、早い。全然そんなそぶりなんてなかったのに。
つい先日までとっても元気で、ボールに向かって腰振ってマウンティングまでしていたはずなのに。
いつも足元にうずくまってうとうと船をこいでいたあの子は、机の下に潜り込んでおいで、と手招きしたらがう!と邪魔するなとでも言うように怒っていたあの子は、
私の足の周りをくるくる楽しそうに駆けずり回っていたあの子は、もういない。
私の腕の中で亡くなって、そのまま硬く冷たくなって、お空に旅立っていった。
火葬もした。骨も拾った。高いベッドに軽々と昇って来ていたあの足を支えていた大腿骨が、こんなに小さくて細くて頼りなかったんだなって初めて知った。
あの子に会いたい。会いたくて、ペットショップのHPを見たり足を運んだりしているけれど、どこにもいない。
また来てくれるって信じているけれど、まだ時期じゃないのかも。わかっているけど、探してしまう。
他の家族は、あの子と似ていない子のほうがいいよ、重ねてしまうから、って言っている。それはとてもわかる。理解はできる。重ねて見てしまうだろうな、と自分でも思うけれど、
最近はてブでも九州叩きが盛り上がっているようだが、九州人は、この際開き直って男尊女卑文化を全国に宣伝してはどうかな?!!!?
中傷に対する逆転の発想で、東京から押し付けられる、ジェンダー規範やSDGsなどのルールをガン無視する地域があってもいいじゃんと思ってきた。
九州中国四国関西、西国の人間は昔から、中央の方針に刃向かって生きてきた人たちだ。
薩長土肥による明治維新自体がそうだろうし、長州征伐、西南の役、萩の乱、佐賀の乱、神風連の乱、などもそう。
さらに古くまで遡れば、豊臣秀吉の九州征伐や隼人の乱、磐井の乱だってそう。
弘安の役の際には元軍に勝利し、肥前国鷹島にて元軍十万余を殲滅した武功もある。
そういう人たちの子孫があなたたちで、出自や文化をもっと誇りに思ってもいいと思う。
九州出身の男からは走って逃げろ(6万いいね)みたいなど直球の差別に屈するんじゃない!
昨今の中傷に耐えかねた人たちはみなスマホをもち、指の体操をしてから、Xを開いて、中央の思想侵略に立ち向かうべきだっ!!!!
Twitter(X)でもいいけど、TLの雰囲気を悪くしたくないからとりあえずここに吐き出しておく。お披露目から二晩三晩経っても、脳内から感情が消えなくて生活に支障が出だしたので供養の意味も込めてる。割と感情のままに書き殴ったから乱筆乱文。
先に本旨を要約すると、私はポジティブな感情からネガティブな感情に変化し、今は少しずつ前向きになってきている。
雑な言い方をすると、呪術オタが雑考察してフジを腫れ物扱いして燃やしてんのがキツすぎ。作者よりも呪術オタの挙動がフジファンの傷を抉ってる。でもだんだん立ち直ってはきてるしついでにお願いがあるよ。ということ。
【↓↓↓↓↓以下約5,500字↓↓↓↓↓】
8/25の夜、配信でじゅじゅフェスを観ていて、最後に巻頭カラー絵のお披露目があった。人生の半分をフジファブリックにどっぷり浸かって生きた私は、ひと目でアルバム『CHRONICLE』を模していると気付いた。
結論から言うと、好きなバンドと好きな作品が思わぬ形でコラボしたことに驚きと歓喜が止まらなかった。
そのときの感情をTwitterの本垢(フジファブリックはじめ音楽と日常メインにつぶやく)に突発的に書きなぐって投稿した。ひと目見て気付いたこと、そして作者も私の好きなバンドのファンであることが伝わってきたことなど。
そして、呪術廻戦にハマってから作った、漫画アニメだけをつぶやいたり、ファンアートにいいねしたりするアカウントで、ファンたちの感想(じゅじゅフェス)を拾っていった。
そこで私はショックを受けた。呪術廻戦ファンの間でイラストに対して「正気を疑う」「倫理観ない」「不謹慎」「バンドのファンや遺族に失礼」などの言葉が並んでいたからだった。
さらにはひと目見て「犬がいる!かわいい!」と好意的に受け取っていたアカウント主すらも「オマージュ元を知って地獄に落とされた」という主旨の投稿をしていた。
このショックを言語化するのに時間がかかって、友達の力も借りながら受け止めて今に至る。
正直に言うと、これらの呪術廻戦ファンの声を受けて、私は ①悲しみ ②怒り を感じている。
そして今は、これらを踏まえて ③祈り に近い感情も浮かんでいる。
①悲しみ に関して
私の人生をかけて愛したバンドとアルバムの名を用いて作者にヘイトを向けている投稿が散見されること。
フジファブリックという文字、志村正彦の人生の結集といえるアルバム『CHRONICLE』の文字と、「吐きそう」「気持ち悪い」「正気を疑う」「地獄に落とされた」「倫理観おかしい」という強い批判、もとい軽蔑の言葉が並んでいること自体が悲しくて悲しくてたまらない。
彼らにはもっと前向きで明るい言葉が似合うのに。「変態的かつ普遍的な美しさ」「クセになるサウンド」「新境地」「世代を越えて愛される」など、フジファブリックを応援してきたファンやメディアは素敵な言葉を紡いできた。
作者に批判の言葉を向けさえすれ、誰かを不快にさせる行為や言動は行為者の一面に過ぎず、行為者そのものの価値観や人間性を否定するものではないと私は思う。
そして私は同時に五条悟オタでもあり、作中で亡くなったことに悲しんだ経験もある。
ちょうどその話が掲載されてから1年弱経とうとしていることも思い出し、その当時は私の落ち込んでいる様子を見かねた友達や同僚が励ましてくれた。一方で、デリカシーなく「死んじゃったねw」と心のヒビを直接割る言葉をかけてきた人にも遭遇した。
このようなことを、五条悟を愛する人なら、少なからず経験したのではないだろうか。
同じように、五条悟を愛するがあまり、フジファブリックファンの心に残る微かな傷を、その強い言葉でほじくり返しているかもしれないことは考えられないだろうか。
作者はこういうことも勘定に入れて、「諸々の意味を込めて」とあえて濁したコメントしたのではなかろうかと私は思う。
6年半も続く大作を描き上げるにあたって、これだけ出版業界の不況の中、掲載誌の売上を落とさぬよう、耐え難いプレッシャーや責任を感じながら物語を続けていく自身を、軸となるフロントマンを喪って再始動した経歴をもち、過酷なプレッシャーの中それでいて15年も走り続けたバンドと重ねたのかもしれない。
②怒り に関して
こっちのほうがショックの中に占める割合が大きい。
前述した強い軽蔑の言葉にフジファブリックを並べてほしくないという怒りは先立つ。
次に、メンバーのパーソナルな情報が、漫画のファンによる考察(という体裁の下衆の勘繰りと言いたいくらい)の道具として利用されたことに怒りを感じている。
ご存知の通り、志村正彦は2009年12月24日に29歳という若さで突然この世を去った。これは揺るぎない事実である。
しかし本来、生年月日と同じように命日も非常にデリケートな個人情報である。彼がミュージシャンとして世に出ることがなければ、近親者は知れども、世界中の誰もが知り得なかっただろう。
対して創作物の登場人物はどうだろうか。物語において読者は、登場人物の動きを第三者的に、いわば神視点で見守ることができる。キャラクター同士の内緒話だって筒抜けだ。そうした舞台上の人物たちと観客とはいわゆる“恋愛テクニック”のように「秘密の共有」ができる。この恋愛にも似た興奮を私たち読者は楽しんでいる節があると思っている。
フジファブリックはバンドという周縁はコンテンツだとしても、メンバーは実在の人物であるがために、当然プライバシーを尊重されるべきである。実際、ファンやインタビュアーはメンバーの私生活に関して踏み入ったり聞き出そうとしたりしない。
命日や享年というデリケートな情報を持ち出して、その事実を安易に繋げたうえに、尾鰭をつけてありもしないストーリーを勝手に繋げていく行為が、私には他人の家に土足で上がりこむ行為に見えてならない。
曲がりなりにもオタクなら、プライバシー情報とコンテンツたらしめるものを分けて考えてほしい。
例えば、2つの事実にA、B、C、Dの4つの共通点があるとして、AとBとを繋げば万人が心地よく終われるものを、いくら線で結べるからといって、CとDを繋いで、恣意的なストーリーを生み出されては、どちらの側も良い気持ちはしないだろう。
だから、「この位置に五条悟が配置されているから…」「バンドは存続しているから五条悟は死から復活する」など、死去の事実からの逃避や不確かな根拠を並べ立てられるのは、両者のファンとして理解に苦しむ。
Twitter(X)では常日頃からしょーもない話題が炎上しているが、よくある例として「これでは〇〇が可哀想」という構造をしているものがある。
こんな親に育てられて可哀想、こんな飼い主に育てられて可哀想、こんな環境に放り込まれるなんて可哀想…など枚挙に暇がない。
それと同列で、当人の感情を勝手に想像してバンドのファンや家族に対して「嫌がっている」「失礼だ」とレッテルを貼る行為はそれ自体が失礼に値するように思える。
私自身、人生の半分といえど他と比べるとまだまだファン歴は浅いものだと自覚しているが、
曲がりなりにも十数年応援してきた身としては、苦しみや悲しみを押してまで志村正彦の全てを提供してくださっている志村家と地元有志の皆様には感謝してもしきれない。どんなに苦しもうとも、それ以上に彼の生きた証を残したいという使命のもとご尽力くださっている姿を見れば、どんな形であれ、一人でも多くの人に彼の存在が知られることは彼らへの報いではなかろうかと私は考えている。
だからこそ、彼を取り巻く話題は明るいものであってほしいし、そうなるよう関係者もファンも努力している。
それを、「ファンではないけど」「バンドは存じ上げなかったけど」と枕詞を載せて外野から関係者ヅラして物申していることが腹立たしくて仕方ない。許可取り云々の話ではない。無知蒙昧を晒し、それがフジファブリック関係者に届くことこそ最大の無礼ではないのか。
あとイチャモンついでに、現体制の3人のメンバーを「残りのメンバー」って言ってるのは何なんだ。3人は残りものなんかじゃない。言葉尻を捉えるようだが、夫を亡くした妻を未亡人と呼ぶような気味悪さが残る。甚だ不快だ。
個人的に言い得て妙だと思ったのが、志村時代をリアルタイムで知っている先輩ファンの「ファンでもない奴らが騒いでいる」「不謹慎厨じゃねーか!」という発言だった。正直この発言のお陰で少し溜飲が下がった。
フジファブリックはメンバーも関係者もファンも優しい人ばかりだから、強い言葉に対して萎縮する(私もその内の一人)のではと思っていたが、ファンコミュニティで軽蔑ではない言葉で真っ当に怒りを表出できる人の存在に救われた。持つべきものは信頼の置ける先輩ファン。
もちろん、一連の話題にモヤモヤが抑えきれず、私が呆れた呪術廻戦オタクのように作者や作品への痛烈な批判を長文で述べた先輩ファンもいた。
奇しくもこれの執筆最中に更新され、何周も読んだが、確かに納得できる内容で、その視点も勿論いちファンとして持ち合わせている自分を認識できた。
あらゆる表現物すべてにおいて、意味や意図が付随する。それら全てを拾ったとして、特に何を取捨選択するか、とりわけ「何を言わないでおくか」も巷で話題の“教養”とやらに含まれるのではないだろうか(一つ留意しておきたいのが、表現の意図として無意識に語られるもの、特に特定の属性への偏見や差別に関しては無視してはならない)。
少し脱線するが、ネットで語られるような“教養”と“雑学”はしばしば混同されているように感じる。いたずらに知識量を増やし自己のための娯楽として完結するものではなく、悲劇の再来の抑止や自分自身や後進の未来と社会を豊かにするために、蓄えた知識の中から取捨選択し、それらを原動力として行動することを教養と私は呼びたい。
③祈り に関して
簡潔に言えば、こんな言いがかりやイチャモンをつけている暇があったら、問答無用にフジファブリックを聴いてください!ということ。
件の『CHRONICLE』でいえば、志村くんの犬(モジャっていいます)だけが正面を向いていて、それ以外の総くんダイちゃんかとをさんの犬は横を向いています。
対して、巻頭カラー絵は、五条悟と虎杖悠仁の犬が正面を向いています。
この背景には、『CHRONICLE』まで(厳密には志村Vo.時代最後のアルバム『MUSIC』まで)のフジファブリックは、明確に「リーダー志村正彦」という線引きがあって、いわばフジファブリックという物語の主人公をずっと務めてきた事実があります。
そしてリーダー亡き後、3人がパワーバランスを強化しながら調和させ、いわば三位一体の形でそれぞれが主人公になって物語を作っていきました。
これを踏まえて考えてみるとどうでしょう?
映画化も決定した懐玉・玉折編で主人公だった五条悟、そして本編で主人公の虎杖悠仁、両者は同格に物語の主人公であることが示唆されるでしょう。
さらに、アルバムがスウェーデンでメンバーが寝食を共にして制作されたこともあり、寮生活を送る4人とレコーディングに勤しむ4人の仲睦まじさを重ねることができます(詳しくはアルバム同梱のDVDにドキュメンタリー映像が収録されています)。
また、10thシングル及び3rdアルバム収録の「若者のすべて」が現在進行形で大ヒットしたこともあり、そこだけを世間一般に切り取られがちという煮え切らなさをファンは常々抱えています。「五条悟?イケメンだから人気なんでしょ?」にも通ずる消化不良です。
フジファンなら同意してくれるかもしれませんが、志村正彦は変態で捻くれていて一途でお茶目で繊細で孤独な男なんです。
暇つぶしに花屋の女性店員とデートする妄想をしたり(花屋の娘)、酒の力を借りないと甘えられなかったり(ロマネ)、海辺で泣いている女性をお嬢さんと呼ぶ気障ったらしさがあったり(NAGISAにて)、自分を獣に喩えて思いっきり飛び出す大胆さがあったり(モノノケハカランダ)、
それなのに、否定される事が怖かったり(バウムクーヘン)、大切な人を亡くして何年経っても忘れないと覚悟を決められるのに(黒服の人)、相手は自分のことをすぐに忘れてしまうと悩んだり(クロニクル)、そんな卑屈な考えをを誰かに否定してもらいたがったかと思えば(エイプリル)、君がいなくても元気でいられると強がるふりして泣いちゃったり(Bye Bye)、非常に魅力的な人物です。
そんな男の姿も、たった一人の大切な人に素直になれなくて、だけども本当はすごく寂しかった不器用な男の姿も、どこか似ている気がするんです。
ちなみに私の見解としては、志村正彦は相当なハジケリストです。
北欧の熊と太極拳使いの髭面の男性を戦わせたり(熊の惑星)、踊ろうぜと誘っておきながら黙れと言ったり(TAIFU)、走る足音がドラえもんやタラちゃんの比ではない異音だったり(銀河)、かなり尖ってます。
このハジケリズムは3人にも受け継がれ、サルバドール・ダリが発起人となってタコスパーティーをうやむやに開催したり(アンダルシア)、言い間違いから曲を生み出したり(東京)しています。
最後に、現体制の3人のメンバーは言わずもがな、たくさんの名曲を生み出し、私たちを慈しみ寄り添ってくれています。
ツアーラストや周年のホールでも、招待されたフェスのアリーナでも、地方の観客がすし詰めになるような小さいライブハウスでも、必ず「僕たちは誰かの居場所になりたい」「今フジファブリックでい続けられるのは皆さんのお陰」と伝えてくださってます。
Twitterにも書いたのですが、私の本心は、「どんな形であれメンバーが生み出した楽曲を愛してもらいたいし、バンドと共に豊かな人生を送ってほしい。生きていようが亡くなっていようが、その人が存在した事実、バンドの曲が生まれた事実、楽曲が様々な人の人生に関わった事実は消えないので、悲しみも抱えつつ前を向いて生きていく糧になってほしい」ということです。
フジファブリックのお陰で人生が豊かになって、呪術廻戦に生き様を教わったオタクの感想でした。
P.S.それっぽいキーワードを検索したら筆者を特定しやすいように書いたつもりです。もしそれっぽいな〜というアカウントを見つけたら、私事ですが現在就活中ですので、オススメのホワイト企業を教えてください✌️