何者かになりたさの根源は、子を成すための、種を残すための本能だと思う。
何者か、は母であったり父であったりして、きっと子を成せばこの何者かになりたさは消えるんだと、そう思っている。
ずっとずっと生まれてこの方何者かになりたかった。変わり者、と言われた日には飛び上がって喜びたかった。職業の向き不向きを診断するテストには“芸術家”と出るように答えた。
逆に普通を自称していれば、何者かになれる気がした。本物は自分が変わり者だと思わない、と思っているから。
結局なにものにもなれていない。私には何もない。かろうじてある若さも、日々少しずつ失われて行く。
たった1人の大切な娘、たった1人の大切な孫なのに。ずっとずっと両親や祖父母に申し訳なかった。お宅の大事な娘さんを大切にしてあげられなくてごめんなさい。
この名前を失って、ただの人間になった時の私は、無計画で頭が悪くてあまったれたただの愚か者だ。
恩師の、人間の愚かさは可愛さだ、という言葉に救われたのは本当は何よりも自分が愚かだからだ。
なにものにもなれなかった。今からでも遅くない、誰かの妻に、母になれば良い。
自分の責任も持てない人間が、誰かの人生にただ乗りしようとしている。
何者かになりたさを埋めてくれるずっとやりたいことがある、そのための努力をしないくせにそれを失いたくないとほざく。
じゃあどうしたら良いんだよ、と思う。
わたしはどうしたらいいんですか
いや努力しろよ