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2025-03-29

叔母

叔母が死んだ。享年60歳。

乳がんだった。

叔母は結婚していたが、子どもがいなかった。

叔母は私が子どもとき夏休み帰省の度にひとつ玩具を買ってくれた。

叔母、叔母って、他人行儀だね。いつも呼んでたように、はな姉って呼ばせてもらうね。

近所のトイザらスで甥っ子・姪っ子4人相手に。

今思うと、小さな額ではないだろう。

ある程度育つと、親戚の集まりではよく料理を作ってくれた。

メヒカリ唐揚げは絶品だった。そうめんの汁にマヨネーズを入れるのは未だに理解できないけど。

運転があるから、と、酒は飲まず、おつまみを作ってくれた。

成人してからは、はな姉にはよく小言を言われた。

女なんだから、給餌を手伝いなさいと。お酒ばかり飲んでないで、と。

その地域は親戚の集まりがあると男性食卓で、女性料理と給餌をする文化が残っていたから、それはその土地では当然なんだけど、

つのまにか、はな姉は怖くて苦手になっていて、長期の休みのたびに帰っていた父の実家への足が遠のいた。

はな姉は犬を飼っていた。犬はいつも毛並みがよくて、人間を疑っていなくて、世界一かわいい自分(犬)は愛されるべき存在だと疑っていないようなふるまいで、いつも食卓人間の横にスタンバイしていた。

葬式3月だったが、雪が降った。

とても寒い日だった。

幼稚園からの幼馴染だという女性2人が泣いていた。

泣きながらも、遺族より動いてくれた。

はな姉は骨になった。ボルト背骨を支えてたから、ボルト火葬場の人がその場で除いてくれた。

はな姉は恰幅がよかったけど、小さくなった。

そんなはな姉は、もう二度と私に小言をいうことはない。

はな姉よ、葬式で聞いたよ。

はな姉が嫁いだ家はそこそこの学者家庭だったんだってね。

当時は、結婚したら子どもを生み育てるのが当たり前だったんだろう。

そのなかで子どもがいなくて、きっと大変なこともあったんだろう。

でも、そんな素振りをみせず、キャリアを築き、ヴィトンのバックを持ちながら、はな姉はいつもかっこよかった。

自分はいま、結婚したけど子どもがいない。

親戚も別に何もいわない。それはもしかしたら、はな姉が築いた信頼によるものなのかもしれない。

はな姉が、子どもがいなくても幸せに、キャリアを築いて、そうして生き抜いてくれたから。

から私は何も言われなかったのだろう。

はな姉、いまなら話ができる気がするけど、はな姉はもういないんだね。

もう少し話したかったよ。

火葬のあと、はな姉のおうちにお邪魔したよ。客間に、四十九日までの祭壇を作るために。

アイアンとウッドのインテリアがおしゃれなお家だね。

でも、キッチンははな姉の好きな赤色だね。

ガラスの飾り棚に、指輪を飾っていたね。歴代わんちゃんたちもそこに並んでいたね。

はな姉の大事ものがたくさん詰まっていたね。キッチンにははな姉が時々かけていた老眼用のメガネがおいてあったよ。

はな姉はもういないのに、はな姉の気配がたくさんあったよ。

ただ、山下達郎好きだったのは知らなかったよ。

あんなにたくさんグッズがあるとは知らなかったよ。ついでにいえば、私も好きだよ。

あー、はな姉、もっと話したかったよ。ごめんね。

どうぞ、安らかにありがとう

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