電脳化が実用化されてから100年、日本は世界でも最先端のサイバネティクス国家となっていた。
生まれた瞬間から人々は電脳を与えられ、現実と仮想が融合する世界で生きるのが当たり前になった。しかし、その電脳技術には一つの奇妙な制約があった。
日本国内で電脳化された者は、自身の視覚データに自動でモザイク処理が施される。性器に対するモザイクは法律で義務化され、すべての電脳視覚デバイスにはそれを強制するフィルターが組み込まれていた。
政府は「文化的価値観の維持」と「精神的健康の保護」を名目にこの処置を正当化し、国民はそれを受け入れるほかに選択肢はなかった。
しかし、国外ではこのモザイク処理は嘲笑の的となり、密かにそれを除去する違法パッチが開発されていた。「フォビドゥン・アンヴェイル」と呼ばれるそのプログラムは、海外のダークウェブで密売され、一部の者たちは誘惑に駆られて導入した。
モザイクを解除する際、電脳の視覚処理に介入するため、パッチが暴走すれば視覚認識そのものが崩壊する危険性があった。
過去には、パッチを導入した者の脳が錯乱し、視界全体が無秩序なモザイクで埋め尽くされる「全視覚崩壊症候群」に陥るケースも報告されていた。それでも、禁断の果実を求める者は後を絶たなかった。
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「試してみるか?」
バーの片隅、暗い個室で男は小型のデータチップを差し出した。受け取るのは、サイバーセキュリティ企業に勤める青年・斉藤。
「危ないって話もあるが……」
「大丈夫さ。成功すれば、自由な視界を手に入れられる。日本の電脳はあまりに管理されすぎてると思わないか?」
斉藤は迷った。政府の電脳監視システムは厳格だが、彼のようなシステムエンジニアなら、ある程度のリスク管理はできるはずだった。
「……やる。」
チップを電脳スロットに挿入した瞬間、世界が一瞬だけ暗転した。
そして、彼の視界は変わった。
だが次の瞬間、視界が歪んだ。
モザイクは消えたはずだった。だが、代わりに現れたのは、世界中のあらゆるものが不規則にノイズ化し、揺れ動く異形の風景だった。
「あ……?」
脳が悲鳴を上げる。
それはモザイクの除去ではなかった。世界そのものが崩れ、彼の電脳は制御不能に陥っていた。
彼の目は完全に焦点を失い、視界のすべてがモザイクに覆われたまま、二度と戻ることはなかった。
彼のように、禁断の真実に手を伸ばした者の末路を知る者は多い。
それでも、次なる“挑戦者”は現れるのだった。