バイオグラフィー
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活動期間
1963 ~ 1970 (7 年間)
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出身地
Kew Gardens Hills, Queens, New York, New York, アメリカ合衆国
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メンバー
- Art Garfunkel
- Paul Simon
サイモン&ガーファンクル(Simon and Garfunkel、サイモンとガーファンクル)は、1960年代に活躍した、二人のユダヤ系アメリカ人ポール・サイモン(Paul Simon)とアート・ガーファンクル(Art Garfunkel)によるポピュラー音楽ユニット(1964年-1970年)。1990年にロックの殿堂入りを果たしている。
略歴
ニューヨーク市の小学校時代からの親友だった、ポール・サイモンとアート・ガーファンクルが、1964年に結成(それ以前にも「トム&ジェリー」の名前で活動し、『ヘイ・スクールガール(Hey, Schoolgirl)』を小ヒットさせたことがある。その当時ポールはジェリー・ランディス(Jerry Landis)、アートはトム・グラフ(Tom Graph)と名乗っていた)。アルバム『水曜の朝、午前3時(Wednesday Morning,3A.M.)』でデビューした。
しかし発売初年度の売上が3,000枚と惨憺たるものであったので、ポールはヨーロッパ放浪の旅へ出てしまい、アートもデビュー前に通っていた大学院へと戻ってしまったが、プロデューサーのトム・ウィルソンがアルバム収録曲『サウンド・オブ・サイレンス(The Sound of Silence)』にエレキギターやドラムなどを別テイクで加え(オリジナルはポールのアコースティック・ギターと、二人のボーカルだけだった。そして、この別テイクで演奏していたミュージシャン達は近くのスタジオでボブ・ディランの名曲「ライク・ア・ローリング・ストーン」のレコーディングに参加していた。レコーディングも終わり、帰りがけの所をトム・ウィルソンに呼び止められ演奏する事となった)てシングル発売したところ、これが大ヒット。サイモン&ガーファンクルは一躍人気フォークロック・デュオとなる。
なお、『キャシーの歌(Kathy's Song)』は、ポールがイギリスに長期滞在していた際に交際していたガールフレンドに贈った曲である。キャシーは、ポールが歌っていたパブで券もぎ係りをしていた女性であった。また、『アメリカ(America)』の歌詞に出てくる「Kathy, I'm Lost,I said.Though I knew she was sleeping,」で触れているKathyと同一人物で、二人でアメリカ旅行に出かけた際に書いたとされている。ポールのアルバム『ポールサイモン・ソングブック(Paul Simon Song Book)』に若かりしころのポールとキャシーが写っている。
その後も、ポールの作り出す深い内容の詞・曲とアートの美しい歌声、そして二人の絶妙なハーモニーが受けて『スカボロー・フェア/詠唱(Scarborough Fair/Canticle)』『ミセス・ロビンソン(Mrs.Robinson)』などが大ヒット。1968年に映画『卒業』の音楽を担当したことで、日本をはじめ世界的にも大きな成功を収めた。
だが、1970年発表のアルバム『明日に架ける橋(Bridge Over Troubled Water)』の制作中に、ポールとアートの音楽に対する意見の違いが表面化した。『明日に架ける橋』は全世界で売上が1000万枚を超える大ヒットとなり、グラミー賞の最優秀レコード賞・最優秀アルバム賞を受賞したものの、このアルバムを最後に二人はソロ活動に入り、サイモン&ガーファンクルは解散した。
しかし、解散後も二人ともお互いを友人だと思うことには変わりが無く、親交は続いた。1975年には『マイ・リトル・タウン(My Little Town)』をS&Gで録音し、それぞれのソロ・アルバムに収録しているほか、1984年にアートが発表した「The Art Garfunkel Album(邦題:天使の夢)」に収録されている「(What A) Wonderful World(同:ワンダフル・ワールド)」では、ジェームス・テイラーと共にギターとボーカルでポールも参加しており、透明感あふれる3人のハーモニーを披露している。
1981年9月19日にはニューヨーク市のセントラル・パークで再結成チャリティコンサートを開いて53万人もの観衆を動員し、世界ツアーを行った(1982年にはS&Gとして初来日し、後楽園球場と大阪球場でコンサートを行っている)。この時、サイモンの作品にガーファンクルが参加する形でアルバム制作が行われたが、作品に対する意見の食い違いから、結局サイモンのソロ・アルバム(『ハーツ・アンド・ボーンズ』)としてリリースされた。このアルバムに収録された曲のいくつかは、ガーファンクルも録音に参加し発売直前まで完成していた。マニアの間ではS&Gとして収録された『ソング・アバウト・ムーン』などがブートレグという形で知られている。その後二人の間は疎遠になっていった(サイモンが2003年にソロとしてロックの殿堂入りした際に、わざわざ「ガーファンクルとは仲直りしたい」とスピーチで述べているほど二人の関係は冷え切っていた)。しかし、音楽を離れてプライベートでは一緒にスイスへスキー旅行へ行くなど、旧来の親交はその間も続いていたと言われている。
近年は1993年、2003年と度々再結成を行い、全米ツアーなどを行っている。1993年12月1日には「Event of a lifetime Tour」の東京公演・福岡公演としてそれぞれ東京ドームと福岡ドームで再来日公演を行なった。この際、南こうせつが前座を務めた。
また、彼らの作品は多くのミュージシャンにカヴァーされ、歌い継がれている。例えばエルヴィス・プレスリーは1970年以降のライヴで頻繁に「明日に掛ける橋」を取り上げている。
他に『冬の散歩道(A Hazy Shade of Winter)』は、1987年に映画「レス・ザン・ゼロ」の主題歌としてバングルスがカバーを歌い、大ヒットしている。1993年には同曲のオリジナルを野島伸司がドラマ「人間・失格」で使い、日本でのリバイバルを果たした。
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