人類の未来を守り、育てるために何をしますか?
読者の提案 田中陽・日本経済新聞社編集委員編(5月26日)
田中編集委員の提示した「人類の未来を守り、育てるために何をしますか?」という課題に対し、多数の投稿をいただきました。紙面掲載分を含めて、当コーナーでその一部を紹介します。
■「関係ない」を捨てる
星野 亜美(関東学院六浦高校3年、18歳)
「私には関係ない」という意識を捨てることが必要だ。つまり、私たち全員が未来のために責任ある行動をとるということだ。
現在、地球温暖化の抑制のために、再生可能エネルギーを利用したり、森林の保護を促進したり、様々な取り組みがある。気温上昇や異常気象、海面上昇により島が沈むなど、地球温暖化による影響が目に見える形で表れているからだろう。
一方、石油は現在のペースで使い続けた場合、約50年で枯渇するといわれている。しかし、私たちは石油をできるだけ使わないように配慮しているだろうか。「50年後の話なら私には関係ない」と思っている人が少なからずいるはずだ。しかし未来の人たちのことを考えると人ごとではない。今の自分たちの行動で未来の人たちの状況が変わってしまうからだ。
私たち一人ひとりが現在抱えている問題を受け入れることが大切だ。そうならないと、人類の未来を守ることはできない。
■「当たり前」を再認識する
川端 朗義(立命館大学経済学部2年、19歳)
人類の未来を守り、育てるために必要なのは「当たり前」を再認識することであると考える。
数年前、ロシア・ウクライナ戦争がニュースで大きく取り上げられていたが、今は以前ほど目にすることがなくなった。犠牲者が増えているにもかかわらず、いつしか私たちはそのことを「当たり前」と理解してしまっている。
私が携わるコンビニでのバイトでも同じことがある。賞味期限が間近な食品を集め、廃棄する業務。バイトを始めたころはかごいっぱいの食品をちゅうちょなく捨てることに違和感を覚えたが、1年ほど続けると「当たり前」と認識している。
問題だという意識・感覚は、繰り返されるうちに「当たり前」になってしまう。そうなると微細な変化に気づきにくく、取り返しがつかなくなってしまうことがある。一度、過去に立ち返り、「当たり前」を見直すべきだと考える。一人ひとりが「当たり前」を再認識することから始めるべきではないだろうか。
■人との対話から得る学び
井艸 駿太(北海道大学理学部4年、21歳)
気候変動などの不確実な問題について人と対話し、そこから得られる学びを大事にしたい。
そう思ったきっかけは1年前に環境NGO(非政府組織)に入ったことだ。そこでの勉強会を通じて、人こそが最も頼れる情報源であることを知った。教科書やメディアから得る知識よりも、人との対話で学んだ知識は血や肉になる。
対話を通じて人から情報を得ることは能動的な行為だ。疑問を抱き、問いを立て、議論を重ねる。複数人で議論すれば思考の違いが一段と浮き彫りになる。知識の誤りや理論の破綻に気づき、偏見を排し、真の批判的思考力が養われる。マスメディアやSNSなどから一方的に情報を受け取るだけでは、深い考察を得るのは難しいだろう。
環境問題などの不確実な問題は喫緊の課題であるにもかかわらず、すぐに答えが見つかるものではない。だからこそ多くの人と対話し、そこから学ぶことが人類の未来を守り育てる道になるのではないか。
【以上が紙面掲載のアイデア】
■ささやかな心遣いを意識
田邊 菜々子(駒沢大学グローバル・メディア・スタディーズ学部4年、21歳)
未来を守り、育てていくためには、一人ひとりが「良い心遣い」を意識して行動することが大切だと思う。「良い心遣い」とは、特別なことをするわけではない。日常生活の中でできる、ささやかな気配りや思いやりで十分だと思っている。
例えば、ご近所の方とすれ違ったときに明るく挨拶を交わす。電車内でお年寄りや妊娠中の女性、体調の悪そうな方を見かけたら席を譲る。コンビニやカフェなどで店員さんに笑顔で、「ありがとうございます」と感謝の気持ちを伝える。そんな誰にでもできる簡単な行動である。
こうした小さな「良い心遣い」を一人でも多くの人が心がけることで、周囲の人たちにもその温かさが自然と伝わり、優しさの輪が広がっていくと思う。また、そのような温かな行動を見た人が、自分も同じように誰かに優しくしようと感じることで、心遣いの連鎖が生まれる。そうした「心遣いの循環」が地域や社会に広がっていけば、未来をより良いものにしていく力になると信じている。
■未来の世界へつづる日記
飯田 哲也(地方公務員、25歳)
人類の未来を守り、育てるために私は「日記」をつづりたい。これまでの歴史において、長く人類のそばにあったものは文字である。会ったことのない、見たこともない人の気持ちを今に伝えうるのが文字であり日記である。心境を赴くままに記した日記は、時にどんな名言よりもスピーチよりも心を打つ。未来について考え、気持ちを一字一句に込めた日記はたとえ作者が忘れ去られ、詠み人知らずになったとしても未来へつながる歴史となり、未来の世界で過去を知る史料となる。未来の人類はその日記を読み、書き手の生きた世界について理解する。そして書き手が望んだ世界と現在の世界とを比較し、世界における万物の流れを考える一助になるのであろう。人類の未来を守るため、育てるために「科学」などの学術を発展させるのも一つの正解である。しかし、人間が暮らす世界である限り「感情」「気持ち」が人類の行動の源となる。その原動力となるのが人間の心を揺らす言葉であり、文字であり、日記である。
■目に見えない土を耕す
仁羽 柊司(立命館大学経済学部2年、19歳)
未来を育むには、目に見える成果よりも、目に見えない「土」を大切にすることが欠かせない。今、私たちは何を耕しているのか。短期的な利益か、それとも次世代の幸せか。私たちは便利さや経済的な豊かさを追い求め、即座の収穫を優先してきた。けれども、その「畑」は痩せ、環境破壊、格差、争い、孤独など課題が浮き彫りになっている。これらは「今さえ良ければ」と耕した結果かもしれない。
未来を耕す一歩は、日常の小さな行動から始まる。2023年夏、私は淀川のごみ拾いボランティアに参加した。公園や川辺に散らばるプラスチックごみや空き缶を拾い集め、袋が重くなるたびに、子どもたちの「地球がきれいになった!」という笑顔が広がった。仲間と汗を流し、きれいになった景色を眺めながら、未来への希望が芽生えた。そんなささやかな行動が、未来の「土」を豊かにすると感じた。今は見えなくても、まいた種はいつか芽吹き、未来につながると思う。
■タイパさん、さようなら
亘理 隆(自営業、65歳)
時間対効果を意味するタイパをよく耳にする。無駄な時間を使いたくない気持ちはわかる。だが、無駄とは何か。何が無駄なのか。最終の目的地も確認せず、目の前の近道を探し、得した気分になる。ミヒャエル・エンデの「モモ」に出てきた時間泥棒は、ネットというデジタル社会の中で暗躍しているらしい。
IT革命時代とも言える急速な情報技術革新の現代、人類は幸せになっているのだろうか。世界中で格差は広がり、自分たちだけが恵まれていないと思い、敵を作り非難する。時間泥棒は、今、我々が家族や友人知人たちと過ごしている時間の大切さを忘れさせ、社会へのいら立ちと富裕層への羨望の念をかき立て操作するすべにたけている。特に人工知能(AI)は即答してくれるが、思考停止、判断依存状態になってしまう。リアルの社会で過ごす一見無駄に思える時間こそ、自分たちが自由である証しである。寄り道、回り道は人間がじっくりと楽しむ時間である。時間泥棒の名前はタイパ。あなたにはだまされない。
■興味を尊重する環境を整える
阿久津 優太(駒沢大学グローバル・メディア・スタディーズ学部3年、20歳)
子どもたちの「興味が尊重される環境」を整えることだと考える。
私は親からやりたいことをやっていいと言われて育った。その代わりに、一度始めたらやめないという約束もした。途中で苦しさや挫折を経験することもあったが、最後まで続けたからこそ自信や達成感が得られ、「自分軸」を作り上げることができたと思う。自分で選び、考え、行動する力は幼い頃の環境に大きく左右されると実感した。
だからこそ、教員を目指す立場として、子どもたちには興味や関心に基づいて主体的に学べる環境をつくってあげたい。教員が一方的に教えるのではなく、生徒が自由に問いを立て、仲間と語り合いながら学びを深めていく場を用意する。対話の中で、教員が視野を広げる手助けをすることで、子どもたちの興味は夢へとつながり、やがて社会や未来を支える自分軸に育つと信じている。
人類の未来を守り育てるために、子どもたちにこそ「興味が尊重される環境」が必要だ。
■許す力を持ちたい
渡井 颯太(産業能率大学経営学部4年、22歳)
「許す力」を持ちたい。アルバイト先でのある変化を経験し、そう思うようになった。
先ごろ、私が働く飲食店で店長が交代した。以前の店長は売り上げを重視するあまりミスに厳しかったが、新しい店長は何より職場環境の質を大切にし、ミスにも寛容だ。厳しい監視の目がなくなったことで私たち店員はのびのび働けるようになり、自発的に店のことを考えて行動するようになった。その結果、お客様へのサービスが向上し、売り上げにも好影響をもたらしている。
人の欠点ばかりを探すのではなく、欠点を許して良い部分に目を向ければ、人は自然に成長するのだ。許すという行為は甘えや弱さの表れではなく、ともに成長するための強さなのだと実感した。
社会には「成長のためには厳しさが必要」という常識が根付いていると感じる。そのすべてを否定するつもりはないが、失敗を許し、多様な価値観を認め合う寛容さをもっと広めることが大切ではないか。
■日々の選択
松本 幸三(立命館大学経済学部2年、19歳)
私は、小さな意識の積み重ねがより良い未来をつくると思う。昨夏、友人とともに海へ行った。その際、大量のプラスチックごみで汚れている砂浜を見て、衝撃を覚えた。その多くが家庭用洗剤の容器やレジ袋など、私たちの生活に身近なものばかりだった。また、町中にはたばこの吸い殻やお菓子袋も捨てられていた。
人類の未来は、科学者や政治家たちだけがつくり上げるものではなく、私たちの日々の小さな選択が積み重なってできるものだと考える。レジ袋ではなくエコバッグを使う、ごみは分別して捨てる、なるべく包装の少ない商品を選ぶ。このような小さなことでも続けていくうちに大きな変化につながるかもしれない。
未来を守り育てるとは、自身の都合や周りに流されず、日常の自分の選択にちょっとした意味を持たせることだと思う。自分の行動が周囲に与える影響を意識し、そのための小さなアクションを起こす。それがより良い未来を守り育てる一歩になる。
■旅をしよう!
八尾坂 優月(駒沢大学グローバル・メディア・スタディーズ学部2年、20歳)
私は、人類の未来を守り、育てるために「旅行をすること」が重要だと考えている。グローバル化の進展により、ヒト、モノ、カネなど世界各国のつながりは深まった。しかしここ数年は国同士の対立に拍車がかかり、価値観の違いが浮き彫りになるなど国際関係が悪化している。たとえ政府や国家の間に亀裂が生じることがあっても、市民同士が良好な関係を保つことで、明るい未来をつくり上げることができると私は思うのだ。
そのために必要なのは、他者の文化や価値観を理解し、尊重すること、そして、相手の国・地域に経済的なメリットをもたらすことだ。旅行はこれらの利点を同時に満たすことのできる手段であり、平和的な相互理解と絆を深める力を持つ。
新型コロナウイルスの世界的大流行(パンデミック)で旅行者数は大きく減り、各国のつながりが希薄になった。コロナが収束した今だからこそ、私たちは旅に出ることでよりよい未来をつくっていける。
■家族が原点
山田 智也(不動産業、44歳)
地球上のどこにいても、人の原点は家族。人類の未来を守るという命題を前にしても、それは変わらない。
かつて、北米の先住民族であるモホーク族の村を訪ねたことがある。親だけでなく親戚一同や地域の人々が、まるでひとつの大家族のように子どもを育てていることが強く印象に残った。彼らが持つ「7世代の原則」という思想にも深い感銘を受けた。彼らは、自分たちの決定が7世代先の子孫にどう影響するかを考えて行動するのだという。
現代の日本はモホーク族のようにはいかない。家族のかたちや地域との関わり方が多様化し、「何が正しいのか」の基準も曖昧になっている。それでも、世代や立場を超えて相手を思いやり、声をかけ、困ったときには助け合える関係を、それぞれの家庭や地域の中で育てていく努力が必要ではないか。
人類の未来とは遠い話ではなく、目の前の家族としっかりと向き合う日々の積み重ねの先にある。そう信じている。
■Pay It Forward
比嘉 ルシオ仁悠(関東学院六浦高校3年、17歳)
私はこの問いを聞いたとき、ある映画を思い出した。親切にされた人が3人に親切にする。その3人がまた3人ずつ親切な行動をとり、善意の輪を広げていく。「Pay It Forward」と呼ぶ理論を考えた主人公の中学生が、小さな行動から世界を変えていく物語だ。
この考え方は未来を守るために大切な考え方であり、世界をよりよくする力があると思う。その行動によって、たくさんの人の考え方を変え、育てることができる。
私はこれを応用して、「未来を守る行動」をしている人にカードを渡す活動をしていきたい。受け取った人がまた別の3人にカードを渡していく。エコバッグを使う、寄付をする──。誰かの小さな行動に気づき、認め、つなげていく仕組みだ。自分の行動が未来につながっていると分かれば、その人の意識と行動はもっと前向きになるのではないか。誰に渡そうかと考えることそのことも、人類の未来を守り、育てることができるだろう。
■社会参加で育てる未来
山本 瀬里(駒沢大学グローバル・メディア・スタディーズ学部3年、21歳)
人類の未来を守り、育てるためには、私たち若者が政治に関心を持ち、選挙に積極的に参加することが重要である。日本では現在、少子高齢化や環境問題、物価高騰などの課題が山積しており、学生である私たちも日々その影響を感じている。これらの問題に対処し、持続可能な社会を築くためには、私たちの声をもっと政治に反映させる必要がある。
しかし、多くの若者が「自分の一票で社会は変わらない」と感じ、投票をためらっている。実際にZ世代の約7割が投票意向を持ちながらも、約6割が「投票しても社会は変わらない」と考えている。
こうした状況を変えるためにも、私たち自身が政治や社会問題について学び、関心を持つことが大切だ。海外のように小中学生のうちに選挙や政治に触れる機会を増やすことも、社会参加への意識を向上させる一つの策だと思う。私たち若者が積極的に政治に参加し、未来を担うリーダーを選んだり、情勢を主体的に学んだりすることで、人類の未来を守り育てることができるはずだ。
■何も残さず生きる
浜田 紫央(立命館大学経済学部2年、19歳)
私は人類の未来を守るために、何も残さないように生きたい。未来は未知数であり、私たちの残したものが資産となるか、負債となるか分からない。ならば何も残さないことが一番未来につながると思う。
私は100年以上の歴史がある高校に通っていた。そのため学校生活では様々な伝統行事を経験した。その中には良いなと思うところもあれば、逆にその伝統に縛られすぎていると感じることもあった。
例えば、私の高校の文化祭では代々行われてきた行事があるが、そのための準備に多くの時間を割く必要があった。そのため自分たちが新しくやりたいと思ったことも、その伝統行事があるせいで諦める選択をするしかなかったことがある。
先人から受け継いだものの中には良いものもあれば、時代に合わなくなってしまっているものもある。合わないものに縛られ、未来の人たちが自由な選択ができなくなるのは良くないと思う。未来の自由な選択を守るために、何も残さないように生きたいと私が考える理由はそこにある。
日本経済新聞・田中陽編集委員の講評
「人類の未来を守り、育てるために何をしますか?」の問いに若い読者を中心に約200のアイデア、意見をお寄せくださり、ありがとうございました。気候変動、地政学リスク、米国が仕掛ける関税問題など世界が大きく揺れる中で、学校のテストのように正解があるわけではないテーマに真剣に向き合ってくださったことに感謝します。
「『関係ない』を捨てる」は投稿者の当事者意識を持つ覚悟と受け止めました。18歳の投稿者にとって長い未来が待ち受けています。よりよき社会の実現へ行動を起こす必要がひしひしと伝わってきました。
自身の経験から未来を考えてくれたのが「『当たり前』を再認識する」です。慣れとは恐ろしいもので、最初は違和感を覚えていてもいつしかそれが「当たり前」になってしまうと、思考も止まってしまいがちです。高い志と感度を持ち続ける姿勢は大切です。過去に立ち返って「当たり前」を見直す意見は納得です。
「人との対話から得る学び」は対話の重要性と自律的に考える必要性を思い起こしてくれました。深みのある話し合いから未来に向けた歩みを踏み出していきたいですね。皆さんによって教育、歴史、SDGs(持続可能な開発目標)など様々な角度から希望が持てる未来が語られました。(編集委員 田中陽)