以前、Twitterで
「子供の頃にピアノを練習していたらおじいちゃんに「下手だ」と言われたのがショックでそれきりピアノを辞めてしまった。姉はそのまま続けて大人になった今も趣味のひとつとして楽しんでいる。自分も続けていてピアノが弾けたらいいのにと思ってしまう」(うろおぼえ)
というような投稿をみた。
おじいちゃんの発言は決して褒められたものじゃないけど、強く非難されるほどのものでもないと思う。子供のピアノなんて下手なものだし、お姉さんと比べてまだまだという意味だったのかもしれない。それでもその一言でピアノが嫌になるくらいに打ちのめされてしまったのはすごく理解できる。おじいちゃんはきっと覚えていないだろうし、投稿者も別におじいちゃんを恨んでいる訳ではないと思う。ただ、誰かの一言がどうしようもなく人生を変えてしまうことはあるよね、という話。
幼稚園の頃、父とふたりで近所を散歩していた。小さな赤ちゃんを連れた若い夫婦が前から歩いてきた。旦那さんはまだ学生のようなフレッシュさと清潔感があったけど、奥さんは太っていて髪もボサボサで服装もだらしないと思った。当時の私から見てなんだか釣り合いの取れないふたりが、赤ちゃんを覗き込んではとても幸せそうというギャップが印象的だった。(大人になって思えば産後すぐの奥さんがスリムでヘアケア&オシャレばっちりのはずはない)
すれ違ったあと、しばらく黙って歩いていた。おそらく父も若い夫婦のことを考えていたんだと思う。おもむろに私の顔を見て
と言った。
ショックだった。
私があの奥さんのことを不美人だと思っていたことを見抜かれたこともショックだったのかもしれない。それよりなにより、おまえの顔を誰も愛さない、と言われたことがショックだった。
父はこの出来事を覚えていない。実は私も二十歳過ぎまで忘れていた。忘れていたのに「誰かに選ばれるような顔ではないので分相応にしなければ」という決意だけがずっと心にあった。可愛い服など着てはいけない。オシャレを楽しむなんて身の程知らず。でも他人に不快感を与えない程度には身だしなみを整えなければならない。でも見た目を気にしてるなんて気付かれてはいけない……。ずっとそう思っていた。
二十歳を過ぎて初めてお付き合いした相手が容姿を褒めてくれた。知らない国の言葉を言われているようで、意味は分かるけどなんでそんなことを言うのか分からなかった。それをきっかけになぜ自分は自分の容姿がキライなのか考えていたら突然、件の出来事を思い出したのだった。
思い出したけど、なにも変わらなかった。
私は制服と冠婚葬祭以外のスカートを着たことがない。スマホにはいろんな写真が数千枚保存されているが、自分の顔が写った写真は一枚もない。朝、マナーとしてのメイクをするが、出先のトイレで鏡はなるべく見ないし、街中のガラスに反射する自分の姿も絶対に見ない。
父の一言はひどいとは思う。そんな失礼なこと言っていいわけないやろ、あの奥さんに対しても。(父は普段から毒舌というか、いらんことを言うタイプではある)
でもまさか娘の人生をこんなに変えてしまったとは思っていないと思う。私も父に責任があるとは思っていない。なにが悪かったんだろう、タイミングかな。ただ、こういう人生を後悔したり悲しんでいる訳ではない。カワイイ服を着てミニスカートで脚を出したり、いろんなメイクを試してベストな角度を研究したり、友達とプリクラを撮ったりしたかったか?と言われれば別にそうでもないと思う。それは幼い頃の出来事が影響しているのか、私の生来の気質なのか分からない。単に私が中年になってしまって容姿のことなど大した問題ではなくなったのかもしれない。でも他人や親から見ればかわいそうなことなんだろうか。これを知ったら父は悲しむだろうか。
なんてことない言葉で人生が変わってしまうことはある。人と関わって生きる以上、それは仕方ないんだろうし、きっと良い方に変わることだってあるんだろうと思う。
でもアドバイスや意見を求められて~ではなく、こちらの覚えていないような一言で他人の人生を変えてしまうことが私にとってはとても恐ろしい。