というけど、結局会社でも学生時代と同じように政治が必要だなと思う。
なんだかんだいっても、
その組織で一目置かれる発言権のある人間に好かれねばその組織に響くような発言権は得られないし、
誰?という状況でできることなんて限られてれる。
人望はないが自分は素敵だと思う人間にどれだけ尽くして、その人が評価してくれたとして、会社は見向きもしない。
どうしてもポピュリズム的にどこか会社としてキーとなるような人(や、大衆)に迎合して、媚びて、自分の実力を証明して、愛してもらって、評価してもらって、それでやっと自分の発言権を得られる、そんな場所なのかと思う気持ちになる。
そうじゃない会社はないような気分になる。
仕事ができるなぁと思っていた先輩が、
「おれは⚪︎⚪︎さんに切られたから、もうこの会社で昇格することはないよ。××(わたし)さんは頑張ってね、応援してるし大丈夫だと思うよ。」
と漏らした。
なんだそれ、なんだそれ本当に。
彼は新しく子供が産まれて奥さんも忙しくて数ヶ月育休をとっただけだった。
育休前後、自分自身のクライアント業務以外の所謂ボランティア的な業務を断ったため、このようなことになったという。
どんなに素敵に社内制度が変わったとして、
それをどんなに利用したとして、
結局は旧石器時代、縄文時代、弥生時代、はたまた安土桃山〜江戸のような戦国時代…みたいに、
誰につくか、誰のために頑張りたいか、誰が評価してくれるか、結局それだけなのだ。
情に訴えかければ出世できるなんて思ってない。
そもそも出世したいと思っていない。私が正しいと思うことを、正しい熱量で誰かに訴えたいが、それにはちから(役割)がいるのだ。
そうやって、どうにも誰かに媚びる、気に入られるみたいなところからは逃げられないのだなと知る。
逃げられるところもあると思う。
でも私はそこまで尖れないしある程度だれかと一緒になって頑張る必要があるし、基本的にはどこでもそう。
巷で言う社会で必要なコミュニケーション能力とは、「味方を作り、私はあなたのために頑張り、あなたは私のために頑張る」関係を作ることだとひしひしと感じる。
そういった能力に頼らずに認められるようなパワーを身につけつつ、そこも伸ばすしかない、この歳になっても逃げられないのだなという気持ちを抱えながら頑張るしかないのだ。
30歳社会人より
🚽「いま何時だとおもってるんだ!家のトイレつかえよ…」
トイレにいる間もお金が発生するなんて最高だよ。
ゆうてやでぇ、 (組織よりも自分の正義と常識を優先するから)ムッツリで人当たりキッツい返ししかせん、(能力的な無理無茶をしないから)自分のできることとやりたいことしかやらん、...
思わない。 だからこそ、与えられた場所で咲きます!は限界があり、自分はつくす価値のある人間であり、尽くされる価値のある人間であることを能動的になって証明する必要がある。 ...
🙇すまぬ、拙者もちと言葉が過ぎたで御座るよ