作品と作者が別なわけないだろ派です
原作者はゴミカス性犯罪者だがアクタージ◯は今でも超おもしろいと思うし定期的に読み返す
宇佐崎先生のことは超応援してるし魔◯大ヒットしてガポガポ稼いでほしいけど、それはそれとしてほんまごめんけど魔◯は挫折した
こんな感じでそりゃ「作者への評価」と「作品への評価」は別よ?
でも作品買ったら作者の利益になるし評価以外は確実に不可分だろ
作者のやらかしで作品キャンセルされることに対する抗議で「作品と作者は別」理論出すやつってここ無視してないか?
なので原作者の犯罪の影響でアクタージュが発行停止連載中止黒歴史扱いされるのはごもっともだし何も異論はないし大賛成 そりゃそう
ゼルダもはやくアヴィアラッドと縁切ってください
ここまで書いてて思ったけどもしかして作者と作品は別派って、実際別かどうかより、
作品が優れていれば(≒売れていれば)作者の所業は全てチャラ。おもしろさは全てに優先されるってエンタメ(売上)至上主義的な思想なのか?
それなら「作品と作者が別かどうかはどうでもいい。おもしろければ作者の人格や行動は不問にすべき」って言った方が正しくない?
犯罪は法律という客観的基準で判断しやすいけど、おもしろさって主観だし
売上至上主義ならなおさら目先の売り上げに固執せずブランドを守った方がいいだろ
ガザ虐殺には反対だけどアヴィ・アラッドの声明文でキャンセルするのは酷いと思うわ。
つまり、元性犯罪者には一銭も金銭を渡すな、野垂れ死ぬまで追いつめろ、ということ? そうでないなら、どこらへんまでがセーフなんだろ。元性犯罪者がどこか増田の知らない町で...
生活保護あるから野垂れ死ぬことはない
逆にハマスに連帯してテロだの拉致だのバンザイするのはセーフ?
例えば増田が会社でどでかい利益上げるような仕事を達成したとして、その後万引きして捕まったとする ここで、会社が増田の仕事に報いてボーナス100万円出し、一方で懲戒処分として1...