外国や離島で働いていて忙しいから見に行けないっていう極々一部の人に対して配慮しようってフェーズも流石にもう過ぎてるから。
でもなんだろうな……それでもまだどこかに「ネタバレに配慮しよう」っていう空気は残ってるわけだろ?
つまりさ、皆は心のなかに「ネタバレの誤爆には配慮視する」と「許されている範囲のネタバレは気にしない」を同時に飼っているわけじゃないか?
そのバランスが日々変わっていくことに対して、俺は人間心理に対する強い恐怖を覚えてしまうわけだ。
たとえばこれは人種差別とかのときにも起きてるんじゃないかってことだ。
「他人種の人権に配慮する」と「差別を怖がって特別扱いしない」の2つはきっと誰の心の中の中でも勢力争いをしてる。
これが個人の中でだけシーソーゲームをするのならいんだけど、社会全体として大きな流れが来てしまうとそれを個人がコントロールするのは不可能だ。
たとえばアメリカでは「黒人は遺伝子レベルで暴力的なんだから仕方ないんだ!早めに銃殺したほうが警官の命を守れる!や「警官は人種差別と言われないようにギリギリまで黒人を撃つべきじゃない。自分の命を失ってでも人種差別の芽を積むんだ」といった極論が日夜渦巻いている。
そういったビッグストリームの中でパワーバランスが突然大きく変われば、社会が内包してる常識そのものが唐突に変容してしまう。
俺はその流れ自体が怖いんだよ。
今やジークアクスのネタバレに対して誰も配慮なんてしてないような状態だ。
それであるのに、皆がどこかで「いや、俺は俺なりに一線は引いてるよ」といった態度を取っている。
俺はここが本当に怖いんだ。
実際には垂れ流しも同然なのに自己認識の中でだけ「自分はバランスよく配慮してるはず」という自覚だけが暴走してるんじゃないだろうか?
人間の脳の仕組みをそのまま本能的に振り回してるだけでは、複雑化した情報化社会の中を生きることは困難だと思うんだよな。
手慣れだけでやっていったら、自分が今何を考えているのかさえ見失ってしまっていくんじゃないだろうか。
ただ、「怖いと思った」と言いたいだけなんだ。