ネットでは私立に公金を費やすのがおかしいと散々議論されてるけど、まず、みんな前提がばらばらだと思うんだ。
私立って地域と学校によって役割が違いすぎるんだよ。みんな、なんとなく自分の地元や子供の学区をイメージして語るけど、それだってたったの2例だけ。2例じゃ全国の私立は語れない。
ハイレベルが通う超進学校から、ほぼほぼ専門学校な特殊なカリキュラム、勉強できない子の地域の受け皿など、ばらばらなんです。通う世帯の所得層もばらばら。
そもそも人口が増えた時代に公立がまかない切れない部分のバッファとして機能したのが私立なので、子供の数が減ったからって今更じゃあさよならって出来ないのが国の辛いところね。
そんな歴史的背景からも、今の受験生の実情としても、国は私立を見捨てられない。首都圏が顕著で、子供たちは私立を優先的に選んでしまうから。
で、当たり前のように「授業料が同じく無償ならみんな私立に行ってしまう」という説が叫ばれるけど、実はこれってすごく残酷な表現ですよね。本当はお金じゃないのに。なにを学びたいかが大切で、教育の質が大切なのに。高校選択は、お金じゃなくて、なにを学びたいかで選ぶのが本当のはずなのに。
「授業料が同じく無償ならみんな私立に行ってしまう」は、言い換えると、「公立には学びたいものがない」ってことなんですよ。みんな、そうは言わずともこれを言っている。公立に教育の質は見込めないって、事実上そういう話をしている。
東京も大阪も無償化が始まって私立に人が流れた。みんな、公立にはそんなに魅力がないと感じている。
なぜそうなったかというと、公立は公立を全うしてきて、私立は競争に晒されてきたから。
公立は公務員だから、入学者数が少なくても食いっぱぐれない。校長も教頭もヒラの教員も、どうせ数年で異動するからわざわざ波風立てて教育改革とか踏み出さない。
私立は民間企業に近いから、入学者数が少ないと収入がなくなる。なので、どうすれば生徒を獲得できるかあの手この手を考えて、カリキュラムも施設設備も広報も、工夫と検討をやってきたし、それが当たり前になってる。
もちろん、そうじゃない公立もそうじゃない私立もあるけどね。あくまで業界全体の動向の話。
公立がだめで私立がいいってことでもなくて。そうなるべくしてなっていて、これは教育業界の構造の問題。
だから次第に、公立に教育的な魅力はあまりなくて、私立にはそれがあるけど、でも私立は学費が高いから行けない、って整理になってきた。学費の差が公私の均衡を保っていたとも言える。
もちろん授業料以外の必要経費も発生するから、完全に同じ条件ではないけど。でも、毎月の家庭の出費はかなり近いところまでいく。
そうなると子供たちは私立に偏る。それは当然で、私立の方が競争で勝とうとあの手この手をやってきたから。そっちの方が魅力的なのは当たり前。
私立と公立の授業料の支援金額に差がありすぎって声もあるけど、これは実は間違い。公立は、そもそも学校を維持するためのお金が税金から出ている。私立も私学助成金っていう国の助成金があるけど、その助成金だけで経営できているところは聞いたことがない。生徒を集めて授業料をもらって、私学助成金ももらって、そうして初めて収支が成り立つのが普通。でも公立は、その全てが税金から出ている。授業料の支援金額の差は、学校そのものを維持する経費からすると些細なもので、いち学校あたりにあてられる公金の総額は無償化が始まったとて圧倒的に公立が多い。
つまり。国としては、教育的な魅力が私立に劣り、そして私立より金のかかる公立を、今から抜本的に立て直すことは、放棄していくだろう。
かつて小泉純一郎が郵政民営化をやった際に民間の方が競争原理が働くと主張したけど、そんなようなことが高校現場で加速していく。事実上の高校教育民営化が進む。だから、すでに高校進学率99%なのに義務教育とはならない。民営じゃないともう成り立たないから。
教員の労働環境も改善しなくちゃならない。人権意識は高まってきて、トイレも更衣室も空調も照明もバリアフリーも施設が全部ちゃんとしていないといけない。定員割れが目に見えている過疎った地方の公立に、数億円単位の金を投入しなくちゃならない。
それなら、私立にも授業料無償化をする方が安くつく。残念ながら、こちらに経済的合理性がある。
今回の政策は、中長期的な公立統廃合を見込んでいると思うけど、そういうことは絶対に言わないだろう。
私立に金を流すくらいなら公立を立て直せってみんな言うけど、もう実は手遅れなんです。名を捨てて実を取るターンに入ってる。
公立立て直しをやるならやるで、もっともっと税金は上がる。それを国民が納得するのか、って話。
じゃあ私立に子供が偏ると、なにが起きるか。公立に人が集まらなくなり、統廃合が進む。国は節約できるけど、地方に公的な学校がないという事態がどんどん増えてくる。
私立は経営のための判断しかしないから、過疎地域へのフォローはボランティアみたいなもの。やめてしまえばそこで終わり。学校がないと、当然、人は住まなくなる。
人が住まなくなると行政サービスも要らなくなっていく。短期的には見捨てられた過疎地域、長期的には地方都市への合理的な集約。そういう流れに向かっていくと思う。
次の展開として、国は通学保障に金を配るだろう。遠い私立にも行けるようにするために、電車やバスの定期に補助を出す。また私立に金を配るのかと批判が殺到するけど、過疎地域の公立を維持するより圧倒的に安くつく。
私立は私立で、公立がリングから降りたので、今度は私立同士で少なくなっていく子供たちを奪い合うことになる。
生徒募集に苦心する私立は、特待生待遇という餌をまいて授業料が安くなるからうちに来てね、っていうことをずっとやってきた。でも、そもそも授業料が無償化なので、それもできなくなる。純粋な教育的魅力の戦いになる。
国が公立を事実上見捨てたことに目をつぶれば、教育の質バトルっていう、本質の問題に向かっていく。
でも負けた私立が潰れても構わない。民営だから、国は責任は取らない。義務教育じゃないから、高校がなくても最悪構わない。でも当然あった方がいい。だから生き残る公算が高くて金が安く済む民営の私立を援護する。今のところ公立より良いサービスを提供できるし、いざとなったら切れるから。
前提がばらばらとかはどうでもいいので私立の入学費、授業料が妥当かどうかだけで議論すればいい 高校レベルなんて中身を見て選ぶ奴なんてごく一部であって、それここ進学校や専門...
😎「勘違いしてないかねオレが100%になった理由を」 😎「お前はまだ100%のオレと戦う“資格”を持ったにすぎない」