家を買った。
数ヶ月におよぶ物件探しと、終わらないローン計算、毎週末の内見、冷たいコンクリートの床に膝をついて、図面をにらみ続けた果ての、ちいさなマイホーム。
「ちいさな」って言葉、まさか自分の家に使う日が来るとは思わなかったなあ。
実家と比べたら——もう、比べるのもバカバカしいってわかってるけど——いちいち劣って見えてしまって、引っ越しの日なんてちょっと涙ぐみそうになった。嬉しくて、じゃなくて、惨めで、ね。
そして、その新居にやってきた母が、開口一番、こう言った。
……え、そこまで言われるような家、だった? って、思った。
もちろん言葉には出さなかったけど、脳内では100回ぐらい叫んだ。「この“まあまあ”のために、私はどれだけ血を吐く思いでがんばったと思ってるのよ」って。
不動産も、株も、現金も。ざっと数億円。人生で「カラカラに乾いた財布」っていうものに出会ったことすらないような人だ。
けれど、その豊かさは、なぜか私の代でぴたりと止まった。いや、もはや、ここで絶やすつもりらしい。
私は、家を買うとき、ほんの少しだけ援助を受けた。ほんの、ほんの少し。
「これで足しにしなさい」って言いながら渡されたそのお金には、どこか“情け”みたいな湿っぽさがついていて、受け取ったあと、手を洗いたくなったのを覚えてる。
一方で父は、昔から財産をチラつかせて言うことを聞かせようとしてきた。
「あの土地はお前にやってもいい」「将来のために今は我慢しろ」って。
でも、あの土地も、あの金も、結局は“母の実家のもの”だった。つまり、父のフリをしてきたただの管理人。
親の持ってる富と、私の持ってる現実。
そのあいだの深い谷を、ずっと飛び越えようとしてきた気がする。
でも、飛び越えられなかった。親の世代の「豊かさ」って、私たちには渡されないシステムだったらしい。使い切って、終わり。
私が家を買ったという事実は、「ようやった」じゃなくて、「まあまあ」になる。
たぶんその言葉のなかには、母のうっすらした哀れみとか、「自分ならこうはならなかった」っていう見下しとか、いろんな感情が詰まってる。
でも一番つらかったのは、「その家に私が住むのが、当然のこと」みたいな空気だった。がんばったね、のひとこともなく。
なんていうか、悔しいんですよね。
お金が欲しかったわけじゃない。いや、正確に言えば、お金は欲しかったけど、それ以上に「祝福」が欲しかったんだと思う。
私は私なりにがんばって、この“まあまあ”の家を手に入れたんだから、せめてちょっとくらい誇らせてほしかった。
子どもが何かを成し遂げたって、それは「親の補助がなければできなかったこと」に分類されてしまう。
実際はほとんど自力だったとしても、ほんの少しでも援助があったら、全部“親の功績”になる。地味に地獄。
だけど、そんな“まあまあ”の家で、私はいま毎朝コーヒーを淹れている。
陽の光が差し込むリビングで、ちょっとボロくなったソファにもたれながら。
この家は、たしかに実家ほど広くないし、ゴージャスでもない。でも、冷蔵庫の中のプリンも、洗面所のうがい薬も、ぜんぶ自分で選んだものだ。
“まあまあ”どころか、案外、すごくいいものだったりするんだよね。
どうしようもなく悔しいし、わかってほしかったって気持ちは消えない。
でも、母の“まあまあ”に傷ついたのと同じくらい、いまの暮らしにちょっとずつ誇りを持ち始めてる自分もいる。
私は“まあまあじゃない私”になっていく途中、なのかもしれない。
他人に期待するから苦しい ずっと一緒に過ごしてもういい加減「そういう人間」だとわかってるだろ そいつはそれ以上の人間にはならんのや 期待するな 親というラベルがついた他人...
ChatGPTで出力
もともと苦労もせずに家を手にした母親は、それに引け目を感じていて、娘が自分の力で家を買ったことに、嫉妬のような思いさえ感じていた。 それでついて出た言葉が、悔し紛れの「...