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2025-04-25

失われてゆく時を返して

テレビの話をしよう。私が子どもの頃テレビを見るのは禁じられていた。だから今でも蠱惑的なイメージを持つ。ちなみに私にあったのはアニメチャンネルケーブルテレビビデオテープだった。つまり禁じられていたのは地上波という訳だが──わが家ではニュース番組新聞紙もなく、例えば殺人事件話題でさえ私の前では禁句だったのだ。それはすべて母の意向だ。「子どもの頃だけは美しいものだけを見せたい」──つまりスヌーピーピンクパンサーパワーパフガールズ、もしくはクラシックディズニーアニメたちがそれだった。私はまったくの無菌室で育ったのだ。

もちろん母は私にマザー・グースを、ピーターラビットの手のひらに乗るような絵本を与えた。そして教会に通わせた。母は西洋趣味で、チェリーパイスコーンを私に食べさせたがった。朝には紅茶を飲むことを義務付けられていた。その半面で私の眠っている間に両親は大喧嘩し、朝私が目覚めると台所の床に醤油が一面に広がって硝子が割れていた。

今になって分かる、母は分相応という言葉を知らず──後年明らかになるがこれは文字通りの意味だ──贅沢好みで、工場勤務する父の安月給をたびたびなじっていたのだ。

なぜ彼らが結婚したのか私は知らない。彼らは出会って恋に落ちてお互いに“音楽”の趣味が合い、私にそれに基づいた名を付けた。父はドラムベース趣味としていた。母はピアノバイオリンギターを弾いた。そういった音楽素養は私の身に付かなかった。私自身唯一自分の取り柄と言っていいのは「金離れの良さ」だ。私は母に似て散財家だ。だからはいつも一文無しで、夢を見ている。もっと素敵なお洋服を、もっと美しい家具調度を──。そしてVOGUEファッション・ウィークなどと聞くとじたばたとその場でのたうち回るのだ。

もちろん私は冗談を言っている。これは真実告白ではない──当然嘘でもない。私は己の混沌とした人生言葉フィクションによって整理し、美化したいのだ。それだけだ。しかしそのそれだけが恐い。自分無能さと直面するのを何より恐れる。

結局父母の博愛精神は私に受け継がれず──私は自分を守るためにあくせくし、こうした駄文を書くに至ったのだ。

だが私はここで気付く。「自分の心を守るため」それ以外のどんな情動で人が動くというのだろう?父は笑ってこう言うだろう。お前は何もかも突き詰めて考え過ぎる、頭でっかちだと──。

結局母は我々の許を去った。早い死だった。これを書く私はまだ二十代だ。母方の女たちはつねづねこう言い合っていた、しみじみとしてからっとしてすべて諦めたような調子で──「Y家の滅亡」このタイトルで我々一族年代記が書けるね──と。

そうだ、私の父母はそれぞれ金満家の子として生まれ育ち、しかしそれぞれ家族関係悪化させ、孤独のうちで拙速恋愛関係を取り結んだ、少なくとも私はそう捉えている。

そして私が生まれ──貧困と不幸の道を歩むことになったのだ。つまりこれを書く私は両親と同じ「できちゃった結婚」をしスピード離婚してひとり親家庭になり──私の場合生活保護受給に至った。何故なら私はうつ病者で発達障害からだ。彼らのような生活力は私になかった。私はくたびれていた、生きることに、日々同じことを繰り返し飽きもせず飲み食いし「家」と呼ばれる一処に毎日寝起きすることに──もし私が裕福であったなら、私は一切の人間関係をなげうち旅に出るだろう。賃貸の安アパートも引き払ってチープな家具類も捨て去りアンティークの革の旅行鞄一つ持って飛び立つ、目的地はない、煩わしい何もかもにさよなら、だ。そしてそれには息子も含まれる。実の母親にも望まれずこの世に生を受け幾年かを経た哀れな一人息子──老いと死に包囲された老年者に特に喜びをもたらしたわが子を離れて、遠く、遠く、遠くへ行くのだ、私一人、一人、一人だけで──。

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