lynx   »   [go: up one dir, main page]

2025-05-26

社会人におけるコミュニケーション能力

社会人になったら学生時代と違って自由だよ」

というけど、結局会社でも学生時代と同じように政治必要だなと思う。

なんだかんだいっても、

その組織で一目置かれる発言権のある人間に好かれねばその組織に響くような発言権は得られないし、

誰?という状況でできることなんて限られてれる。

人望はないが自分は素敵だと思う人間にどれだけ尽くして、その人が評価してくれたとして、会社は見向きもしない。

どうしてもポピュリズム的にどこか会社としてキーとなるような人(や、大衆)に迎合して、媚びて、自分の実力を証明して、愛してもらって、評価してもらって、それでやっと自分発言権を得られる、そんな場所なのかと思う気持ちになる。

そうじゃない会社はないような気分になる。

仕事ができるなぁと思っていた先輩が、

「おれは⚪︎⚪︎さんに切られたから、もうこの会社で昇格することはないよ。××(わたし)さんは頑張ってね、応援してるし大丈夫だと思うよ。」

と漏らした。

なんだそれ、なんだそれ本当に。

彼は新しく子供が産まれ奥さんも忙しくて数ヶ月育休をとっただけだった。

育休前後自分自身のクライアント業務以外の所謂ボランティア的な業務を断ったため、このようなことになったという。

どんなに素敵に社内制度が変わったとして、

それをどんなに利用したとして、

結局は旧石器時代縄文時代弥生時代、はたまた安土桃山江戸のような戦国時代…みたいに、

結局人間の情なのだなと思わざるを得ない。

誰につくか、誰のために頑張りたいか、誰が評価してくれるか、結局それだけなのだ

情に訴えかければ出世できるなんて思ってない。

そもそも出世したいと思っていない。私が正しいと思うことを、正しい熱量で誰かに訴えたいが、それにはちから役割)がいるのだ。

そうやって、どうにも誰かに媚びる、気に入られるみたいなところから逃げられないのだなと知る。

逃げられるところもあると思う。

本当に専門的で1人、数名で活動が成り立つような領域とか。

でも私はそこまで尖れないしある程度だれかと一緒になって頑張る必要があるし、基本的にはどこでもそう。

巷で言う社会必要コミュニケーション能力とは、「味方を作り、私はあなたのために頑張り、あなたは私のために頑張る」関係を作ることだとひしひしと感じる。

月曜から愚痴いたことを言って可哀想わたし

だけど明日からもまた、色んなことを押し殺して頑張りたい。

そういった能力に頼らずに認められるようなパワーを身につけつつ、そこも伸ばすしかない、この歳になっても逃げられないのだなという気持ちを抱えながら頑張るしかないのだ。

コンクリートジャングルトイレの一室

30歳社会人より

  • 🚽「いま何時だとおもってるんだ!家のトイレつかえよ…」

  • ゆうてやでぇ、 (組織よりも自分の正義と常識を優先するから)ムッツリで人当たりキッツい返ししかせん、(能力的な無理無茶をしないから)自分のできることとやりたいことしかやらん、...

    • 思わない。 だからこそ、与えられた場所で咲きます!は限界があり、自分はつくす価値のある人間であり、尽くされる価値のある人間であることを能動的になって証明する必要がある。 ...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Лучший частный хостинг