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2025-05-28

『錆びた梁の下で ―第二章:正義の値段―』

倒産処理――その言葉を、祐介は今でも腹の底で噛みしめる。

会社更生法適用が決まったあの日

彼の勤めていたゼネコンには、ダークスーツの一団が乗り込んできた。

一人だけ、やたらと高そうな腕時計をした男がいた。

弁護士バッジを光らせたその男が、祐介のいた会社の再建を「請け負った」のだった。

名は柿谷剛。

東京一等地事務所を構える、当時“倒産処理のゴッドハンド”と呼ばれた男だった。

噂では、ひとつの再建案件で数十億円の報酬を受け取るとも言われていた。

事実、祐介の会社案件では、報酬総額は100億円にのぼった。

社員年収を半分に削っても、役員退職金カットしても、彼のギャラは揺るがなかった。

「この金は、お前ら社員の生き血なんだよ」

食堂パートのおばちゃんが呟いたその一言が、忘れられない。

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弁護士会館の一角

安い弁当をかきこみながら、司法試験に受かったばかりの若手たちが雑談していた。

「俺らが企業法務に就ける時代はもう終わったな」

「いまは倒産か、交通事故か、刑事事件くらい。しかも全部薄利多売」

「やっぱり、柿谷みたいに国策案件取ってこなきゃ儲からないんだよな」

司法制度改革ロースクール制度によって、弁護士は急増した。

だが仕事は限られていた。

景気の冷え込みと共に、大企業法務部門は内製化され、案件都市部大手に集中した。

残ったのは、零細企業倒産や、生活苦相続相談

弁護士って、こんなに使い捨てられる職業だったか?」

本気でそう呟いた者がいたが、誰も笑わなかった。

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一方、梶谷は大手メディアに登場していた。

構造改革は不可避であり、法の力で経済健全に立て直す。それが私の使命です」

テレビインタビューでそう語る彼は、まるで救国の英雄だった。

だが、祐介の目には、廃墟の上に立つ火消し屋にしか見えなかった。

企業を切り刻み、社員を切り捨て、株主に“最小限の損失”を保証する。

その“法的手続き”は、彼にとって黄金鉱脈だった。

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やがて、祐介の周囲でも自殺者が出始めた。

住宅ローンを払いきれず、家庭が崩壊した同僚。

退職金を棒に振って夜逃げした上司

どれも報道されることはなかった。

代わりに報道されたのは「ゼネコンの浪費体質」と「構造改革成功」だった。

祐介は思う。

あれは本当に“失敗した企業”だったのか?

それとも、“失敗させられた企業”だったのか?

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歳月が流れ、祐介の会社はかろうじて再編されたが、社員数は当初の5分の1になった。

建設現場下請け外注だらけになり、技術継承は寸断された。

若い弁護士たちは、結局“法の名を借りて誰かを切る役割しか与えられなかった。

それでも「正義仕事だ」と思い込もうとする者もいた。

だが祐介には、それが正義だとは到底思えなかった。

公共工事の代金を国が踏み倒し、

現場を知る者が黙って血を流し、

上では法とマネーを操る者が正義の顔で金を吸い上げていく。

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ある日、祐介は役所ロビーで、過去現場で一緒だった若者と再会した。

彼はロースクールを出たが、弁護士にはなれなかったという。

「いまは、外注点検会社契約職員です。…結局、同じ土の上に戻ってきた感じです」

その言葉に、祐介は小さく頷いた。

どんな肩書きを持っていても、命を守る現場に戻ってこなければ意味がない。

法は人を救うはずだった。

だが、それは一部の者にとっての話だ。

現実正義は、地を這い、汗を流しながら、静かに錆を見つめるしかなかった。

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