はてなキーワード: お墨付きとは
世の中、キャリアアップだの市場価値だのって色々言うけど、結局「資格」と「実務経験」、どっちが大事なんだ?って話は尽きない。
特に文系と理系じゃ、この辺の考え方が全然違うんじゃないかと思う。
よくある話として、資格マニアみたいに色々持ってても「実務経験3年」には敵わない、なんて事が言われる。
資格マニアの履歴書には「簿記3級」だの「ITパスポート」だの、まあ色々並んでる。
これ、文系としては「まあ、そうなることが多いよな」って納得しちゃう部分もある。
でも、理系の僕から言わせれば「いやいや、ちょっと待てよ」と言いたい。
理系の場合、資格がないとそもそも仕事にならんものが結構ある。
しかも、その資格を取るために実務経験が必須だったりすることもザラにある。
ってことは、実務経験があるのに資格を取ってない理系ってのは、それはそれで相当ヤバいんじゃないか?
そもそも「勉強すること(資格取得)」と「実務経験を積むこと」を対立するものみたいに考える発想自体が
理系の僕に言わせれば、資格を取って、そのために実務も積んで、また次の資格へ…っていうサイクルの繰り返しなんだからそこに対立軸なんて初めからないんだよ。
まぁ一応言っておくとそういう理系の仕事の方が今は収入が高いってのが現実だったりする。
この辺のカラクリを、もうちょい突っ込んで考えてみる。
確かに、文系じゃ「実務経験3年」がモノを言うってのはよくある話だ。
営業とか企画とかマーケティングとか、そういう文系ど真ん中の仕事って、別に資格がなくたってできちゃうことが多い。
もちろん、簿記とかFPとか、持っていれば「おっ」となる資格もあるけど、
それよりもコミュニケーション能力だの、問題解決能力だの、そういう「実務で培われた何か」の方がよっぽど重視されたりする。
だから、「勉強と実務は別物」って考えるのは、いかにも文系的だ。
実務そっちのけで資格の勉強ばっかりしてるヤツは、「あいつ、大丈夫か?」って目で見られがち。
企業が中途採用で欲しいのも、結局は「即戦力」、つまりは具体的な実績とかスキルを持ってるヤツだ。
3年間の実務経験ってのは、単に3年会社にいただけじゃなくて、
その間にどんだけ修羅場をくぐって、どんだけ結果を出してきたかの証明として見られる。
もちろん、弁護士とか会計士みたいに、資格がなきゃ始まらない文系の専門職もあるけども
そういうのは、どっちかっていうと理系に近いキャリアの積み方になる。
医者とか看護師とか薬剤師なんてのは、当たり前だけど国家資格がなけりゃ患者に触ることすらできない。
建築士がいなけりゃビルは建たないし、電気主任技術者がいなけりゃ工場の電気設備は動かせない。
どれだけやる気と知識があっても、資格という名の「免許証」がなけりゃ、スタートラインにすら立てないのが理系の現実だ。
しかも、「資格取るのに実務経験が必要」ってのも、理系じゃ当たり前。
例えば、建築士の上位資格なんかは、大学で専門課程を修了した上で、何年かの実務経験を積まないと受験資格すら得られない。
つまり、理系の特定の分野じゃ、「実務経験を積むこと」自体が、「次のもっとスゴい資格を取るための条件」だったりするわけだ。
だから、実務経験だけあって資格がない理系ってのは、マジでヤバいと思うわけだ。
だって、資格がなけりゃできる仕事の範囲も限られるし、責任あるポジションにも就けない。
会社にとっても、有資格者がいないと仕事が取れないなんてことはしょっちゅうだ。
理系にとって資格と実務は、どっちが上とかじゃなく、完全にセットなんだよ。
「資格を取る→実務を積む→さらに上の資格を取る→さらに高度な実務を積む」っていう、終わりなきスパイラルアップ。
これが理系のキャリアの本質だ。そこには、「資格か実務か」なんていう二元論は存在しない。
なんでかっていうと、やっぱり専門性の高さと、資格っていう「参入障壁」の存在が大きい。
医者とか、一部の超高度な技術系の資格なんてのは、誰でも簡単になれるもんじゃない。
一方で、そういう専門知識や技術を必要とする仕事の需要はなくならないから、
特にAIだの最先端技術だのって分野じゃ、その道の専門家は引く手あまたで、給料も青天井なんて話も聞く。
でも、平均的に見ると、やっぱり資格でガチガチに守られた専門性を持つ理系の方が、収入面で有利になりやすい。
「これ、法律でアンタしかやっちゃダメ」とか「この技術レベル、国が認めてます」っていうお墨付きになるから、それが市場価値に直結しやすい。
理系にとっての「実務経験3年」ってのは、そもそも医師免許とか建築士の資格とか
そういうのが大前提の資格があって初めて積める経験だったりするわけだ。
つまり、天秤の片方にある「実務経験」の重みは、もう片方にある(というか、それ以前にクリアしてなきゃいけない)「資格」という土台があって初めて意味を持つ。
資格という名のフィルターをくぐり抜けなきゃ、そもそも実務経験という名の重りを天秤に乗せることすら許されない。
だから、あの天秤は、やっぱり文系目線、あるいは資格が必須じゃない仕事をしてる文系のヤツの視点から描かれたもんだってことだ。
実務経験は、その資格を活かして、さらに上を目指すためのステップだ。
どっちが良いとか悪いとかじゃなくて
自分がいるフィールド、目指すフィールドのルールをちゃんと理解しろってことだよな。
「資格と実務、どっちが大事?」なんて悩んでる時点で、ちょっとズレてる。
むしろ、「自分の目標達成のために、資格と実務をどう組み合わせて、どうやってレベルアップしていくか」を考えるべきだ。
実務にどっぷり浸かって現場でしか学べないことを吸収する時期も大事だ。そのバランスをどう取るかが、これからの時代を生き抜くカギになる。
「右の人が入る法案許せるか」発言は北大教授 FBで「学術会議が右派にお墨付きは害」
ttps://news.yahoo.co.jp/articles/31cbc6992e521ba5e7180fc64352112180d45682
発言した意図について「(学術会議は)現在は政府と協力しつつ独立した立場を保てる研究者が会員になっているが、法人化後には右派が入って学術会議の活動を政治化する可能性があるのではないか」と説明。
別に右派が「学術会議の活動を政治化する」事は無いとは言わんが
現状左派だの共産党やしばき隊シンパや反原発カルトみたいなのがこぞって「学術会議の活動を政治化」していると指摘されているにも関わらず
右派がー右派がーとウハウハになって右派警戒イヤイヤムーヴしてるのはさすがに片手落ちにも程があると思うよ
この記事の件ね:
>「右の人が入る法案許せるか」発言は北大教授 FBで「学術会議が右派にお墨付きは害」
>https://www.sankei.com/article/20250508-I3ZK2ZQPNNAFRAJZTJG7SDPFGU/
この記事、ちゃんと読めば「左右を問わず、政治からは距離を置くべき」というのが北大教授の主張だとわかる。実際、
>過去の学術会議では共産党系などの左派の会員が政治的な主張や活動をしていたとして「決して好ましいことではなかった」とした上で「法人化後の学術会議に右派が入ることも同様に好ましくない」とした。
って書いてあるでしょ。念の為、元ネタのフェイスブック(https://www.facebook.com/tomohiko.uyama/?locale=ja_JP)を方を確認すると、
>ソ連の共産主義がもたらした災禍を研究する者として、共産主義には完全に否定的な見方を持っている。
とすら書いてある。
>n_vermillion 左派が根本的な信頼を失っているのは長年続けてきたこういうムーブのせいよね。ここまで直接的でなくても「平和平等人権」で糊塗して他者に圧かけまくりやん。
>mutsugi すごい。逆のこと言ったら首括るまで追及されそう
へー、共産党を否定するのが、「極左の気持ち」で、それをすると「左派の信頼が根本的に揺ら」いで、「首括るまで追及」されるんだ
>straysheep19 この男、正気か。既に左の連中がたくさん入ってるじゃないか。右が入って何が悪い。
「右からも左からも距離を取ろう」って話だろ。おまえこそ正気か?
>現在の学術会議に関しては「共産党に連なるような左派の存在は全く感じられない。
って書いてあるから、左派の排除はすでに達成済みだろ。それすら読めない?
もちろん、過去に共産党系を入れてしまった学術会議は反省すべきだが、この北大教授はそうした過去を批判してる側だろ。日本語、わかる?
まぁ、産経がこういう馬鹿を釣るためのタイトルをつけたのがそもそも悪いわけだが、あっさり釣られる連中は、迷惑だから発言しないでくれよ、マジで。
万博パビリオンのレストラン・カフェは、質・量的に一般店の 2.5~3倍くらいの値段がついている気がする。
実際にレストラン部門を担当するケータリング会社は業者なので利益を出す必要がある。
台湾館には、神農生活、イタリア館にはイータリーなど、既に日本で料理店を持っている店が担当していることもあれば、
ドイツ、ルクセンブルクの78°のようなイベント専門ケータリング会社がやっていたり、
オーストリアは株式会社エイ・ダヴリュー・エイという、日本在住オーストリア人経営のワインの輸入業者が担っている。
日本で調達できる材料は日本で準備し、手に入らないモノだけ輸入するとしても、輸入量が少なければコストが高くつくし、
なにより6ヶ月間だけ、日本語と英語が話せるスタッフを確保する人件費が一番高い。
その結果として、 2.5~3倍という価格になるのだと思う。
いままで曖昧で陰湿な批判が横行していたムラ社会であった日本の経済論壇の中で、革命的ともいえる実名と批判箇所を明示しての率直な議論の姿勢を示した『経済学を知らないエコノミストたち』(日本評論社)や『経済論戦』(日本評論社)に続く、野口氏の00年代の経済論戦の記録を生々しくとどめた最新論説集である。題名の「エコノミストたちの歪んだ水晶玉」というのは聞きなれない言葉である。本書によれば、「経済学は役に立たない」という世間一般の抜きがたい批判に答えることを目的にしているという。著者は、経済学は予測の科学として十分に役立つが、世間で役立たないと思われているのは「歪んだ水晶玉」=間違った経済理論で預言を行う「エコノミスト」たちの活躍に原因のひとつがあるという。実際に野口氏が90年代後半から現在まで経済論壇で行ってきたことは、この「歪んだ水晶玉」で預言するエコノミストや評論家そしてメディアなどへの容赦ない批判だったといえる。
本書の後半は、当「ノーガード経済論戦」を読まれている読者にはなじみ深いHotwired に掲載された「野口旭 ケイザイを斬る!」をベースにした02年から04年までの当時の経済論戦の見取り図とその批判的な検証になっている。特に経済の動きは複雑でありマクロ経済学のような単純な論理では十分にとらえることができないと主張する論者の多くが、実は単純な自らの意見をカムフラージュするために複雑系な話を利用していることが指摘されていることころなど改めて参考になる。
前半は最近の経済政策論争をベースにした最新版の野口氏の経済見通しと政策への批判的検証が収録されている。その要点は、1)小泉政権の構造改革路線の検証、2)03年から04年にかけて明瞭になった景気回復の原因、3)今日の量的緩和解除論議をめぐる見通し のおおよそ3点に分けることができよう。
1)の点であるが、これについては小泉政権の構造改革路線が、日本経済の停滞が非効率部門の存在という構造的な問題にあり、これを淘汰することで高い成長率を目指すという「清算主義」であったこと、そして構造的な要因が日本経済の停滞の原因ではなく循環的な要因である総需要の不足にこそ真因を求めるべきことが明記されている。
個人的な回想で申し訳ないが、小泉政権の清算主義的な色彩の強かった01年当時の政策批判を行った野口氏と私の共著『構造改革論の誤解』(東洋経済新報社)は、私の事実上の処女作の一つであり、そのときから野口氏は経済論戦を分析する上での私の教師でもあり抜きがたい目標でもあった。当時は「構造改革」自体の満足のいく経済学的な定義さえも不分明であり、それを野口氏は同書でクリアに説明し、もって構造改革とマクロ経済政策は異なる政策目的に割り振られる政策であり、両者を適切な目的(構造改革ならば構造問題、マクロ経済政策は景気循環問題)に割り当てるならば矛盾もしなければ競合もしないこと、さらに適用する目的を小泉政権のように誤まるとそれは経済社会の低迷をより深刻なものにすることを説いた。
ところで本書によると小泉政権の当初の清算主義的な性格は、「国債発行枠30兆円以下」を公約にした財政再建路線に明白だったが、不況の深刻化からこの清算主義的な路線は早々に放棄されることになった。そして実態的には「循環的財政赤字」の発生を放置することで事実上(受動的にではあれ)景気の落ち込みの下支えに貢献したことを指摘している。この点については、私も当ブログ「裏声で語れ! 小泉構造改革」で説明したことがあるので参照されたい。
また竹中平蔵経済財政担当相(当時)の金融相就任とそれに伴って発足した「金融分野緊急対応戦略プロジェクトチーム」とそれが打ち出したいわゆる「竹中プラン」(金融再生プログラム)の評価は興味深い。当初、このチームにごりごりの清算主義者として名高い木村剛氏が加わったこともあって、いわゆる竹中・木村ショックで日本の株価は急降下した。政府が不良債権の抜本的な対策で銀行・企業の統廃合に積極的にのりだすという懸念がマーケットや国民の間に広がった。しかし実際には清算主義路線を放棄しつつあった小泉政権にあっては、その後のりそな銀行への公的な救済に端的に表されたように銀行を潰すようなハードランディング路線は放棄された。竹中プランは骨抜きになったかにみえた。しかし、本書ではマクロ経済的な清算主義は放棄したものの、この竹中プランが金融庁が大手銀行を中心とした不良債権処理に不必要なほど過度の介入を行うことにお墨付きを与えてしまい、規制のハード化が資源の誤配分を招来してしまったことを指摘している。この竹中プランへの評価は妥当だろう。
2)の点については、今日の景気回復の主動因についての分析である。それは簡単にいうと財務省の円安介入と、それと連動した日銀の当座預金残高の引き上げという量的緩和政策が重なったことが契機となっている。この事態を本書では「なし崩しのレジーム転換」という表現を使っている。これは私流に表現すれば、あくまで財務省主導のデフレ対策としての円安介入であり、それを福井総裁が意図せざる形でサポートした量的緩和政策のあり方を表現しているのだろう(本書では触れられていないが福井総裁は明確に財務省の円安介入をサポートしたことを否定している)。野口氏はいわゆる中国特需と表現されたり、アメリカからの日本株式市場への投資が盛んになったことなど、外的要因が堅調であれば政策対応が受動的でもかまわない、というスタンスである。
「以上から、日本経済の二〇〇二~〇三年以降の契機回復の様相については、ほぼ次のように整理することができる。まず、その最大の牽引車は、外需の拡大であり、それをもたらした世界的な景気拡大であった。しかしながら、国内のマクロ経済政策がリフレ的な方向へなし崩し的に転換されていたということも、同様に重要な意味を持った。それは具体的には、二〇〇三年秋から〇四年初頭まで行われた、財務省の巨額為替介入と日銀の金融緩和の同時遂行という形でのマクロ的政策協調である。つまり、今回の日本の景気回復と国内のマクロ経済政策の両方に支えられて、かろうじて定着したのである」(本書20頁)。
すなわち浩瀚喧伝されているような、「構造改革が景気回復に寄与した」のではなく、先の説明どおりに循環的要因=総需要不足の改善が外需の好転と政策対応によってもたらされたというわけである。
3)については、現状の景気回復は不安定であり、より一層のリフレ政策の重要性が強調されている。そのため06年末頃まではデフレ脱却をめざすリフレ過程(少なくとも現状の財政・金融政策のスタンスの維持)である。さらに第二段階は金融政策正常化のための段階であり、量的緩和の解除、インフレ目標の導入、プラスの政策金利への復帰などが目指される。これはほぼ2007年半ば頃であり、財政再建はその後の第三段階となる。野口氏は現時点での量的緩和解除はリスクがありすぎて日銀は採用しないだろうとみている。だが、この野口氏の楽観的な見通しだけが本書を通じて外れてしまいそうである。もちろんそれは野口氏の誤りではなく、通常では考えられないほどのリスクをあえて選択した日本銀行の誤りなのである。
本書は他にも、リフレ派の正しい定義、「声の出るゴキブリ」とリフレ派を批判した山崎元氏のその後、木村剛日本振興銀行の「実験」へのエール(?)など微苦笑を禁じえない記述も多く、あっという間に通読できてしまう。学ぶべきことが多い本書は野口氏の論戦の記録だけでなく、迷走する日本の経済論壇の記録としても重要である。
2025-04-17
■改めて「作風はAIだろうとどんどん真似してOK」とお墨付きが出たわけだが
それでもAIから作風を守りたいなら、量や速度を問題にするしかないんだが、ほとんどその話しないよな
「無断学習は泥棒」という名誉毀損になりかねないなん癖から進まない
(合法な行為に泥棒って泥投げつける行為の危険性ぐらい考えてくれよ)
話を戻すが、人間はいいけどAIはダメにしたいなら量と速度を問題にするしかない
「こんな速度で真似されたんじゃ誰も商売できなくなるよ」って方向だ
まあそれでも「AIでは新規の作風ができない」ことの証明と「手作業残す意味」を両立させないと無理だけどね
13:55
2025-04-17
■anond:20250417135520言及先エントリを開く
つか、素人がお絵描きしてるだけで飯食えてた今までがおかしい。環境に恵まれてた。これからは自分で売り込めばいいよ。AIじゃ嫌だっていう企業なんて無限にあるだろ。それもせず、バイトもせず、就職もせず、fanbox等の収益で食っていこうなんて普通に考えたら難しいことくらい分かるじゃん。まずは、実績を上げて、そこからフリーランスになるのが普通でしょ。なんで最初からフリーランススタートで飯食えてんだよ。
14:16
今度は花より男子が「悪影響」の作品として挙げられているのを見かけた
花男のような漫画を読んでいたら現実でDV男やモラハラ男に気づけない、らしいが「人を見る目」は現実の人間関係から学んでいくものではないのか
相手が巧妙で見抜けない場合もあると思うが、それは本当に漫画の影響の所為なのか?
私も子どもの頃から漫画や乙女ゲームではいわゆるオレ様キャラを好きになることが多いが、現実で好きになったのはごく穏やかな人だ
私は自分が大切だから、自分のことを大切にしてくれる人に惹かれる
それは相手と関係性を築いていくうちに芽生えてくる、それだけのことだ
もし憧れのキャラに似ているから好きになったとしても、モラハラに嫌気がさしたら距離を置くのが通常ではないだろうか?
エンタメには自分が経験できないこと、経験したくはないけどその世界を覗いてみたいという欲求を叶えてくれる面もある
ホラーやSF、アクション、劇的な恋愛など、自分の人生だけではおよそ体験できないスリルや世界に触れられる
いわゆる悪影響だとされるような作品なども幅広く触れることで想像力が養われることもある
「現実への悪影響」に過度に配慮してはエンタメがエンタメではなくなってしまうように思う
いっそ試しにエンタメの悪影響を唱える人たちによる「これなら大丈夫」というお墨付き以外の作品を未成年NGにしてみたらどうなるのか、気になるところではある
このインターネットの片隅にひっそりと存在する場所で、日々、無数の匿名の言葉が生まれ、消えていく。誰かが書いたのか、何のために書いたのか、わからないままに漂う文章たち。その中でも特に、「増田文学」と呼ばれるものがある。文学なんて大層な名前をつけるのも気恥ずかしいが、そう呼ばれてしまう何かがあるのだ。俺は思う。あれはきっと、誰もが胸の奥にしまっている感情を、隠したいのに隠しきれず、匿名だからこそ吐き出せる叫びのようなものじゃないかと。
増田文学って何だよ、って思うかもしれない。定義なんてない。はてなの公式が決めたものでもないし、誰かが審査して「これが文学だ」とお墨付きを与えるわけでもない。ただ、自然発生的に、そう呼ばれるようになったものだ。たとえば、仕事で疲れ果てたやつが「もう辞めたい」と書き殴って、それが妙に詩的だったり、読んだやつの心に刺さったりする。あるいは、恋人に振られたやつが深夜に「君の残したマグカップがまだ棚にある」とか綴って、それが妙に切なくて、読んだやつが自分の失恋を思い出して胸が締め付けられたりする。そういうやつだ。別に文才があるわけじゃない。むしろ、ぎこちなくて、誤字脱字だらけで、句読点すら適当なことが多い。それでも、なぜか「文学」と呼んでしまう。
俺だって増田に書いたことがある。夜中の3時、コンビニの袋ラーメンをすすりながら、なんかモヤモヤして、スマホに打ち込んだ。あの時は何を書いたかもう覚えてないけど、たぶん仕事の愚痴か、昔の友だちのことか、そんなしょうもないことだったと思う。でも、投稿ボタンを押した瞬間、ちょっとだけスッキリした。誰かに読まれたかどうかもわからない。コメントがつくこともあれば、完全スルーされることもある。それでもいいんだ。増田ってそういう場所だ。誰かに届けるためじゃなくて、自分の中の何かを吐き出すための場所。
増田文学の魅力は、その生々しさにあると思う。Twitterだと140字とか、今は280字とか、制限があるからキレイにまとめなきゃいけない。ブログだと「読まれること」を意識して、少し背伸びした文章になりがちだ。でも増田は違う。匿名だから、取り繕う必要がない。書き殴って終わりだっていいし、長々と愚痴っても誰も咎めない。そこに、妙な自由がある。たとえば、「コンビニの弁当が冷たくて泣きたくなった」なんて一行で終わる投稿が、なぜか数百ブックマークついてたりする。誰もが「ああ、わかる」って思う瞬間があるんだろうな。
ただ、増田文学って言っても、全部が全部深いわけじゃない。くだらないやつも多い。昨日見たのだって、「俺の家のネコが屁をこいた」とかそんなのだった。でも、それすら笑えるから不思議だ。文学って、別に高尚じゃなくてもいいんだなって思う。むしろ、日常のどうでもいい瞬間を切り取って、それが誰かの記憶に引っかかる。それで十分だ。
俺が好きな増田文学は、数年前に読んだやつだ。詳細は忘れたけど、田舎に帰ったやつが、じいちゃんの使ってた古いラジオを見つけて、電源入れたら雑音しか流れないって話だった。それがやけに寂しくて、でも温かくて、読んでるうちに自分のばあちゃんのことを思い出した。あの時、俺は泣いた。匿名だから、誰が書いたかわからない。でも、その誰かの記憶が、俺の記憶と繋がった。ああいうのが、増田文学なんだと思う。
結局、増田文学ってのは、匿名だからこその力なんだろうな。名前も顔も出さないから、本音が出る。嘘かもしれないし、本当かもしれない。でも、それがどっちでもいいんだ。読んだやつが何かを感じたら、それで成立する。そんな場所、他にないよ。はてな匿名ダイアリー、増田。お前らも一度、書いてみろよ。そしたらわかるから。
警察の車がNHK受信料600万円請求されたというニュースがあるけどさ
https://nordot.app/1273526825579544657
同様に会社の営業車とか訪問介護の車とか役所の車とかでもTV載せてないのに請求されて大変なのよ。で、それって「NHKから国民を守る党」が絡んでるんだよ。
NHKは屋内TVだけじゃなくてワンセグ付きケータイやワンセグ受信可能なカーナビも受信契約が必要という立場だったが、なにぶん法律にそんな事は書かれてないから抑制的ではあった。
また賃貸で実装品として設置されているTVであっても、大家じゃなくて入居者に受信契約と料金支払いの義務があるという立場で、TV見ない人にもTVがあれば受信料払えと迫っていた。まあ横暴だわな。
これに対しN国の大橋昌信が裁判を起こす。N国は2013年に立花が興したんだが、立花は元NHK集金人だったんや。
地裁ではNHK側が敗訴。携帯端末に付いたワンセグ機能で受信契約とか笑わせんな頭大丈夫?右言い渡す、という判決が出た。
また、この時に大橋は主張の根拠として「自治体職員の業務用ケータイの受信料を払ってない自治体がぎょーさんあるんやで」という事を裁判で主張している。(重要)
ところがこれが高裁で逆転してしまう。「設置機器だけじゃなくて携行機器も受信契約の必要ありと解するのが良きかな」という判決が出てしまう。
そして平成29年、2017年12月に最高裁が高裁判決を支持して確定してしまった。
だがこの判決は大変な影響を世に与える事になったのだ。
この判決を受けたNHKはお墨付きを得て俄然やる気を出す。2018年から大量の集金人を雇い、未契約の世帯を訪問しまくったのだ。
当然、未契約世帯の多くはTVそのものを持っていない。時勢がらTV見ない人増えてるしね。
だけどケータイはだれでも持っているのだ。そしてガラケーにしろスマホにしろ、国産機種はワンセグ付きが多い。車を持ってる場合はナビが付いている。これも国産機ならワンセグがおまけで付いている。
だから未契約世帯のほぼ全てから金が絞れるぞ。ブルーオーシャンだ!ってノリで訪問しまくったのだ。
だけどTV見ない家に金払えと言ってるわけで当然揉めますわな。だから集金人とのやり取りはだんだんとケンカじみてくる。
「ケータイ持ってますよね?見せて下さいよ」「同居の方います?その人のケータイも見せて」「カーナビの機種教えてください」うるせーよ!しかも何度も何度も来るし時間だってお構いなし。
増田も集金人とケンカした一人だ。失礼だししつこいし、こっちはワンセグなしの機種を選んで買ってそれを見せてるのに「同居の人は?」とか言いやがる。
こうやってTV持ってない世帯のNHK集金人へのヘイトはガンガン溜まって行った。TV持ってる家の人は判らんだろうが。
NHKをぶっ壊す!のN国キャッチである。またポスティングでチラシとN国ステッカーを配布するという念の入りようだ。頭に来ていた家の人はNHK集金人除けとして黄色と水色のステッカーを貼ってしまう。
そしてNHKをぶっ壊す!キャッチで知名度を上げたN国は参院選に出馬。ふざけた政見放送で笑いと人気を攫って当選を果たし、党首立花を国政に送り込むことに成功した。
しかし、どうしてNHK集金員が未契約世帯をしつこく訪問するようになったんだっけ?
N国の大橋が最高裁で負けて判決が確定したからだよね。マッチポンプやんけ。
NHKは未契約世帯の摘発と平行して、法人への請求も開始した。
法人も社員に業務用ケータイを持たせている。また、営業車やトラックを所有していて間違いなくカーナビがある。それらにはおまけ機能でワンセグが搭載されている。
だからその台数分を払えというわけだ。
例えば営業が50人、営業車が30台あるオフィスであったら、80台×1100円で88000円/月、年で1056000円で~す。
はっきり言ってキチ外じみた請求だ。
なんで一社で一契約じゃなくて台数分で請求されるんだよ!?というと、旅館などでは居室ごとにTVがあるが、その場合は台数分の契約が必要という判例があるのだ。あと、同じ敷地で複数契約すると2台目以降は半額になるのだが、携帯端末は移動するから割引なし。
当然、ふざけた請求だから突っぱねる。すると訴えてくるのだ。既に最高裁判決が確定してるから負けないし実際に請求通りの額が認められる。
しかも、裁判では過去に遡って請求される。200台所有のタクシー会社が6年前からの分を請求されたとしよう。その額は15,840,000円だ。いっせんごひゃくまん。無線以外の緊急用にワンセグ付きケータイ持たせていた場合はその2倍の三千万だ。頭おかしい。
会社に集金員が来ても大抵は揉めて払わないしケータイやカーナビの台数なんか教えてやらない。だから金が取りにくい。
だがこれが自治体であれば対外的に透明性が求められるので裁判所の判決文出されて問われたら回答するしかない。だからユスリがやり易い。って事でNHKは行政機関を絨毯爆撃して金を巻き上げるのに奔走した。
仕事中に絶対見るはずがないワンセグ機能がついているという難癖で何千万もの税金を巻き上げまくったのだ。まるでヤクザの行政対象暴力ではないか。
この時に特に効いたのが上記のN国大橋の主張「自治体職員の業務用ケータイの受信料を払ってない自治体がぎょーさんある」が判決で否認されたって事だ(事実が否定されたんじゃなくてその自治体は契約義務を逃れているという判定)。
最高裁判決を受けて大橋は「今後はこうした自治体からも設置したときにさかのぼって、受信料を徴収しないとならないですね。結構な金額になるでしょう」とうそぶいていたのだがhttps://www.bengo4.com/c_8/n_9363/ 実際自治体たちはその結構な額を支払わされたのだ。
今回の愛媛県警への請求も、使いもしないワンセグで受信料取られてる訳ではっきり言って不当。ワンセグ付きを購買したのは単に国産カーナビにはおまけでワンセグが付いてきてしまうので国産縛りでは選択肢がないってだけだ。
こんなのは裁判起こして負けた人間が原因なのだが、その同人たちは判決の結果で発生したヘイトチャージを集めて「ぶっ壊す」とか言って国政に入り込むのに成功しているのだ。
そんで最近では兵庫の地方自治をぶっ壊すわ、ジサつに追い込むわでシャレにならん事になっているってわけだ。
なので皆さん、何か社会問題があった時は何が原因でこうなったのかを調べる癖が必要ですなのだ。自転車がパンクして困ったら丁度目の前に自転車屋があってパンク修理して貰った。助かるな。