はてなキーワード: おすすめとは
予防的行動としてはむしろそのくらいの方が事故に遭いにくくていいんじゃないかとすら思うんだけど、
それが嫌なんだからどうしようもないよな
結局ストレスで神経が過敏になってるせいで、脳に過剰にアラートが入っちゃってる状態だと思うから、休めるなら休んだ方がいい
なるべく家に居るときは寝続けるとか、なーんもせずにぼーっとするとか
スパム対策もしないはてなにうんざりなんで別のとこに移ろうと思う
はてなーははてな以外でもアンテナ張ってる人が多い気がするのでおすすめがあれば聞きたい
本当に可愛いかわからないVtuber見るのは精子の無駄なので顔出し女配信者のおすすめを教えて下さい。ゲームはちゃんとやってる方が良いです
トレンドとかおすすめみたいな「なんか話題になってるエントリ」じゃない
オレも LINE 嫌い。
仕様がオープンになってなくて、アプリの挙動が LY 社の一存でどうにでもなるのがリスク大きすぎる。
一方で Telegram も十分に検証されてない暗号化手法を採用していたり、暗号化を有効にするのがややこしかったりするのでおすすめしない。
E2EE で暗号化されていて、オープンな仕様でオープンソースでアプリが作られている Matrix Element を使うべきだ。
元増田もまた「世間でネガティブな反応が多いのに納得できない」んだろうなと
都市解の批評って良い点と悪い点の両方を書いてるものが多いし、どちらの説明も「確かに」となることが多いから、
世にある都市解への(批判的意図を含んだ)批評全体の傾向に当てはまっているようには思えない。
仮に自分の評価に対して世間の評価が高い、という言及している人に限定したとしても、
これは公式が「普段ゲームをしない方/配信を見るだけな方におすすめ」だと説明していて、自分はターゲットではなかったのだと納得している面が大きいし、
賛否が別れているのに「全人類におすすめ!」だとか、ゲーム性が違うのに「〇〇に並ぶ名作!」と言う人への反論が主という場合もある。
あるいは単純にズレに対する驚きとして言及していたり、自分にはこういう基準があったからズレたんだと内省的な考察をしてる人もいる。
それをミステリ/ゲームオタクが書いている、幼稚だ、未熟だ、見下している、自他の境界線が曖昧だと貶すように断定していて、結局これも「変な批評」になっている。
GW中に腐女子によるバカカプが話題となっていたため、ずっとどこかで叫ぼうと思いながら我慢していたことを、この場を借りて叫ぼうと思う。
漫画「メダリスト」が、「よだつか」「つかよだ」というバカカプBLを推している腐女子によって荒らされている。
その影響が実害を伴いはじめたため、主にまだ「メダリスト」を読んでいない人に向けて、この素晴らしい作品が誤解されたくない一心で現状とそれに対する個人的な心情を書き綴らせていただく。
なお、これを書いているオタクは「おれは正当な読者 原作読んでねえだろってバカカプが嫌いだった」という態度でいるため、この時点で嫌な予感がした人はブラウザバックしていただきたい。
トピックは以下の通りだ。
https://anond.hatelabo.jp/20250512013446
②「よだつか/つかよだ」はなぜバカカプなのか
https://anond.hatelabo.jp/20250512013959
(当エントリー)
どうしても字数制限内に抑えきれなかったため、複数エントリーに分けて投稿させてもらう。
バカカプとはいえ妄想は自由であるべきなのでやめろとは言えない。
単純な話、オタクコンテンツで度々話題となるゾーニング、住み分け問題がこのトピックの主題だ。
散々こき下ろしておいてこう言うのもなんだが、バカカプ腐女子も単なる加害者ではないというか、時代の被害者である側面もあると思う。
ここまでの不満はおすすめタブや原作感想の検索中に事故的に遭遇したものだけで構成されている。
腐女子がどれだけ隠れようとも、鍵をかけていない限り、おすすめタブは無慈悲に原作ファンの目の前にバカカプを表示する。
隠れるつもりなら鍵をかけろと罵倒したいところだが、かつてはそんなことしなくても検索避けで充分隠れられたのだ。
そのカプに興味をもった者だけが検索によって同好の士に辿り着き、植木鉢の裏でコミュニティを形成する。わざわざひっくり返してまで気持ち悪がるのが悪い。かつて成り立っていたそんな住み分けを、おすすめタブが壊したのである。
メダリストに関する話題や原作愛に溢れたFAをいいねするだけで、原作の面影の消え去ったバカカプが、どこからかXが見つけてきておすすめに表示してくる。
よくわからないが腐女子は投稿にちゃんとカプ名を表記することは少ないようで、ワードミュートなんて軽々潜り抜けてくる。あとどう見てもR18なオメガバースパロの妄想なんかも流れてくる。(これに関してはあえて言おう、カスであると!)
しかしおそらく腐女子は現状をそこまで関知していない。しろという方が若干酷である。最低限の読解力すら無いのだから。
だからこそ今ここで言わせてほしい。
なぜそこまで言われないといけないかと思うだろう。
しかし冒頭で言ったように、バカカプ腐女子大量発生の影響が実害をもたらしはじめているのだ。
そう、メダリストを腐向け作品と勘違いする受動喫煙のオタクが発生しはじめた。これは紛れもない悲劇である。
当然作品自体の誤解が広まるという主題にもしている危惧に加え、「腐向けなら見ない」「腐女子がキモいから見ない」という意見が発生しているのだから始末に負えない。原作をロクに読まないバカカプ腐女子のせいで、本来正当な読者となる可能性のあった人間すら取りこぼす事態が発生しているのである。
これは原作ファンからすればとんでもない地獄だ。あわよくば全人類に読んでほしいのに、ロクに読まないやつがお天道様の下で気色悪いことをやっているせいで遠ざかる人間もいるのだ。
メダリストにハマってから何となく感じていた、話題になっている割に届くべき層にまだ届いていない気がするという感覚は、バカカプ腐女子の撒き散らす腐臭のためだったのだ。作品の広まり方としてこれほど不健全な状態があるだろうか?
そして腐女子が悪影響を与えるのは布教の阻害ばかりではない。グッズ展開もだ。
これに関しては、原作を読まない割にグッズの類いはやたら集めたがる腐女子の習性を利用し金儲けを優先するグッズ会社への不満の方が大きくはあるが・・・
何にせよ、メダリスト腐女子という本来ならば隠されるべき存在がわらわらと湧いたせいで、グッズ展開もそれ向けに歪められる事例が発生している。ベルハウスである。
・缶バッジの絵柄はメイン選手キャラであるいのりと光よりもコーチ陣の司と夜鷹の方が圧倒的に多い
・アクリルキーホルダーで、いのり&司と合わせてもう一つ用意されたペアが光&夜鷹ではなく司&夜鷹
実際こうした方が売上は伸びるのだろうが、アニメ絵な分原作者に入るマージンも少ないであろうことを考えると、儲け優先で原作を蔑ろにするようなグッズ展開をする会社にはNOを突きつけたい。
しかし経験上、一度腐女子が湧いたと判断された作品では、アニメ絵を使ったグッズはどんどん腐女子に媚びていくようになる。
今後この調子で選手たちのグッズ展開がないがしろにされると考えるとげんなりする。
ベルハウスはもう駄目として、他のグッズ会社にはぜひ正気を保っていてほしい。
このように、原作をまともに読まないくせに声と数がデカいだけのオタクもどきがその存在を世間に晒すと、明確に界隈にダメージを与える。
しかしオタクの妄想は自由だ。むしろこういう原作無視の創作ができるオタクにこそ一次創作の才能があると思っているので、バカカプ腐女子にはぜひ自身の考える最強の創作BLの世界へと飛び立ってほしい。
まだ他人の生み出したキャラのガワと名前を借りなければ創作できないのでそれだけ借り続けたいという厚顔無恥な雛鳥たちは、隠れることを覚えてほしい。せめてエロ系だけでもちゃんと隠してほしい。君たちがオメガバース好きなのはもうわかったから。
最後に、自分と同じように腐女子への憤りを感じている人にも伝えたいことがある。そういう人が一定数いるのも、たまに行うメダリスト感想検索によって補足している。
二次創作はあくまでファンコミュニティ界隈の中だけで関知されるべき存在である。なので、どれだけ不満が募ろうが、絶対に公式や関連会社、ましてや原作者へ直接お手紙などで物申すのは論外だ。
(冗談だろうし実行していないだろうが、そういう趣旨のポストを見かけて肝が冷えた。ただでさえとんでもない作業量をこなしているつるま先生に余計な負担はかけないでいただきたい。)
加えて、当該カプ名を明記した上での批判もやめるべきだ。カプ名というのはそれを好きな人間が同士を見つけるための記号であり、嫌うものが避けるための記号だ。
いくら腐女子の変な検索避けとおすすめタブのヘンテコサーチの合わせ技でワードミュートをすり抜けられ腹が立ったとしても、攻撃のために使ってはならない。
原作ファンと原作冒涜者、それぞれ好きな話題で盛り上がって互いに関わらないことこそ健全な住み分けだと思う。だからわざわざ橋をかけて討ち入りするような真似はやめた方がいい
そういう意味では、この怪文書はまさに討ち入りじみたものである。その点は謝罪したい。
(タイトルにカプ名を入れていないのでセーフかとは思いたいが・・・)
ただこの怪文書だけ、ネットに放流することによって、少しでも誤解を解消できるなら、そしてメダリスト原作の正当な読者に「同じ気持ちを抱いている人がいる」という一抹の安堵を感じてもらえたら嬉しい。
それだけが私の望みです。
GW中に腐女子によるバカカプが話題となっていたため、ずっとどこかで叫ぼうと思いながら我慢していたことを、この場を借りて叫ぼうと思う。
漫画「メダリスト」が、「よだつか/つかよだ」というバカカプBLを推している腐女子によって荒らされている。
その影響が実害を伴いはじめたため、主にまだ「メダリスト」を読んでいない人に向けて、この素晴らしい作品が誤解されたくない一心で現状とそれに対する個人的な心情を書き綴らせていただく。
なお、これを書いているオタクは「おれは正当な読者 原作読んでねえだろってバカカプが嫌いだった」という態度でいるため、この時点で嫌な予感がした人はブラウザバックしていただきたい。
トピックは以下の通りだ。
https://anond.hatelabo.jp/20250512013446
②「よだつか/つかよだ」はなぜバカカプなのか
(当エントリー)
https://anond.hatelabo.jp/20250512014700
どうしても字数制限内に抑えきれなかったため、複数エントリーに分けて投稿させてもらう。
本題は前トピックなので消化試合じみているのだが、ここからは既に腐女子によって変な先入観を植えつけられた人向けの話題だ。
カプの受動喫煙量が多くなりがちな現状において、「メダリスト」に対する誤解を解くには必要なので書かせていただく。
別ジャンルの腐女子でも、ムキムキで金髪の男と細身で黒髪の男のBLを日々どこかで見かけているのではないだろうか。それこそがメダリストを荒らしているバカカプである。
(純粋なFAをいいねしただけでもおすすめタブにこのバカカプBLを表示するXのポンコツっぷりも酷いが、これは次のトピックで語る。)
はじめに言っておきたいが、「どんなカプも幻覚なんだからバカカプとか無いでしょ」という言い訳は無意味だ。
そもそも「どんなカプも幻覚」というのは、幻覚だからこそ作品の解釈に持ち込んだりさも公式かのように振る舞ってはいけないと言う自戒のための言葉であり、バカカプの免罪符ではない。
まず最低限の情報を伝えると、この二人、現在53話まで連載されている中で直接会ったのは2話のみである。
(そして驚くべきことに二回会った中でもお互いの名前を呼ぶことすら一度もない。司の方は他の人間との会話や心の中で夜鷹純という名を出したことはあるが、夜鷹の方はマジで名前を出したことすら一度もない。)
一度目は、偶然いのり&司と夜鷹が出会った際に、光に勝ちたいと豪語するいのりを夜鷹が無慈悲に否定し、それに怒った司が宣戦布告した場面。
(ここでいのりを否定した夜鷹の言動は驚くほど的確に司の地雷を踏んでいる。)
そして二度目は、慎一郎が夜鷹との親友同士の夜のスケーティングに流れで司を招いたところ、以前の司の宣戦布告を真に受けていなかった夜鷹が司にアイスショーのキャストオーディションへ行くことを勧めてきたため、改めていのりのコーチとして宣戦布告した場面。
ちなみに、ここで司は憧れの選手だったはずの夜鷹に対し「めちゃくちゃ性格が悪いんじゃないか?」と心の中で言うほど好感度が下がっている。自身の新しい夢であるいのりに対し二度も否定をされているので当然の反応だが、夜鷹目線だと最強の自分が育てている最強の選手たる光が勝つ、だから君の教え子の夢は叶わないと言うのもまた当然なので、平行線である。
(普通にネタバレなのであまり言いたくないが)その後司が敗北すると夜鷹云々よりいのりを勝たせられなかった不甲斐なさが全面に出し、(かなり後に判明するが)夜鷹の方も「もう飽きた」と興味を無くしており、コーチ同士のライバル関係と言えるような状態はあっさりと消えている。
(コーチ同士でのこれを引っ張ったところで選手を通した代理戦争にしかなり得ず、やりすぎると選手軽視と捉えられかねない表現にもなりそうなので当然といえば当然かもしれない。)
対する弟子はと言うと、いのりは敗北から半年ぶりに光の顔を見ただけで尋常ではない悔しがり方をし、その顔を見た光はいのりの闘志が強く残っていることを喜びキラキラ笑顔が止まらない様子であった。
司と夜鷹の関係性については作中の事実を並べるとご覧の通りである。
司は蛇崩との方がよっぽど競い合ったり時に協力したり世話になったりと縁があるし、
夜鷹は慎一郎との無二の親友(公式で慎一郎の妻のエイヴァが嫉妬するほどの仲である)というのが強すぎる。
さらなるバカ要素を付け加えると、Xで大多数の腐女子が宣っているよだつかよだの根拠が全くの嘘まみれなのである。
不快なバカカプを漁るような自傷趣味は無いため事故的に遭遇したポストのみを根拠とさせていただく。
「夜鷹は司の才能を特別に認めている!脳を焼かれてる!これはキテる!」といったものが頻出したので、多分これが腐女子の中でメジャーな説なのだろう。
ちなみに夜鷹は司の才能を認めてなどおらず、そのことは作中で明言されている。
宣戦布告二回目が発生したscore22で、
慎一郎が司に対し「すごく才能のある方だ」と発言したのに対し、
明確に、「そうは言えない」「限られた時間の中で証明できなければないのと同じだ」と明確に否定している。
夜鷹は全日本選手権で見かけた記憶と目前でのジャンプ練習を経て、司の能力を理解したのか「君は自分に希少な能力があることを自覚している」と発言しているのだ。
(その後ご丁寧に「褒め言葉じゃない」と釘を刺しているが)
加えて、後のscore39で司が夜鷹のこの発言を反芻する際に、「希少な"才能"があること」と歪めてしまっているのだ。
こういう描写をされると、勘違いしてしまうのもしょうがないかもしれない。頻繁に原作を読み返す読者でなければ気づけなさそうではある。二次創作するのに読み返さないのか?という疑問は残るが。
(それにしても、光に「同じ種類」と分析された司が光同様「信頼できない語り手」属性を持っているのは面白い。司の場合過去の後悔から「才能」という言葉に囚われている節があるのが原因だろうが)
このように、なぜか夜鷹が司を認めている、なんなら入れ込んでいるという妄想に取り憑かれ拡散するオタクがあまりにも多い。
このバイアスの異常性がとてもよく現れているのが、下記リンクにある某掲示板の1スレだ。
(現在単行本未収録のscore51の内容に触れたスレのため、ネタバレを踏みたくない方はスルーしていただきたい。)
おそらく腐女子と思われるスレ主がバイアスまみれの意見を提示したため、当然のように確かな作中描写をもってして否定された一幕が伺える。
当時このスレを発見したときは、原作をまともに読んでいる人間の目にはちゃんとこれらは異常に映るんだなという安堵を得たため非常に印象に残っている。
(とはいえバカカプ腐女子の流入が発生したのは事実であり、以降はこの板もあまり覗かなくなってしまった。)
そして世に蔓延るは、オタクがよくやる悪い二次創作のオンパレードだ。
攻めの変態化、セコム化、受けの過剰age、加えてオメガバースとかいうオタクの性欲にまみれた、関係性捏造のための伝家の宝刀・・・
原作に根拠のないバカカプによくあるやつである。好きな作品でやられるとこうも嫌なものなのかと悲しく思った。
しかしここで、この怪文書を生み出すに至る最上級の怒りを抱かせた概念に遭遇する。
師弟if。夜鷹と司の。
絶句。なんだこれは。
まるで「どうすれば最大限メダリストという漫画を冒涜できるか」を三日三晩考えた末に出てくるような概念ではないか。
さすがに正気を疑う。この作品での師弟の繋がりとは運命であり特別であり、それぞれにとっての救いなのだ。
原作での師弟関係を否定するような二次創作が何を意味するか、原作を読んだ人、あるい拙文で伝えたかったことを読み取っていただけた方には理解してもらえるであろう。
懇切丁寧に、そして明確な信念を持って真摯に描かれたコーチと選手の物語が大きな魅力の一つとなっているこの漫画においては、これ以上の冒涜はない。
オタクは国語の成績がいいのだけが取り柄ではなかったのか?読解力と呼ぶのも憚られるほどの当然の作品解釈すらできないのか。それとも原作なんて妄想のエサでしかないという不誠実極まりない態度で二次創作をやっているのか。いずれにせよ最悪である。
※ここ以降は単行本未収録の話までしっかり触れるので、好奇心でここまで読んでくださった原作未読勢はいよいよ戻って原作を読んでほしい。※
※これだけは覚えて帰ってほしい。メダリストについて言及するアカウントを見つけても、それがプロフに「よだつか/つかよだ/🦅☀️/☀️🦅」などの文字列があった場合、そのツイート内容は真に受けないでほしい。メダリスト腐女子のはなしは信じるな。※
師弟ifが最悪の原作冒涜であるのに加えて、組み合わせも最悪である。
司と夜鷹のコーチとしての方向性は対比され描かれる、平行線の思想である。それぞれの名前に準えて表現するならまさに昼と夜。太陽が姿を現す限り夜は存在せず、夜の中に太陽が存在することもまたあり得ないのだ。
もろに最新score53の内容に触れてしまうが、司が目指すコーチとはかつての司少年が出会いたかったコーチだ。
それは、始めるのが遅いからと夢を否定せず、氷の上にしがみつく術を示してくれるコーチ。バカみたいに夢を目指す理由として、才能を保証してくれるコーチである。
これまでで書いた通り、夜鷹はかつての司少年と同じ境遇のいのりを、始めるのが遅かっただけの天才を前に直接夢を否定する言葉を放った。加えて、夜鷹の指導方法は温かな励ましなどは一切ない。明らかな出遅れの上クラブに入りもせず才能があるか教えてほしいなんて言う司少年が夜鷹と対峙したところでいのりと同じ目に遭うのは明白だ。
絶対にうまくいかない組み合わせにも程がある。嫌がらせか?原作そのものだけじゃなくキャラに対しても追い討ちで嫌がらせしたいのか?
司が師匠パターンのものもあるようだが、そうなるともうめちゃくちゃである。まず何を見てスケートを始めることになったんだ司は。
本当に、同じ漫画を読んだ人間の妄想とは思えない代物である。しかし悍ましいことに、このような原作冒涜が一定の人気を得て複数人の手によって生み出されているのが、メダリストに蔓延るよだつか/つかよだの腐女子という集団である。
夜鷹の口数が少ないのをいいことに感情を捏造し、ifやパロで関係性を捏造する。
作中での明確な発言すら捻じ曲げる。
もはやそこにあるのは捏造のみである。ifやパロにしても、大体流行るのは生存ifやら物騒な世界を舞台にした原作での学園パロで、そこにはキャラクターに幸せになってほしいという愛が少なからず存在しているものだが、よだつか/つかよだで蔓延っている師弟ifは原作愛など皆無の冒涜だ。
このカプがバカカプでないなら一体何だと言うのだろう。
しおらしい感情だけではなく、こっちはビハインド抱えながら必死に石ころ磨いてるんだから生まれながらの宝石と比べるんじゃねえと言う気持ちも大きいですが...
これめちゃくちゃわかります!!
まあ頑張るしかないですが…
あと勘違いさせてしまって申し訳ないですが、相談所はあんまりおすすめしません・・・
もし興味があるなら数万でシステムをお試しで使わせてもらえる相談所に行って検索させてもらって、良さそうな人をピックアップしてからカウンセラーの人に「この中のどの人ならお見合いできそうですか?」と聞いてみるといいと思います。
自分は高望みと自認していたのですがカウンセラーの方は高望みじゃないと言っていて、反面お見合いが組める確率は平均より高いものの20%ぐらい?で会える相手は希望とは違い(写真と違う、コミュ力が低すぎるなど)退会してアプリに移動しました。
付き合いを続けていくなかで相手の魅力がアップ!みたいなタイプじゃなければなおさらおすすめできないですね。。
私は猫が大好きだ。とてもかわいいからだ。Xのおすすめに出てくるかわいい猫の画像を見て毎日大喜びしている。
しかし私は猫を飼いたくない。きちんと世話ができないと思う。ペット可の住居に住めるような経済的甲斐性もない。ズボラだから掃除もろくにせず家が毛だらけで臭くなると思う。心が弱いので猫の欲しがるままにあげてはいけない食べ物を与え寿命を縮めてしまうと思う。ブラッシングをちゃんとやらずみすぼらしい身なりにさせてしまうと思う。甘やかしてしまってろくに躾もできないと思う。だから飼わない。
私は猫を愛しているが、猫を欲しいとは思わないし、高確率できちんと世話できない。だから飼わない。それが私なりの猫の愛し方である。
みんなこう書けば理解してくれると思う。
ところがこの対象がヒトの子供となっただけで人間は簡単にバグってしまうのだ。
子供を好きな人は子供を欲しがるしきちんと世話できる。子供が嫌いな人は子供を欲しがらないしきちんと世話もできない。そのどちらかだと思っている。
だからバグった人間は子供を欲しくない人間を説得して欲しい気にさせたら愛情も抱くしきちんと子育てもすると勘違いしている。
いま現在子供をきちんと世話できていない(ように見える)親は全員子を持つべきでなかった親の欠陥品で、子に対する愛情もまがいものだと勘違いしている。
実際は逆なのだ。子供を過去から現在に至るまでずっと愛していて、欲しくて作ったのに、子育ての環境に疲弊してきちんと子育てできなくなってしまう例の方がずっと多いのだ。
ブラック企業で不眠不休で働かされたりパワハラを受けまくって脳みそが壊れてしまう人のことは理解できても子育てで脳が壊れてしまう人の存在は理解できないのだ。
(だってきちんとお世話できなかったってことは子供を愛してなかったってことでしょ?)
子育ての当事者たる親すらバグっていたりする。「自分は子供を愛しているし欲しくて作ったのできちんと子育てをできている/いた」と勘違いしていたりする。当の子供にとって全くそうではなくても。
子育ての当事者であった子供もバグっていたりする。「うちの親は自分の面倒をきちんと見てくれたので、自分を欲しくて作ったし愛してくれているはずだ」と。
子供にそう聞かれたら、まともな親は内心がどうであれその通りだと答えるしかないだろう。
しかし本当のところは親本人以外の誰にもわからない。愛しているのにきちんと世話をしなかったり、愛していないのにきちんと世話をしたり、欲しくて作ったのに虐待したり、欲しくないのにできてしまった割には大事に育てたりしているので他人にはわからない。
もし私の同居家族の誰かが猫を飼いたがったとして、私は前述の理由で猫を飼う事を拒否するだろう。
「ペット可の家に引っ越して、不自由のないように自分でお世話ができるならいいよ。私にはそんな家を借りるお金がないし面倒もみられない。私がやる羽目になったら猫を汚い家でほったらかしにして躾もろくにせず早死にさせてしまうと思う」と理由を言うだろう。
ペットを飼うなら当然の心構えだろうし猫を飼っている皆さんだって賛成してくれるだろう。飼うならば猫が死ぬ最期の時まで、介護まで含めて世話できないなら飼わないのがルールだ。
ところがこれがヒトの子となると多くの人がバグり、私の発言は猫を汚い家で躾もろくにせず虐待死させる旨の犯行予告だと読み違えられる。
私は同居家族に対する愛情の欠けた人でなしで、異常かつ極端な発言をする人でなしで、猫を愛する資格もない人間失格の人でなしとみなされる。
ヒトの命は猫のそれと同じかより重いはずだろうに、ヒトの命の方が猫の命よりも軽率に扱う事を是とされるのもおかしな話だと思うのだが、どういうわけかそういう事にはならない。
子供が好きで、子供が欲しいし、子供をきちんと世話できると思うなら何よりだ。時に誰かに頼るのも大いに良い。よい親子関係を築いて欲しい。
子供が嫌いだから子供を欲しくないし、きちんと世話をできるとも思っていない。それも何よりだ。無理に子供を作って互いに不幸になることはない。
こういう例はわかりやすいのでまだいい。
子供好きで子供が欲しいというのになぜか世話は他人にやらせる前提でいることも、
子供が嫌いで子供を欲しくないのになぜか産んで世話をちゃんとしろと強要されることも、
子供好きで子供を欲しくて授かったのに世話をきちんとできずに苦しむことも、
子供が嫌いなのに子供を授かってしまってまともに世話もせず子供を苦しめることも、
子供を欲しくて授かったのだから自分はきちんとした親だと勘違いしていることも、
タイトルに書いた3つの要素は全部独立した別々の事例なのに、そこに都合よく連動を見出してバグることこそが不幸の源なのだ。
自分は子供を愛せるか。愛しているか。自分は子供を欲しいか。自分は子供をきちんと世話できると思うか。できていると思うか。
その独立した3つの項目と向き合うのは人が親となる前提条件ではないか、そうでない人間に親となる資格があるものかと考えていたこともある。
そうでない人間がいまだ世に多いことは別段驚きではない。昔はそんな人間ばかりだった。そんな人間でも親となるのが半ば義務であった。
リストを活用して自分でTLを作ることも何年もやってきたけど、新しい出会いに乏しいことや、追っている人たちのリポスト等のノイズが気になるのでアルゴリズムのおすすめに頼った方が良いこと多いなという結論
これで自分のアカウントの1つは、謎の海外半裸マッチョ男と配信ドラマの考察やファンアートが溢れるパラダイスになった
いいねよりもリポストの方がより重要度高そうなのと、自分で何か文章をポストする頻度も下げてリポストに徹するとなお良さそうな感触がある
あと、マッチョとドラマの他にもう1つ2つ好きなジャンルを追加しようとするとレコメンドがブレ始めるので1アカウント2ジャンルを個人的には推奨する
自分は他にももう2つ閲覧用のアカウントを持っているが、そちらでも同じ手法で大成功をおさめており、そちらでは18禁系と学術系の共存にも成功している
マッチョ男と18禁系を1つのアカウントでまとめようとしたこともあったが、そのときもおすすめ欄に若干のブレを観測したので、全く違うジャンルを2つ掛け合わせる方がそれぞれのジャンルの純度を保ててよさそうな感じがしている
あと、いかにも「これバスってます」「これが最近のXのトレンドです」みたいな顔したポストは、自分が観測中の当該ジャンルのものであってもリポストやいいねは控える方が無難
日常のことを呟いてる別のアカウントでは、自分も御多分に洩れずおすすめ欄は知らない人の愚痴や炎上などの不快な物の方が多くなってしまっているが、閲覧用と割り切ったアカウントでせっせとリポストいいねしながら理想的なおすすめ欄を構築できたことで、世界はこんなにも美しかったのかとわりと誇張抜きで感動しつつエコーチェンバー等についても改めて考えさせられた
今のXで疲弊している人はぜひ試してみてほしいし、試した結果もよかったら教えてほしい
あと、他にもこんな方法が効くよというのがあればぜひ教えてほしい
という本を読んでいる。
大雑把な内容は事前に聞いていて、世の中には物事を画像で考える人(ビジュアル・シンカー)と言語で考える人がいるということを説明した本だ。
事前のイメージだと、画像で考える人は芸術が得意、言語で考える人は数学とかが得意、という分かれ方だろうと思っていた。しかし読んでみると少し違っていた。
というのも、本によると画像で考える人の中にも「物体視覚思考者」と「空間視覚思考者」がいるらしい。
前者はまるで写真のように鮮明に物事をイメージして考える。私が事前の想像したビジュアル・シンカーのイメージはこれだった。
一方で後者というのは、物事を抽象化してその関係性等を元に思考するらしい。フロー図とかのイメージだろうか。
私は芸術のセンスは皆無だし、よく知っているものでもその細部までイメージするなんて全く出来ない。だから言語思考者なのかなと思っていた。
しかしよく考えてみると私の思考はかなり抽象化した物事同士の関係性を把握するように出来ていると気が付いた。
IT系の仕事をしているのだが、なにか複雑な条件に沿った処理を考える場合は空間上に抽象化した物事を並べてそれらを繋ぎ合わせるようにしている。
実際に私が考えているときは手を動かして一つ一つの抽象的なパーツを中空に配置してそれぞれを繋ぎ合わせるようなジェスチャーをしている。
プログラミングだとか物理、数学のような抽象化された対象の関係性を理解するのは確かに昔から得意だった。
なにか新しいことを始める際も、そこの根底にある物事の関係性みたいなものをざっくりと捉えるのは得意だと思っている。
また文章を読む際も、言葉一つ一つの細かい表現よりも全体としてどういう事が言いたいのかという論理構造を認識する方に偏っている。
娯楽小説や漫画なども、そのストーリーがどういう構成になっているのか、背景にどういう理屈があるのかばかり気になってしまうので、おそらく私は機械的に要約されたものを読んでもほぼ同等に楽しめるだろう。
(実際、そのものには全く触れたことがないコンテンツでもそれについてのwiki等の情報を読むのは大好きだ)
美術館に行ってもその絵から何を読み取ればよいのか分からない。
人やモノをアイコンのようにしか受け取れないので、各アイコンがどう配置されているかという形でしか認識できない。その表情やら表現技法から何かを読み取るということは全く出来ない。
美大卒の友人からは「絵を描けるようになるにはまずモノを正確に視れるようにならないといけない」と言われたことがあるが、私は勝手にすべての物を抽象化されたアイコンに変換してしまうのでそれが出来ない。
目の前にいるのは自分と特定の関係性にある〇〇という名前の人である、という認識しかしていないので、その人の顔や髪型、服装なんかは全くというほど覚えられない。ついさっきまで一緒に居た人がその日来ていた服は?と言われても全く思い出せないし、そもそもそんな情報は私の脳に入ってきていないのだろう。
とまぁ自分はかなり空間視覚思考者寄りだと気が付いて、色々な面で私の脳の特性に説明が付くぞということが分かった。
残念ながら最初に紹介した本は空間視覚思考者についてはあまり詳しくは解説されていないっぽい(著者が物体視覚思考者のため)ので、他の本でもっと情報を集めてみたくなった。
自分がどういう思考法なのか、それが異なる人はどのように物事を考えているのかというのを知りたい人は読んでみることをおすすめする。