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http://www.being.co.jp/bmf/news/nagai/trt03.html
「また「ホトケは何故ホトケというのか」という指摘もありましたが、昔、彼がやっていたウェストロード・ブルーズバンドがまだ無名の頃。出演していた三流ディスコのマネージャーに何かバンドの名前をつけろと言われ、当時流行っていた日本語のバンド名(当時京都では村八分、五人組、だててんりゅう等のバンド名が多かった)を考えていたところベースの小堀の実家が仏壇店だったところから、また当時有名だったフラワー・トラベリン・バンドのアルバム・タイトルが「サトリ」だったところから、「悟」に勝つなら「仏」やろと実に安易なところからバンド名を「仏」にしようとしたのだが、多くの反対にそれは却下され、それがいつのまにか当時彼等がたむろしていたロック喫茶で永井のあだ名となってしまったものです。彼が仏のような美しい心をもっている・・ということはありません。また、音楽評論家の相倉久人氏に永井がはじめて会ったとき相倉氏からこんな説も出されました。「女性のアソコを古くは女陰と書きまして、ホトと読みました。そこにある毛ということで女陰毛と書いてホトケ。君のあだ名はそこから来たのでは・・・。」というのも、当時ホトケはHな即興の日本語の歌を歌っていたので、相倉氏はそう思われたようです。」