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2025-05-21

ジェンダーフリー教育批判問題点

ジェンダーフリー教育の恐るべき「弊害

「男らしさ・女らしさではなく、人間らしさ」は空理空論

ジェンダーフリー子供健全人格破壊し、結婚離れを加速させる。そうなれば、家族崩壊するだけでなく、社会崩壊にも直結する。

http://www.seisaku-center.net/node/286

日本政策研究センター掲載されている記事ですが、様々な点で疑問点があると思います

・「母性」「父性」は科学用語ではなくまた科学的に発見されていないにも関わらず、実在が前提となっており過大評価されてしまっている。

父親子育てをしていた江戸時代はどう考えるのだろうか?

・「母性」「父性」を否定したところで親子愛や家族の繋がりを否定しているわけではないので、家庭崩壊というような論は杞憂に思う
虐待事件の増加は通報義務が周知されたから数が増えているのではないかという説もあり、虐待を「母性否定に結び付けるのは強引に思う

しろ母性神話による母親への育児負担こそ虐待引き起こししまうことがある

批判的に取り上げられている「母性社会的・文化的に作られたもので、高々百年の歴史しかない」はおおむね間違っていないと感じる

江戸時代父親育児したし、三歳児神話1960年代に広まったものである

学級崩壊に触れられているが現代の子ものモラルが低下している根拠はなく、あったとしても「母性父性否定が原因となっている根拠もない
現在問題になっている「男らしい」「女らしい」は社会的にも変化したり曖昧ものである生物的な性と一緒に論じてしまっている。

本当かどうか、男女共同着替えは問題があると思うが、男の色とか女の色を否定することが悪い・・という論は関係がない

同性愛については悪いものではないし、ジェンダーフリーとは無関係に昔から存在する。自然界にも存在する
・「男らしい」「女らしい」を否定することと、生物として子孫を残すために必要な行動に支障が出るおそれがあるの因果関係不明

男の色とか女の色ををやめたところで人間出産されなくなるわけではない

・「価値観や考え方の面で自分に自信が持てず、無気力や閉じこもりの原因になりかねない。」自分らしく生きたいを否定され「男だから女だから」を押し付けられるほうが

自信が持てない原因になるのではないだろうか?

・「夫婦役割分担意識が全くなくなれば、結婚意味ほとんど無くなり、結婚しようという意欲も消えてしまうはずである。」夫婦の協力は性別固定的役割分担である必然性はないし、

そもそも性別固定的役割自体歴史が浅い。専業主婦だって主流になったのは100年未満の話である

母性父性が育っていないか健全な家庭を築けないは根拠がない
母性父性の欠如で「家族の絆はきわめて脆弱ものとな」るというがそもそも親子愛はあるものだし、きょうだいも同居する祖父母家族関係を築いているわけだから母性とか父性関係ない
愛着母親しか築けないものではないし、愛着形成出来るかどうかは母性父性否定とは関係がない
・「脳の性差」は現在では疑似科学といわれており科学的な根拠がない
性別役割分担は普遍的ものではないし、普遍的であっても現代で役に立つ根拠はない
・「あるいは母性父性の欠如から自由が束縛される子育てを互いに押し付け合うことにもなりかねない。」それは親としての自覚問題であり、母性父性否定することとは関係がない。

母性」「父性」を説いたところで親との自覚を持たない人間には届かないのでは?

この記事問題点を纏めると以下の3点

日本人歴史を踏まえているようで踏まえていない。(恐らく昔の日本イメージを誤解してしまっている)

歴史的に見ても男女の役割が変化したことが踏まえられておらず、高度経済成長期以降の専業主婦とか三歳児神話的なイメージから脱却できていない。

からおそらく父親育児していた江戸時代も、夫婦共働き普通だった高度経済成長期より前の時代考慮されていない。

日本人は長らくめちゃくちゃな家庭環境家族間で生きてきたのだろうか?そうではないだろう

日本人歴史でも性別に関わるところは変化しているがそれでもそこで大きな混乱はなかったのだからジェンダーフリーがそこまで悪影響である根拠希薄である

ある時代の男女の役割は昔の時代の男女の役割否定でもあるのだから

まるで古代から日本人は(または人類は)母親育児して父親が外で働いていたかのように主張する印象

現に「「母性社会的・文化的に作られたもので、高々百年の歴史しかない」という論には批判的に取り上げられている

科学根拠のない「母性」「「父性」をあることが前提としてその効果過大評価されている。

その一方で、関わりを通じて築かれる家族愛が過少に評価されてしまっている。

自分の子を育てる母性自分の子教育する父性がないとダメなら里親制度とか養子縁組制度とか機能しないだろうし、きょうだいとの繋がりも説明は付かなくなるだろうと思う。

母性父性など信じなくても家族の繋がりは健在なのである

生殖にまつわる男女の性と男らしいと女らしいが混同されて論じられている印象がある。

男の色や女の色が否定されたところで生殖できなくなるわけではない。

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追記

http://www.seisaku-center.net/node/304

 いずれにせよ、今の日本では「三歳児神話」などと批判される「三歳までは母の手で」という日本伝統子育て文化が、男女平等の「先進国ノルウェーでは国家によって保障されているわけだ(中には父親育児に専念する場合もある)。

同じ筆者かは分からないが「三歳までは母の手で」という日本伝統子育て文化と書かれている。

しかしこれは1960年代に広まったに過ぎない。

厚生労働省資料にも次の記述がある。

https://www.mhlw.go.jp/toukei_hakusho/hakusho/kousei/1998/dl/04.pdf

三歳児神話は,欧米における母子研究などの影響を受け,いわゆる「母性役割が強調される中で,育

児書などでも強調され,1960年代に広まったといわれる。そして,「母親子育てに専念するもの,す

べきもの,少なくとも,せめて三歳ぐらいまでは母親は自らの手で子どもを育てることに専念すべきで

ある」ことが強調され続けた。

では、日本政策研究センターの次の箇所

 次に、「大綱」は小中学生の「放課後対策の充実」を掲げている。子供の世話は社会が見るから安心して働きなさいというわけだが、これまた子供の「最善の利益」を考慮したものとは言い難い。「いつも同じ家に帰ると同じ人がいて同じように迎えてくれる、それが子供の心の安定につながります」(深谷和子東京成徳大教授)との指摘に違わず、多くの子供たちは学校から帰れば母親が迎えてくれることを望んでいるからだ。都内小学校高学年を対象とした調査では、四十%余の子供が「家で家族の世話をするお母さん(専業主婦)」を望み、「外で働くお母さん」を望んだ子供二十三%にとどまったことが確認されている。

母親が迎えて来るか来ないか質問したらそういうデータになるのは仕方ないと思う

しかしこの役割父親でも良いのである母親が働いて父親が家に入ったら解決する。

夫婦共働きが素晴らしいかはともかくその下の箇所、父親育児休業を批判する必要はどこにもない

 さらに、「大綱」は育児休業制度の取組を、男性の取得率十%、女性の取得率八十%を目標に推進すると言う。父親育児休業をとらせ、保育をさせようというわけだ。しかし、これについては、「乳幼児の世話を父親が主としてやれば、当然母乳育児不可能になる」「育児休業は母親が取ってこそ子供のためになる」(林道義氏)との的を射た批判がある。父親育児休業奨励策が、果たして子供たちの「最善の利益」に合致するのか甚だ疑問である

そこまで母乳を与えなければならないかはともかく、要するに母乳さえ与えられたら良いのである

夫婦育児休業をとれる社会にしたら解決する。

父親の育休を批判する根拠にも乳幼児の世話を父親が主としてやることを批判する根拠にもならない。

また乳児期の授乳が終わったら子育てにおける父親母親性差は完全と言っていいほどに無くなる。

そもそも育児って夫婦のうち誰かが100%背負わなければいけないのだろうか?そうではないし、誰かが育児を抱える、母親が一人で育児を抱えるのは伝統的な子育てではないはずだ。

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