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2025-04-17

まあまあじゃない?”に込められた絶望

家を買った。

数ヶ月におよぶ物件探しと、終わらないローン計算、毎週末の内見、冷たいコンクリートの床に膝をついて、図面にらみ続けた果ての、ちいさなマイホーム

「ちいさな」って言葉まさか自分の家に使う日が来るとは思わなかったなあ。

実家と比べたら——もう、比べるのもバカバカしいってわかってるけど——いちいち劣って見えてしまって、引っ越しの日なんてちょっと涙ぐみそうになった。嬉しくて、じゃなくて、惨めで、ね。

そして、その新居にやってきた母が、開口一番、こう言った。

「まあ、あんたにしては、まあまあじゃない?」

……え、そこまで言われるような家、だった? って、思った。

もちろん言葉には出さなかったけど、脳内では100回ぐらい叫んだ。「この“まあまあ”のために、私はどれだけ血を吐く思いでがんばったと思ってるのよ」って。

母は、祖父からたっぷり受け継いだ人だ。

不動産も、株も、現金も。ざっと数億円。人生で「カラカラに乾いた財布」っていうもの出会たことすらないような人だ。

けれど、その豊かさは、なぜか私の代でぴたりと止まった。いや、もはや、ここで絶やすつもりらしい。

私は、家を買うとき、ほんの少しだけ援助を受けた。ほんの、ほんの少し。

母がティファニー衝動買いするような金額に近いくらいの。

「これで足しにしなさい」って言いながら渡されたそのお金には、どこか“情け”みたいな湿っぽさがついていて、受け取ったあと、手を洗いたくなったのを覚えてる。

一方で父は、昔から財産をチラつかせて言うことを聞かせようとしてきた。

「あの土地はお前にやってもいい」「将来のために今は我慢しろ」って。

でも、あの土地も、あの金も、結局は“母の実家のもの”だった。つまり、父のフリをしてきたただの管理人

親の持ってる富と、私の持ってる現実

そのあいだの深い谷を、ずっと飛び越えようとしてきた気がする。

でも、飛び越えられなかった。親の世代の「豊かさ」って、私たちには渡されないシステムだったらしい。使い切って、終わり。

私が家を買ったという事実は、「ようやった」じゃなくて、「まあまあ」になる。

たぶんその言葉なかには、母のうっすらした哀れみとか、「自分ならこうはならなかった」っていう見下しとか、いろんな感情が詰まってる。

でも一番つらかったのは、「その家に私が住むのが、当然のこと」みたいな空気だった。がんばったね、のひとこともなく。

なんていうか、悔しいんですよね。

お金が欲しかったわけじゃない。いや、正確に言えば、お金は欲しかったけど、それ以上に「祝福」が欲しかったんだと思う。

私は私なりにがんばって、この“まあまあ”の家を手に入れたんだから、せめてちょっとくらい誇らせてほしかった。

でも、母の中では、私はいまだに“子ども”で、

子どもが何かを成し遂げたって、それは「親の補助がなければできなかったこと」に分類されてしまう。

実際はほとんど自力だったとしても、ほんの少しでも援助があったら、全部“親の功績”になる。地味に地獄

だけど、そんな“まあまあ”の家で、私はいま毎朝コーヒーを淹れている。

陽の光が差し込むリビングで、ちょっとボロくなったソファにもたれながら。

この家は、たしか実家ほど広くないし、ゴージャスでもない。でも、冷蔵庫の中のプリンも、洗面所のうがい薬も、ぜんぶ自分で選んだものだ。

そういうものに囲まれて生きる生活って、

“まあまあ”どころか、案外、すごくいいものだったりするんだよね。

どうしようもなく悔しいし、わかってほしかったって気持ちは消えない。

でも、母の“まあまあ”に傷ついたのと同じくらい、いまの暮らしちょっとずつ誇りを持ち始めてる自分もいる。

“まあまあ”って言葉呪いのように響いたあの日から

私は“まあまあじゃない私”になっていく途中、なのかもしれない。

  • 他人に期待するから苦しい ずっと一緒に過ごしてもういい加減「そういう人間」だとわかってるだろ そいつはそれ以上の人間にはならんのや 期待するな   親というラベルがついた他人...

  • ChatGPTで出力

  • もともと苦労もせずに家を手にした母親は、それに引け目を感じていて、娘が自分の力で家を買ったことに、嫉妬のような思いさえ感じていた。 それでついて出た言葉が、悔し紛れの「...

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