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2024-12-25

神に祈るのやめて、自分で動けボケ

昔、10歳のときからプロテスタント教会に通ってて、そこにいる人たちはほんとにあったかかった。

悩んでる人がいたら話を聞いて、奉仕も頑張って、「神の家族」ってやつを信じてた。

でも社会に出てみたら、月の手取りは14万でパワハラもキツい、彼女ともうまくいかない。

もう、教会に行くまでは死んだみたいに寝て、日曜の朝にギリギリ起きて奉仕して、みんなに笑顔振りまいて。

心底「神って憐れみ深いんじゃないの?」って疑問を抱きながら、それでも祈り続けた。

だけど、どれだけ祈っても状況は変わらない。教会の人たちも「あなたのために祈るよ」って言ってくれるけど、みんな同じように報われないまま。

そんなとき、ある人たちがすごく目についた。

権利を主張しまくり、他人責任押し付け自分ワガママ通すために平気で誰かを踏み台にする。

なのに、そいつらは表向き裕福で仕事でも評価され、結婚して子どももいる。まさに自分とは正反対で、いわゆる「勝ち組」っぽい感じ。

で、そいつらに踏みにじられたのが決定打になって、「こんな神いらなくね?」って思って、実際、「神を捨てて」みたらどうなったか

正直、自分そいつらみたいに、弱そうな人に責任押し付け義務は果たさず権利だけ主張して、ワガママ通すために周囲を生贄にしてったら、収入はどんどん増えて人間関係も広がり、結婚して子どもまでできた。

昔の俺と同じようにずっと教会で祈ってる連中は、未だに報われないままだけど、俺はもう穏やかな顔して「幸せだなぁ」って言えるようになった。皮肉だよね。

それで最終的にわかったのは、「神は悪人にも善人にも同じように太陽を昇らせ、雨を降らせる(マタイ5:45)」っていうこと。

要するに、神ってたぶんみんなに「チャンスの場」みたいなのを与えてるだけで、憐れみとかは関係ないんじゃね? だから、「神がどうにかしてくれる」みたいな他力本願で待ってても意味ない。

結局、自分で行動しないと何も手に入らないし、「現実世界の救い」なんて与えられないもんなんだなって。

死後の天国切符はあるかもしれない。

でも少なくとも、俺らが今生きてる地上の生活を良くするには、与えられた能力やカネやモノをしっかり活かして、「欲しいものは欲しい」って声を上げて、自分で歩くしかない。

教会でただお祈りして「神のルールを守ってます」って言ってるだけじゃ、いつまでたっても何も変わらない。

だって神様は誰にでも太陽と雨を与えてるわけだし。

自分で何かしようとしないと、何も起こらないままなのよ。

結論、「神を信じる・信じない」は人それぞれ自由だけど、少なくとも現実を変えたいなら、ちゃん自分の足で動くしかない。

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