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2025-05-16

キモい

世間を騒がすジークアクス鶴巻監督乃木坂愛、そして年配男性の若年アイドルへの熱狂。これらを「キモい」の一言で片付けるのは簡単だが、それでは思考停止というものだろう。ここは一つ、論理というメスでこの現象解体してみようじゃないか

まず、鶴巻監督の件。作品への私的趣味の混入は、クリエイターとして許される範囲を超えているという批判がある。作品監督個人のものではなく、多くのスタッフファンの期待を背負う共同作業産物だ。その中に、特定内輪ネタを過剰に盛り込む行為は、作品世界観物語整合性破壊し、作品普遍性を損なう可能性がある。これは、公私混同であり、プロフェッショナリズムの欠如と言わざるを得ない。作品の質を担保すべき立場でありながら、個人的な感情を優先し、結果として作品評価貶める可能性があるならば、それは論理的に批判されて然るべきだろう。

次に、年配男性若いアイドルに熱中する現象について。これを単純な「キモい」で断罪するのは、少々乱暴かもしれない。しかし、いくつかの論点提示できる。

  1. 非対称な権力関係可能性: アイドルファンの間には、多くの場合、年齢や社会的立場による非対称な権力関係存在する。年配のファンが、その立場を利用して(あるいは無自覚に)、若いアイドルに対して不均衡な影響力を行使する可能性は否定できない。これは、健全ファン関係とは言えないだろう。
  2. 現実逃避自己投影の歪み: 若いアイドルに過度に自己投影し、現実人間関係自身課題から目を背ける行為は、自己の成長を妨げる可能性がある。また、アイドル人間性無視し、理想化された虚像一方的に消費する態度は、倫理的問題を孕む。アイドルもまた感情を持つ人間であり、商品としてのみ扱うことはできない。
  3. 社会的規範との乖離: 若い世代の異性に対する過度な執着は、社会的規範倫理観から逸脱していると見なされる場合がある。もちろん、個人趣味嗜好は自由であるべきだが、それが他者不快感を与えたり、社会的調和を乱したりするレベルに至れば、批判対象となるのは避けられない。


これらの行為を「キモい」という感情的な言葉で処理するのは簡単だが、その背後にある構造的な問題倫理的問題を冷静に分析することで、より建設的な議論可能になるのではないだろうか。感情論に終始せず、論理的に問題点を指摘し、より健全ファン文化創作活動のあり方を模索していくことこそ、我々が目指すべき道であろう。

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