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2025-01-30

anond:20250130183541

親族の死と、システムに守られた私たち

 親族が亡くなった。悲しみの中で、私はあることに気づいた。死後の手続きが、驚くほどスムーズに進むことに。

 死亡届を役所に提出すると、淡々手続きが進み、戸籍に反映された。銀行に連絡すると、口座は即座に凍結され、相続の準備が始まる。年金事務所に問い合わせると、受給停止の案内が送られてきた。葬儀社は遺族の負担を軽減するために動き、病院も「事務的」に死を扱う。

 この「事務的」という言葉に、私は最初違和感を覚えた。しかし、時間が経つにつれ、それがどれほど大切なことかを理解した。悲しみに暮れる遺族が、感情に押しつぶされながら煩雑手続きをこなさなくて済むのは、すべてがシステム化されているからだ。

 日本社会は、こうした「死の処理」を徹底してマニュアル化している。そこには人間味がないようにも見えるが、実はそれこそが、遺族にとっての最大の救いなのではないか。もしも役所担当者が毎回感情を込めて対応していたら、処理は遅れ、遺族の負担は増し、社会は混乱するだろう。冷たく見える仕組みこそが、実は多くの人を支えているのかもしれない。

 しかし、この「完璧システム」にも、落とし穴はある。私の親族生前経済的に困難な状況にあった。病院に行くのをためらい、生活保護申請も躊躇していた。日本には助けを求める仕組みがあるのに、彼はそれを利用しなかった。

 「申請しなかったのが悪い」と言う人もいるだろう。しかし、本当にそれでいいのだろうか。なぜ彼は手を伸ばさなかったのか? それは、社会システムが冷たいからではなく、「申請すること」が恥ずかしいと思わされる風潮があるからではないか

 結局、社会は守るべき人を守る仕組みを持ちながら、それを「利用しにくいもの」にしてしまっている。私は、親族の死を通して、日本システムの「優秀さ」と「盲点」の両方を見た気がする。

 「自己責任」ではなく「自己防衛」の時代私たちは、社会が用意した仕組みを、もっと気軽に使えるようになるべきではないか親族の死を経て、私はそんなことを考えるようになった。

記事への反応 -
  • とにかく親族の死んだ増田じゃないとバズれない ChatGPT: 確かに、「親族が亡くなった増田(はてな匿名ダイアリーの投稿)」はよくバズる傾向がありますね。死にまつわる話は人の感...

    • 親族の死と、システムに守られた私たち  親族が亡くなった。悲しみの中で、私はあることに気づいた。死後の手続きが、驚くほどスムーズに進むことに。  死亡届を役所に提出する...

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