昔、10歳のときからプロテスタントの教会に通ってて、そこにいる人たちはほんとにあったかかった。
悩んでる人がいたら話を聞いて、奉仕も頑張って、「神の家族」ってやつを信じてた。
でも社会に出てみたら、月の手取りは14万でパワハラもキツい、彼女ともうまくいかない。
もう、教会に行くまでは死んだみたいに寝て、日曜の朝にギリギリ起きて奉仕して、みんなに笑顔振りまいて。
心底「神って憐れみ深いんじゃないの?」って疑問を抱きながら、それでも祈り続けた。
だけど、どれだけ祈っても状況は変わらない。教会の人たちも「あなたのために祈るよ」って言ってくれるけど、みんな同じように報われないまま。
そんなとき、ある人たちがすごく目についた。
権利を主張しまくり、他人に責任を押し付け、自分のワガママ通すために平気で誰かを踏み台にする。
なのに、そいつらは表向き裕福で仕事でも評価され、結婚して子どももいる。まさに自分とは正反対で、いわゆる「勝ち組」っぽい感じ。
で、そいつらに踏みにじられたのが決定打になって、「こんな神いらなくね?」って思って、実際、「神を捨てて」みたらどうなったか。
正直、自分もそいつらみたいに、弱そうな人に責任を押し付け、義務は果たさず権利だけ主張して、ワガママ通すために周囲を生贄にしてったら、収入はどんどん増えて人間関係も広がり、結婚して子どもまでできた。
昔の俺と同じようにずっと教会で祈ってる連中は、未だに報われないままだけど、俺はもう穏やかな顔して「幸せだなぁ」って言えるようになった。皮肉だよね。
それで最終的にわかったのは、「神は悪人にも善人にも同じように太陽を昇らせ、雨を降らせる(マタイ5:45)」っていうこと。
要するに、神ってたぶんみんなに「チャンスの場」みたいなのを与えてるだけで、憐れみとかは関係ないんじゃね? だから、「神がどうにかしてくれる」みたいな他力本願で待ってても意味ない。
結局、自分で行動しないと何も手に入らないし、「現実世界の救い」なんて与えられないもんなんだなって。
でも少なくとも、俺らが今生きてる地上の生活を良くするには、与えられた能力やカネやモノをしっかり活かして、「欲しいものは欲しい」って声を上げて、自分で歩くしかない。
教会でただお祈りして「神のルールを守ってます」って言ってるだけじゃ、いつまでたっても何も変わらない。
自分で何かしようとしないと、何も起こらないままなのよ。