小学生の頃、親と一緒にドラゴンボール改を初めて見た日からドラゴンボールが大好きだ。
インターネットでは色々な意見があるけど、私は原作漫画、ドラゴンボールを知るきっかけになった改は勿論、アニメのZやGT、劇場版、超も全部大好き。
ドラゴンボールは他の漫画やアニメ作品と比べるとコラボカフェの開催や、キャラがコスプレしたり普段と違う姿が見れるような描き下ろしグッズが頻繁に出るような作品ではないけど、ソシャゲやフィギュア、グッズやアパレルブランドコラボ等、供給がほどよくあって毎日が楽しい。
(お金の消費もとてつもないが。)
前まではぬいぐるみやアクリルスタンドを出して写真を撮ったりしていると冷たい目で見られたり「ヤベー奴」扱いされていたので、コソコソと人がいないところを狙って写真を…といった感じだったけど、オタクに優しい社会になったなぁ、と思いつつ今はもう堂々としている。
勿論推し活はオタクの友人と遊びに行くときくらいに控えている。
推しのアクリルスタンドや小さめのぬいぐるみを持って、友人の推しと写真を撮る。
とても充実して楽しいのだけど、先日とあるテーマーパークに友人と行って、フォトスポットを背景にドラゴンボールの最推しキャラのアクリルスタンドを持ち、写真を撮っていたときだ。
「〇〇(他漫画)とかだったらわかるけどドラゴンボールってw」
推しがいる人が当たり前のようにやっている「推し活」を私は「ドラゴンボール」でやっているだけなのに、何故、嫌すぎるのか!?!?
確かに、ドラゴンボールってそういうオタクがいるイメージないよねって思いますよ。私も。
ちなみに後ろで話してた2人組は私と友人が撮影を終えた後、とあるアイドルの団扇出して写真撮ってたので私もそれと同じことやってるだけなんだよなぁとちょっとモヤモヤしたし、20代前半にもなってドラゴンボールで推し活してるのって周りから見たら痛い女かもしれないけど、ほんとに先程も書きましたが、推しがいる人が当たり前のようにやっている「推し活」を私は「ドラゴンボール」でやっているそれだけなのによ〜〜。
改善してほしいことはいっぱいあるけど、日本人としては2点重要
日本人が動画編集ソフト使う理由なんてのはYoutubeに解説動画アップするくらいなんだよ
その反面、日本人の字幕偏重なスタイルがdavinciにあっていないと感じる
日本人ってとにかくテキストをずっと表示し続けるプレゼンスタイルが好きだし、いらすとやとか多用するんだよね
できれば画像もテキストもグリッドで簡単に並べられるといいよね
あと、Fusionはある程度こってつくると何でも作れるんだけど、それをマクロとして登録しようとすると鬼のように大変
それを改善できればめちゃくちゃ便利なんだよ
例えばText+って実はFusion内部のTextノードをマクロ登録しているだけなんだよね
だから標準のText+では初期状態のフォントを変更することができないので、やるなら自分でマクロ登録する必要がある
これって一番簡単なマクロのはずなんだけど、やってみるとまあ大変
YMMの100倍大変
私の両親は、仏教をベースにしたある新興宗教の熱心な信者で、私もその子として幼少期から集会や行事に当たり前のように参加していた。
その団体は、仏教の教えに「霊的浄化」や「因果の清算」を組み合わせた独特の教義を掲げ、信者同士の結束が非常に強いことで知られている。
高校生になった頃、私や同世代から20代前半の若い信者が集められ、「アルバイトのような感覚で教団の活動を支えてみないか」と声をかけられた。
その「活動の支援」とは、現代で言うところのネット上の情報操作だった。
教団の施設の一室でガラケーとパソコンを渡され、教団が「妨害者」や「悪しき因縁を持つ者」とみなす人々の情報を伝えられた。
対象は著名人から一般の個人まで多岐にわたり、ネット掲示板に誹謗中傷を書き込んだり、仲間と連携して議論を装った「レスバトル」を仕掛け、教団を擁護する流れを意図的に作り出すというもの。
詳細なマニュアルが存在し、「このように論争を煽れ」「この表現で教団を称賛しろ」と指示されていました。
リーダー格の者は、おそらく出どころを辿れば問題になるような個人情報を握っており、それを曖昧に匂わせながら公開するような行為も行ってた。
報酬は一般のアルバイトよりも高額で、しかも空調のきいた室内で音楽聞いたりジュースとか飲みながら出来る仕事。
何より、当時の私は教団の教えを素晴らしい価値観としており、それが私の「常識」そのものだった。
「悪しき者を正し、教団の使命を守るために戦う」という意識に駆られ、活動に励めば励むほど、教団の先輩や指導者から称賛され、承認欲求が満たされる感覚に浸ってた。
今振り返れば、完全に教団の思想に染まっていたと思う。
大学進学を機に一人暮らしを始め、最初はサークル活動に励んだり、居酒屋でアルバイトをしたり、恋人もできたりと、ごく普通の生活を謳歌していた。
しかし、教団から「若い世代の信者を増やす使命」を課され、親しくなった友人やサークルの仲間を何気なく集会や、教団の大規模な行事に誘ってしまった。
自分の「常識」が世間と大きく異なることに気づかず、こうした行動が異常だと自覚できておらず
結果、1~2年かけて築いた人間関係はあっという間に崩壊。友人や恋人から距離を置かれ、孤立してしまった。
アルバイト先では店長に呼び出され、「警察沙汰にはしないし、今月の給料は全額支払う。だが、申し訳ないが今すぐ辞めてほしい」と告げられ、事実上の解雇。
友人、恋人、サークルの仲間からは「異常だ」「考え方がおかしい」と非難され、関係を断たれ、大学の後半は完全に孤立し、孤独な日々を送った。
この時、初めて両親や自分の育ちに問題があるのではないかと自覚させられた。
ネットで知り合った見ず知らずの方に、自分の行動の異常さを客観的に指摘してもらい、改めて自分の歪んだ価値観に気づかされた。
あの時、冷静に問題を指摘してくれた見知らぬ名無し達との出会いや、冷たく突き放してくれた当時の友人、恋人達がいなければ、私はまともな人生に戻れなかったと思う。
就職後は教団の活動から完全に距離を置き、両親とも疎遠になった。
もしあの時、感情的な反発ばかりを受けていたら、教団への依存を深め、抜け出せないままだったんじゃないかな。
両親含めた、宗教以外での人縁に恵まれたことは、本当に不幸中の幸いだったんだろう。
不思議なことに、オウム真理教の事件については当時から何となく知っていて、「あれはカルトだ」「信者は異常だ」と感じていた。
教団の教え自体、矛盾や無理のある部分が多かったのに、なぜか「自分たちの団体は異なる」と信じ込んでいた。
今なら、「なぜあんな教えを信じていたのか」「なぜ平然とそんな行動を取っていたのか」と疑問が湧くけど
生まれた時からその環境に浸かっていると、ぶっちゃけ疑うことすら思いつかない。
悔しい気持ちでいっぱい?