「カフェインに体を蝕まれている」と気づいた日
ロンドン在住のコピーライター、マットにも、その影響は静かに忍び寄ってきた。
彼は毎朝2杯のブラックコーヒーを飲む。それからカフェイン入りの「アルカセルツァーXS(頭痛・消化不良・胸焼けに効く米国製の発泡錠剤。XSの1錠あたりのカフェインを含有量は40mg)」を水に溶かして飲むことを習慣としてきた。さらに週3~4回のトレーニングの前にも、ジムでのパフォーマンスを高めるためにカフェイン入りのワークアウト用サプリメントを常用していた。
「今になって思えばクレイジーだけど、毎日800mg以上のカフェインを摂っていたんだ」とマット。それは彼の日課であり、原動力であり、依存でもあった。
その影響は気づかぬうち彼の肉体を蝕(むしば)んでいた。誕生日をホテルで過ごすことにした週末、マットは深い不安感に襲われたという。「自分の皮膚が、ちょっと浮いているような感じというか…」と、彼はそのときの感覚を振り返る。
好天に恵まれた晩で、ホテルは快適なはずだった。しかし彼は落ち着かず、そわそわし続けていたと言う。「新鮮な空気でも吸おうと思ってホテルの外に出た。そこで、左手が震えているのに気づいたんだ。初めての体験だった…。何かがおかしいと、すぐに思った」
カフェインが原因だと確信していたわけではない。しかし、カフェイン断ちを決意するのに十分な異変だった。
「ひどい禁断症状で、偏頭痛が1週間は続いた。意識の混濁もあったし、疲労感もひどかった」とマットは言う。しかし、禁断症状を乗り越えた今では、気分はずっと良くなった。「深く眠れるようになったし、不安感に襲われることもなくなった。コーヒーはまだ1~2杯は飲むけど、昼を過ぎたら一切飲まない。以前のような量にはもう戻りたくないね」
あなたの周囲にも、マットと同じような体験をしたことがある人がいるはずだ。あるいは、あなた自身がその乱高下の経験者かもしれない。
カフェインは、世界で最も広く使われている精神刺激薬である。『意識をゆさぶる植物──アヘン・カフェイン・メスカリンの可能性』(亜紀書房)などを著作にもつジャーナリスト、マイケル・ポーランも書いている通り、「程度の差はあるにせよ、カフェインの摂取は私たちの多くにとって、意識状態の支えとなっている」のだ。
コーヒー市場の現状
英国におけるコーヒーの市場規模は年間170億ポンド(約3兆2570億円)に上り、平均的なイギリス人は1日2杯のコーヒーを飲むと言われている。英国のエナジードリンク市場は2023年に年間30億ポンド(約5700億円)を突破した。行動心理学を専門とする心理学者のレイチェル・モリター博士は「カフェイン依存は、社会現象となっている」と語る。
束の間の煙草休憩や食後の一杯でくつろぐのとは対照的に、カフェインの摂取はむしろ活動に対する熱量を高めるために用いられているのが現状だ。しかし実際のところ、毎日4杯のエスプレッソの習慣が、調子の上がらない人々の助けになっているのだろうか?
センター・フォー・エコノミクス・アンド・ビジネス・リサーチ(Centre for Economics and Business Research)の調査によると、Z世代のコーヒーの消費量が1日あたりわずか0.5杯に過ぎないのに対し、ミレニアル世代が1.3杯、X世代が2.1杯となっている。『インターナショナル・ジャーナル・オブ・エンバイロメンタル・リサーチ・アンド・パブリック・ヘルス(International Journal Of Environmental Research And Public Health)』に掲載されている研究には、コロナ禍の期間にはカフェインの消費量が減少したことが示されている。
「コーヒーなどに対する認識の変化が、近年、目に見えて現れている」とモリター博士は言う。カフェインが私たちの身体にどのような影響を及ぼしているのかを、人々はより意識するようになっているのだ(詳しくは後述)。また、景気の低迷により、人々の足がコーヒーショップから遠のいているという事情もあるようだ。
カフェイン依存に対する認識の変化は、代替物への移行によっても示されている。カフェインレスコーヒーの市場規模は2030年には全世界で280億ドル(約4兆3580億円)まで上昇すると予想されているほか、カフェイン量の比較的少ない抹茶や、コーヒーと比べ20%ほどのカフェイン含有量のマッシュルームコーヒーなどが注目されている。
さらには「Clevr Blends(クレバーブレンド)」や「Dirtea(ダーティー)」といったファンクショナルコーヒー(カフェイン量を下げ、アダプトゲンやCBDなどの成分をブレンドしたコーヒー飲料)のブランドも台頭しつつある。エナジードリンクの分野でも、ビタミンB群やアダプトゲンを成分に含む「ナチュラル系」の増加が目立つ。
“コーヒーの常用者は多く、またどこででも簡単に買えるため、誰も疑問に思わないのです”
当然のことながら、誰もが脱カフェインの時代を生きているわけではない。「根強いコーヒー文化をあちこちで目にする」とモリター博士は言う。例えば、彼女が飲食行動をテーマにした講義を受け持つコベントリー大学では、学生の多くがテイクアウトのコーヒーカップやタンブラーを手に授業に現れる。学会に参加する研究者たちも同様だ。
「コーヒーの常用者は多く、またどこででも簡単に買えるため、誰も疑問に思わないのです。人間は、大勢の人々と同じであることで安心を覚え、他者の行動を真似ようとします」と彼女は続ける。誰もがコーヒーを飲む中で、自分だけがココアを注文するという状況に気まずさを覚え、コーヒーの味に馴れようとする人は少なくないという。その点は、アルコールとも似た状況だ。
「とりあえずコーヒー」という思考
カフェインが私たちの日常に占める役割は極めて大きいにも関わらず、そのことに疑問を抱く人は少ない。コーヒーのもつイメージが、濃厚なエスプレッソのように強烈だからだ。その洗練されたイメージの源流を辿れば、英国におけるカフェ文化のルーツともいえる、1651年創業のコーヒーハウス「ジ・エンジェル(The Angel)」にまでさかのぼらなければならない(当時すでにイタリアのベニスで流行しはじめていたコーヒーハウスの影響もある)。
「労働者階級の憩いの場であったパブとは異なり、コーヒーハウスは文学や政治について話すのを好むような、より学識のある人々を惹きつけたのです」とモリター博士は語る。それから数世紀を経た今日においても、コーヒーハウスは仕事や勉強と切り離すことのできない関係にある。コーヒーで目を覚まし、また今日も頑張ろうというわけだ。つまり、カフェインは、上昇志向のあるビジネスマンにとっても、また熱心にジム通いをする人々にとっても、成功のための燃料になっているのだ。
だが本当に、喧伝されているほどの効果がカフェインにあるのだろうか?
短期的に見て疲れにくくなるというのは事実かもしれないが、カフェインによって生産性が高まるという明確な証拠は存在するのだろうか? 「イエス」と言えないこともない。「カフェインは中枢神経系を刺激します」と述べているのは管理栄養士のソフィー・トロットマンだ。「意識を覚醒させ、疲労を感じにくくし、認知機能を高める効果がある」とトロットマンは言う。これは仕事や家庭生活における生産性の向上だけでなく、身体的パフォーマンスの向上も意味する。カフェインの摂取により、5キロ走のタイムが12秒短縮されたという研究もある。
しかしながら、「カフェインが誰にも同じように効くとは限りません。1杯のコーヒーでパニックを起こす人もいれば、ほぼ何の影響を受けない人もいるのです」とトロットマンは続ける。代謝機能は人によって異なるためだ。
成人にとって、1日あたりの安全なカフェイン摂取量の上限は400mgとされている(エスプレッソ1杯で50~120mg)。その量を超えると、多くの人が震えや緊張、心臓の高鳴りを覚える可能性が高いという。コーヒー5杯かそれ以上の量を飲むことで、パニックの発作が起きやすくなるという研究結果もある。
“一杯のコーヒーでパニックを起こす人もいれば、ほぼ何の影響を受けない人もいます”
さらに事態を複雑にしているのは、私たちの誰もがのんびりとした日々を送っているわけではないという現実だ。「現代社会は強い刺激に満ちています。Zoom会議をしながら手元のスマートフォンでInstagramのリールをスクロールし続けるといった状況であれば、カフェインの刺激によって感情に押し流されやすくなってしまいます」とトロットマンは指摘する。「カフェインによって、アデノシンとGABAという2種類の神経伝達物質の働きが阻害されてしまうからです。不安感を引き起こすだけでなく、睡眠の質も低下するでしょう」
就寝の6時間前に摂取したカフェインによって、睡眠時間が1時間削られてしまうことを示す研究もある。つまり、午後4時にコーヒーを1杯飲んで午後10時に就寝した場合、体内に残るカフェインが睡眠に影響を及ぼすのだ。「ブラックコーヒーを飲むことで食欲が低下する人もいれば、GI値(食品に含まれる糖質の吸収の度合いを示す数値)の高いオーツミルクと組み合わせることなどで、血糖値が下がってしまう人もいます」とトロットマンは捕捉する。血糖値が下がることで、でんぷん質のスナック類に手が伸び、体重増加につながることもあるという。
カフェイン断ちした人の声
さらに別の問題として、カフェインの摂取によって疲労の問題に気づきにくくなってしまうという指摘もある。特に濃いコーヒーを飲む習慣がある場合、職場での生産性が高まるかもしれないが、私生活では燃え尽きやすくなり、充足感は長続きしない。
デカフェのコーヒーに切り替えることで、自分の身体本来のエネルギーレベルを改めて確認し、疲労感をうやむやにすることなく毎日の適性な活動量を見直すと良いだろう。また、正常な睡眠サイクルを取り戻すためにもカフェイン断ちは有効だ。
シェフとしてコンサルタント業を営むクリス・マケットは、カフェイン入りのコーヒーと清涼飲料水を数年前に断った。「人生で最高の選択だった」とマケットは言う。「ストレスが減り、見せかけのエネルギーに頼ることなく、自然な状態で毎日の生活を送ることができるようになった」と言い、さらに意思決定においても好影響があったと付け加える。
会社経営者のティム・ファーネルは、妊娠した妻に付き合って、カフェイン断ちを決意したという。「効果がすぐに現れたので、そのまま継続することにしたのです。カフェインを断って数日のうちにイライラしにくくなり、集中力が高まり、睡眠の質も向上しました」とファーネルはその恩恵を語る。「会社にコーヒーメーカーを置いているのですが、私はずっと働きづめでいつも会社にいたため、ひどいときは毎日8杯もコーヒーを飲んでいました。今ではどうしても元気を振り絞りたい時にだけ飲む程度ですが、1杯だけで十分な効き目を実感できるようになったのも嬉しい変化です」
“早起きが基本のフィットネス業界では、カフェインの力に頼りたがる傾向が高い”
『ランナーズ・ワールド(Runner’s World)』誌の編集者、ベン・ホブソンがカフェイン断ちを決意した理由は、日々の仕事の中で感じる「気持ちの浮き沈み」が大きくなったからだった。コーヒーによって一時的に気分を高めても、しばらく経つとそれが禁断症状に変わり、すぐに次の1杯に手が伸びていたという。「典型的な依存症です」とホブソンは苦笑する。
コーヒーを断って2週間は、嫌な頭痛に悩まされた。「ですが、その先はエネルギーレベルも安定し、またとても深く眠れるようにもなりました」とホブソンは言う。
早起きが基本のフィットネス業界では、カフェインの力に頼りたがる傾向が高い。パーソナルトレーナーのバーニー・スキナーの日課は3本のエナジードリンクと1杯のコーヒーだという。「私にはパートナーがいるのですが、彼女からは飲み過ぎを指摘されています」とスキナーは言う。だが、すぐに止めるつもりはないそうだ。「過去にもカフェイン断ちをしたことがありますし、その気になればいつでも止められるとは思います」
カフェインの摂取量を減らすべきか、あるいは日常生活からカフェインを完全に排除すべきかの判断は個人によって異なるだろう。しかし、もし意識的にではなく、無意識にコーヒーを求めてしまうと感じる場合には、一度カフェイン断ちを試すべきかもしれない。
自分なりの妥協点を見つけよう
大好きな刺激物との健康的な付き合い方を実現するための3つの方法。
1.習慣に依存していないかを確かめる
モリター博士によると、習慣として自覚的に摂取しているうちは、日常生活における仕事や人間関係などに大きな影響が及ぶことはないという。しかし、依存ということになると良くない影響となって現れる。エネルギーの低下や睡眠不足を実感したら、すぐにかかりつけの医師のアドバイスをもらうこと。
2.急激なカフェイン断ちをしない
カフェインの摂取を控えようとする場合でも「急激なカフェイン断ちはすすめない」とトロットマンは言う。日常的に4杯以上のコーヒーを飲んでいる人であれば、倦怠感をともなう禁断症状を経験する可能性が高く、結果的に元通りのカフェイン依存の生活に戻ってしまいやすくなる、というのがその理由だ。
3.摂取量を賢く減らす
カフェイン(紅茶などのカフェイン入り飲料も含む)の摂取は、朝のうち少量に留めることを意識すると良いだろう。そうすることで理想的な睡眠習慣が守られ、健康的なコーヒー摂取量も自然と定まってくるはずだ。
Source / Men's Health UK
Translation / Kazuki Kimura
※この翻訳は抄訳である。