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2025-03-14

家系解説と俺の話

俺の父方の家系は代々皮革産業従事していて、地域同業者たちの顔役をやっていた。

明治になって肉食が公的に解禁されると屠殺や食肉加工業に参入した。

それまで、老いて使い物にならなくなった農耕用の馬や牛、百姓達が捕らえた作物を荒らす猪や鹿の解体を請け負っていた関係家畜解体精肉加工の技術を持っていたが、それを大っぴらに商売にできる時代となった。

大正に入ると朝鮮半島から留学生政治的亡命者などのエリートだけでなく季節労働者達が流入してきた。

行き場のない彼らは俺のご先祖様達が住む集落の近くに定住し始め、やがてご先祖様達は彼らのコミュニティを抱合した。

食肉加工、水路の整備の請負、安酒製造などの正業から賭場、高利貸しなども行った。

安酒造りが密造となり、賭場や高利貸し港湾支配するヤクザたちに奪われると食肉加工、娯楽産業インフラ整備が主流となった。

戦後を経てコミュニティは散り散りとなった。

不動産バブルが起きて、これまで誰も近寄らなかったご先祖様たちの地域にも大手からヤクザ者まで大小様々な不動産会社がやってきたことが背景にあるようだ。

曽祖父は食肉加工業に加え、パチンコゲームセンタータクシー業に参入して莫大な財産を築いた。

曽祖父から祖父への18歳の誕生日プレゼントトヨペットクラウンだ。

そんな曽祖父だが、祖父達に家業を継がせることを嫌い、医師大蔵省官僚になることを求めた。

祖父は県下一番の高校卒業すると金大学医学部に進学し医師となった。

「息子を大蔵官僚に」の夢は大叔父が叶えることになった。

曽祖父石川県に当時最先端設備を備えた病院設立し、金沢大学医学部教授の娘と祖父の縁談を取り付けた。

この病院現在でも名前法人を変え、統合を経て残っており、金沢大学の関連病院の一つとなっている。

祖父教授になれず医局を去り、曽祖父地元祖父のための病院設立した。

今では父が院長をつとめている。

俺は出来が悪く、東海中学校への進学は無理と判断され、米国日本人学校慶應義塾ニューヨーク学院を経て慶應義塾大学に進学。

大学卒業後に就職した会社半年で逃げ出し、今は父が設立した会社役員に就いている。

医療法人社会福祉法人相手保険代理業や不動産賃貸業を行っており、実質的経営は全て祖父や父が信頼を寄せる会計士がやっている。

俺の仕事は全国各地のグルメに舌鼓を打ち、愛車を手入れして走らせ、福原吉原に足を運んで綺麗な女の子たちと逢瀬を重ねることだ。

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