エクセルアートでデザインされた小花模様の爽やかなブルーのシャツをまとって取材場所にやってきたのは、愛称「マーチャン」で知られるITエバンジェリスト(IT技術の伝道師)の若宮正子だ。若宮の名が世界に知れ渡ったのは、2017年のこと。ハイシニアが楽しめるゲームを作ろうと考え、お雛様をひな壇に正しく並べるアプリ「hinadan」を81歳のときに開発した。これを知ったApple社のCEOティム・クックにアメリカに招かれ、世界開発者会議(WWDC)など大規模なテックイベントに出席。「世界最高齢プログラマー」として世を驚かせた。昨年は七草粥に入れる野菜を選んでいくアプリ「nanakusa」をローンチし、プログラマーとして進化を続ける。ウィットに富んだ軽妙な語り口調で、若宮はこう語る。
「色んな場所へ行き、色んな人と出会うと、インスピレーションの種類が増えてくる。hinadanをつくったきっかけは、私が理事を務めるブロードバンドスクール協会で毎年開催している『電脳ひなまつり』というオンラインイベントでお披露目できたら面白いだろうと思ったから。せっかくつくったので公式に登録したら、思いがけず世界的に知られることに。話ができすぎていますよね。Apple社から『こんにちは、CEOがあなたい会いたいと言っています』というメールが来たときは、そんなばかな! って思いました」
テクノロジーが急速に進化し、社会に浸透するにつれ、ITと高齢者は相容れないものとして捉えられるようになった。しかし若宮は、そんな固定観念を軽やかに覆した。使いやすくて利便性の高いスマホを、高齢者も活用する。そんな当たり前のようで見えていなかったニーズを、若宮は示したのだった。ティムと話したときのことを、こう振り返る。
「2010年代からスマホがメインストリームになり、メーカー各社はユーザーを獲得すべくしのぎを削っていました。でも、80代のお婆さんがアプリを作ったということで、それまでターゲットとしていなかった高齢者という処女地が残っているじゃないかと、ティムをはじめ皆さんが気がついたんだと思います。彼は私の話に非常に関心を持って聞いてくださる、人柄のいい方でした」
若宮がパソコンを使い始めたのは定年退職が近づきつつあった、今から約30年前のこと。親の介護で家にいながら、周囲とコミュニケーションをとる手段として活用したかったのだという。当時はパソコン操作のマニュアルも出回っておらず、インターネットも普及していなかった時代。電話回線を使い、プロバイダーが管理する一つのホストコンピューターに会員がアクセスして情報交換をするパソコン通信が主流だった。若宮はコンピューターを買った店やメーカーの人に聞いて回り、パソコンのセットアップから使い方までを独学で習得していった。そこから広がる人と人との繋がりに、どんどん魅了されていったと目を輝かせる。
「当時、友達をつくる手段といえば血縁・地縁・職縁がメイン。それ以外のところで友達をみつけようとすると、だいたい変人に決まっている(笑)。パソコン通信 でできた仲間はなかなかユニークな方が多くて、それが新鮮でした。高校を卒業してから私は銀行で働いていたんですけど、銀行員は皆さん立派でまじめで、頭もいい。だけど、あまり人と違うことはしない。一方で、当時パソコンをする人は、少なくともオンライン上はぶっ飛んでいて、それがすごくおもしろかったんです」
60歳を超えて独学でプログラミン技術を習得してしまうなんて、いったいどんな才能の持ち主なんだろうかと思う人もいるかも知れない。でもその答えはいたってシンプルだ。
「わからなくて当然、毎日が勉強で知らないことばかり。だから私はなんでも人に聞いて聞いて聞きまくる。私にとって77億人の全人類が先生なんです。新しいことを始めることや、一から学び直すことを恥ずかしいと思う人がいるとすると、たいがい本人がそう思っているだけで、周囲は何も思っていないことが多いんです」
すべてを完璧にこなそうとしなくていいという視点も重要だと言う。七つ道具を使いこなさなくても良く、必要最小限のやり方で楽しみながら活用する。それこそが若宮流の情報リテラシーの高め方なのだ。
「私はもともと手先があまり器用ではなく、タッチタイピングは今もできません。使うのはだいたい両手で5~6本。だけどできなくても良いんです。文章を書くときに、私の頭が指よりも早く回転するわけじゃないですし、音声入力だってできます。ビル・ゲイツは二本指でタイピングすると噂で聞きました。ようするに何を打つかが問題であって、早く打つかは問題ではない。パソコンは頭の中に入っているものを外に出す道具ですから。それに今はロボティック・プロセス・オートメーションの技術が進み、ロボットが人の代わりに作業をしてくれる時代にまでなったんですから、自分だけでできないことがあってもなんとかなります」
私たちはすぐに、「新しい学び」を社会に還元しようとする。もちろん、習得した知識や能力が誰かの役に立つのならば、この上ない喜びだ。だがそこに縛られすぎていると、なかなか一歩を踏み出せなくなってしまう。それではあまりにももったいない。そこで見習いたいのが、人生100年時代を颯爽と歩く若宮の柔軟な思考だ。得たスキルが世のためになるかなど、学びに理屈は必要ないと言う。
「社会のあり方が正しいならいいですけど、歪んでいるかもわからない。86年生きてわかったんですけど、能力を測る社会のものさしは刻一刻と変化しています。私は銀行員時代にお札を早く数えるのが苦手で、よく叱られていました。ですが紙幣計数機や計算機が導入され、その能力は重要ではなくなりました。高度成長期にはお得意さんを開拓する営業力が評価され、今は独創力が重視されるアイデアの時代になりました。だからこれから求められるのは、人の真似からいかに抜け出せるか。そのためには、自分がフリーの立場で世の中を見ていくと、見えてくるはずです。だからこそ、今自分が良いと思うことをやればいい。周りの人の言うことや視線は気にしない。気にしすぎる人ほど遅れていると思います」
若宮の著書『独学のススメ』(中公新書ラクレ)で、「先憂後楽」という故事成語が出てくる。先に苦労しておけば、後に良いことが待っているという考えだ。若宮は、歯に衣着せぬ口調で、この言葉を「悪い思想」と指摘した。
「10歳の子は10歳のときにしかできないことをやればいいのに、今の子どもたちは中学の受験準備に追われています。しかし中学に入ったら、いい高校に入れ。その次はいい大学に入れ。いい会社に就職しろ。社会に出たら、結婚しろ。子どものために備えろ。老後に備えろ。一生かけてずっと死ぬ支度をしているわけ。無駄だと思います。10歳のときは10歳の子どもしかできないことを楽しんだらいい。クワガタとか芋虫を採ってくるとか。30歳、40歳だからその時やれることがある。80歳だからこそやれることもたくさんあるんです」
そんな若宮は、1999年に円熟世代の豊富な知識と経験をインターネットを利用して世界に発信・交流する会員制コミュニティ「メロウ倶楽部」の創設に携わり、現在も副会長を務める。コロナ禍で会員が少し増え、高齢者だけでなく若い会社員や子どもも参加するようになったという。こうした新風を好機と捉え、Zoomを活用した親子三世代のプログラミング教室を開催するなど、新しい試みを絶やさない。
人々にとって精神的な居場所となっているメロウ倶楽部では、テーマ別の部屋を設けている。なかでも「生と死」という部屋は、家族には話せないような、年老いていく上で考える自身の終焉について本音で語り合ったり、気軽に介護の苦労などを打ち明けられる場だ。ほかにも、「コロナとワクチン」という部屋では、ワクチンの予約方法や自身が経験した副反応のことなど、生の声を共有し合う。インターネット上の特性を生かした有意義な空間だ。
このようにインクルーシブな環境を長年構築してきた若宮は、今年9月に日本政府が新たに「デジタル庁」を設立するに伴い、デジタル改革関連法案のワーキンググループで有識者として活躍する。国が「No one left behind(誰一人取り残さない)」をスローガンに掲げる中、若宮はより多くの高齢者が情報リテラシーを高められるような環境づくりに奔走する。高齢者にわかる言葉をウェブサイトで使うことや、操作を簡単にすること、市町村にデジタル支援員を置くことなどを提案している。
「本来年寄りは情報を集めて、自分の中で消化して吐き出せる能力があるはずです。だけどITに乗り遅れたと感じてしまい、自信を失っている人があまりにも多い。そのハードルを取り除き最適化していくことが、高齢者のためにも、若い人のためにも、最終的には社会のためにもなるんです」