【中島宏之】引退表明前夜、電話をかけた2人…西武ファーム時代からの特別な存在

前中日の中島宏之内野手(42)が3月27日、自身のインスタグラムで現役を引退することを表明しました。

伊丹北まで中央球界ではほぼ無名の存在でしたが、西武入団後にファームで鍛え上げ、球界を代表する内野手へと進化。通算1928安打をマークしました。

若手の頃、ファームで切磋琢磨(せっさたくま)した同年代の2人、栗山巧外野手(41=写真右)、中村剛也内野手(41=同左)は、支えとなり、刺激を与えてくれた存在でした。

プロ野球

◆中島宏之(なかじま・ひろゆき)1982年(昭57)7月31日、兵庫県生まれ。伊丹北から00年ドラフト5位で西武入団。04年にショートの定位置をつかみ、09年最多安打、08、09年最高出塁率。ベストナイン4度、ゴールデングラブ賞3度。11年オフにポスティングで大リーグ移籍を目指し、ヤンキースが入札も交渉決裂。12年は西武に残留し、同年オフにFAでアスレチックスと2年契約。2年間でメジャー出場はなく、15年に国内復帰し、オリックス入団。19年巨人、昨季は中日でプレー。08年北京五輪、09年WBC日本代表。15年までの登録名は本名の「中島裕之」。180センチ、90キロ。右投げ右打ち。

08年10月、2番栗山、3番中島、4番中村剛の順で、西武ドームの階段を上る

08年10月、2番栗山、3番中島、4番中村剛の順で、西武ドームの階段を上る

2軍戦後に「すぐノック、1時間以上守備練習」

数々のタイトル、記録を残したが、中島の原点はファームで心技体を磨いた西武時代にある。

今でも鮮明に記憶に残るのは、1学年下の栗山、中村剛とのノック、打撃練習の日々だった。

中島は、苦笑交じりに若かりし頃の猛練習を振り返った。プロ2年目、ファームの試合後に待っていたのは、当時ルーキーだった栗山、中村剛らも交えた若手を中心とした居残り練習だった。

「試合が終わったら、すぐにグラウンドでノックが始まって、1時間以上、守備練習して。朝も打ちますけど、その後はバットを振って。それが普通の毎日でしたね」

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兵庫県出身。報徳学園、関大を経て、2007年に日刊スポーツに入社。
野球部に配属され、同年12月までアマチュア野球担当、 2008年から11年まで1期目の巨人担当、2012~13年まで西武担当(2013年はWBC担当)、2014~16年まで2期目の巨人担当、 2017~18年までアマチュア野球担当、2019~20年まで3期目の巨人担当、2021年は遊軍、2022年からDeNA担当。
身長169・5センチ、体重58~63キロをいったりきたり。