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大泉学園生まれの宇賀なつみが語る、私を育んだ練馬の魅力とは【東京っ子に聞け!】

インタビューと文章: パリッコ 写真: 小野奈那子


お話を伺った人:宇賀なつみ

宇賀なつみ

1986年東京都練馬区生まれ。2009年立教大学社会学部を卒業し、テレビ朝日入社。入社当日に「報道ステーション」気象キャスターとしてデビューする。その後、同番組スポーツキャスターとして、トップアスリートへのインタビューやスポーツ中継等を務めた後、「グッド!モーニング」「羽鳥慎一モーニングショー」「池上彰のニュースそうだったのか!!」等、情報・バラエティ番組を幅広く担当。2019年に同局を退社しフリーランスに。
HP:https://aestas.tokyo/
X(旧Twitter):@natsumi_uga
Instagram:@natsumi_uga


多くの地方出身者が暮らす大都市、東京。一方で、東京で生まれ育った「東京っ子」は、地元・東京をどのように捉えているのでしょうか。インタビュー企画「東京っ子に聞け!」では、東京出身の方々にスポットライトを当て、幼少期の思い出や原風景、内側から見る東京の変化について伺います。今回お話を伺ったのは、生まれも育ちも練馬区というフリーアナウンサーの宇賀なつみさん。大泉学園で生まれ、地元の小中学校、大泉高等学校を卒業した後は、西武池袋線で池袋にある立教大学に通いました。そんな宇賀さんに、幼少期から青春時代を過ごした地元での思い出や、今だからこそ感じる練馬の魅力についてお話いただきました。聞き手は同じく大泉学園出身で、現在は石神井公園に暮らすライターのパリッコさんです。

練馬の公園とともに育った子ども時代


── 宇賀さんが生まれ育った大泉学園の街についての、いちばん古い記憶はどのようなものでしょう?

宇賀なつみさん(以下、宇賀) 家の近くにあった「練馬区立梨の花公園」が公園デビューの場所だったんです。私は長女だったので、自分にとっても母にとってもデビュー(笑)。そこで知り合った子たちが私の最初の友達だったし、母の最初のママ友だったんですよね。人生で初めての友達は、誕生日が1週間違いのあさみちゃんという子で、出会ったのは生後2、3カ月の頃だと思います。それからずっと中学まで一緒だったし、やっぱり地元の子たちとの絆は強いなと感じますね。だから、梨の花公園に関する思い出が最初の記憶かな。

宇賀さんが公園デビューした練馬区立梨の花公園

── 小学校、中学校と成長していくと、行動範囲も広がると思いますが。

宇賀 はい。それでもやっぱり公園の思い出が多いですね。少し遠いんですけど、「大泉中央公園」は、ちょっとしたアスレチックもあって、家族でお花見にも行ったし、中学のマラソン大会もそこだったり。

── 著書の『じゆうがたび』(幻冬舎)には、子ども時代にご家族で、毎週末ごとに、遠出に限らずあちこちに出かけられていたというお話も書かれていましたね。

宇賀 そうなんです。中央公園のほかにも、「光が丘公園」とか「石神井公園」とか。やっぱり練馬区は緑が豊かですよね。公園の数もものすごく多いし、あちこちに畑や野菜の無人販売所があって。

私は「都立大泉高校」出身なんですが、当時は東京23区の中にある都立高でいちばん校庭の面積が広かったんです。野球部とサッカー部とラグビー部が同時に練習できるグラウンドがあったり。だから、一応23区内ではあるんだけど、なんだか空が広くて身近に自然があるという、都会と田舎のいいとこどりみたいな場所なのかなって思いますね。練馬区って。

石神井公園にて妹と。幼い頃は、外で遊ぶのが大好きな女の子だった 提供:宇賀なつみ

昔から地元で愛されるスイーツ店たち

── では、個人的に思い入れのあるお店などはありますか?

宇賀 大泉学園って、商店街も多いんですよ。私が子どもの頃は、八百屋さんで野菜を買って、お豆腐屋さんで豆腐を買って、お米屋さんで米を買って、みたいな感じでした。しかも、学校の同級生にその商店の子たちがいるんですよ。だからみんな「〇〇ちゃんちの八百屋さん」みたいに認識していて(笑)。そういうところは、ちょっと下町っぽい部分かもしれませんね。

例えば和菓子屋さんの「竹紫堂」は妹の同級生のお店で、母が親御さんと仲がよかったんです。和菓子って、桜餅、柏餅、いちご大福など、季節ものも多いじゃないですか。それを必ず買ってきては家族で食べるのが恒例になっていて、いい思い出になってますね。

竹紫堂には区の形をかたどったオリジナル菓子「練馬サブレ」が売られている

それから、その近くに「トレント」っていう洋菓子店があって、そこのソフトクリームもよく食べました。確か当時、150円とかだったんですよ! 母親におこづかいをもらって友達と食べに行ったそのソフトクリームがおいしくて。今はいくらくらいなんだろう、気になる……。(スマホで検索しながら)250円ですね。

洋菓子とアイスクリームの店 トレント。地元で長年愛されている洋菓子店

── 今も安いですね!

宇賀 100円しか値上げしてない(笑)。ほかにも、おばあちゃんが1人でやってる駄菓子屋さんがあったんですけど、そこは閉店してしまったんですよね……。そういう、徒歩や自転車で行ける範囲のお店が、やっぱり思い出の中にありますね。

── ずいぶん子どもらしい子ども時代を過ごされていたというか。

宇賀 本当によく外で遊んでましたよ。ドロケイ、氷おに、Sケン。毎日のように走り回って身体中アザだらけみたいな。

それと、遊園地なら同じ沿線の「としまえん」が定番でした。毎年夏になると家族でプールに行ってましたね。ウォータースライダーの「ハイドロポリス」を初めてひとりで滑れたときはうれしかった。成人式もとしまえんで、振袖のままジェットコースターに乗ったり。練馬区民にとっては、遊園地といったらとしまえんなんです。残念ながらすでに閉園してしまったんですが、跡地は「ハリー・ポッター」をテーマにした「ワーナー ブラザース スタジオツアー東京」になってますね。

自由な校風の「都立大泉高校」で思いっきり青春を謳歌

大泉高校の文化祭にて。高校時代で最も思い出深いイベントの一つ 提供:宇賀なつみ

── 高校に進学してからはいかがでしょう?

宇賀 やっぱり、遊びかたはだいぶ変わりますよね。アルバイトを始めて自分で使えるお金も増えましたし、門限もそれまでよりはずいぶん遅くなったし。友達と夜までファミレスでごはんを食べているときなんか、かなり世界が広がったような感覚がありました。

だけど、地元の高校に地元の子たちが集まってきているので、行動範囲は大泉学園中心でしたね。自転車で行ける範囲内で、ちょっと足をのばして吉祥寺に行くくらい。新宿とか渋谷に近い学校を選んでいたら、ぜんぜん違う高校生活だったんだろうなと思うんですけど。

── ご出身の都立大泉高校は、ずいぶん自由な校風だったと聞きました。

宇賀 楽しかったですね〜。今は中高一貫になって変わってしまった部分もあるんですが、当時は本当に校則もなくて、髪を染めるのもピアスをするのも自由。服装も自由で、制服を着ているのは「制服を着た女子高生」になりたいギャルの子だけ、みたいな(笑)。休みの日に来てギターで歌ってる子もいるし、のんきにキャッチボールしてる子もいるし。

あと、ホームルームが週に一度しかなくて、自分の授業に合わせて行けば良かったんです。だから、ごはんを食べにマックとか吉牛に行って、ちょっとめんどくさかったらそのまま帰っちゃうみたいなこともありました(笑)。

── 信じられない! 一方で、高校では応援団の活動にも打ち込まれていたんですよね。

宇賀 そうなんです。チアリーディングのイメージで入ったら、ものすごく硬派な世界で(笑)。けれどもだんだんとやりがいを感じるようになって、熱心に練習に打ち込みました。高校には定時制の方たちもいたので、夕方5時までには学校を出なきゃいけないんですよね。その後の夜練をどこでするかというと、石神井公園でした。ステージ広場で、みんなで振りの確認をしたりとか。

広大な敷地に豊かな緑が残る都立石神井公園

── 高校時代もそうですが、現在だと、お仕事をされながらも頻繁に世界各地に旅行に行かれたり。宇賀さんのそんなパワフルさの源って、どういう部分にあるんでしょうか?

宇賀 時間に対して貧乏性なところですかね。小学校の時におばあちゃんに買ってもらった、サンリオキャラクターの手帳があったんです。それがうれしかったと同時に、書き込むスケジュールがなんにもないことがすごく悲しくて。「私、ヒマじゃん……」って(笑)。

それで、とにかく毎日マスを埋めようと、「〇〇ちゃんと遊ぶ」「〇〇を食べる」「ピアノ〇〇時」とか書き込みだしたらそれがクセになって、むしろ手帳を埋めるために予定を立てるようになっていったんですよね。そうしたら毎日が充実しだしたし、ふとした瞬間に見返すと、そのときに自分がなにしてなにを感じていたかを思い出せるんですよね。これはいいなと。

それからず〜っと続けているので、今はもう「スケジュール帳に空白はありえない」っていう状態ですね。もしも体調を崩して1日家にいることになってしまっても、なにか1本映画を見るとか、本を読むとか、その日なにかをしたという事実を残したいんです。


── うっかりぼーっとしていたら1日が終わってしまうような日がよくある僕にとっては、かなり衝撃的なお話です(笑)。そしてまた、お酒もかなりお好きだとか。

宇賀 そうなんです! 局アナ時代はすごく不規則な生活をしていたので、お酒を飲むことで「ここからはオフ」という区切りができたというか。例えば、深夜0時に仕事が終わって、翌朝7時の便で地方出張へ行くとなっても、「じゃあ3時までは飲もう!」って(笑)。とにかく、仕事のためだけに寝て起きるのは嫌だったんです。それなら移動中の新幹線とか飛行機で寝ればいいやって。

もちろん、すっごく忙しい週には「今週の日曜日はもうなんにもしない!」と思うこともあります。だけど、昼くらいまでだらだらしてたら、「そろそろなにかしないと!」っていうモードになる。休みは半日でいいんですよね。

── 人間としての馬力が違うとしか思えません(笑)。

すべての「初めて」を体験した街、池袋

── ところで、西武池袋線沿線に暮らす練馬区民にとって、最も近い都会が池袋だと思うのですが、なにか思い出はありますか?

宇賀 初めて映画を見に行ったのも、初めて自分でクレジットカードをつくったのも、初めてのデートも池袋でしたね。すべての初めてを体験する街(笑)。なんでもあって、新宿とか渋谷まで行く必要がない、いちばん近い都会ですよね。

ただ、「池袋ウエストゲートパーク」のようなちょっとワイルドな空気感がまだ残っていた頃なので、治安は正直あまり良くなかったです。具体的には言えないですけど、見るからに要注意な人とかも歩いていて、10代の自分としてはショックもありましたね。そういうのも含めて、初めて大人の世界を覗き見た街でもあるというか。

その後「立教大学」に進学したので、大学時代はずっと池袋にいました。街中にあるキャンパスだから、門を出たらボウリング、カラオケ、飲み屋、なんでもあって、遊ぶのには便利でしたね。就職が決まった後も、同期のアナウンサーの加藤真輝子と、いつもビックカメラの前で待ち合わせて飲みに行ってたりとか。


── そのほかの、例えば渋谷や原宿のような街に対する憧れみたいなものはなかったですか?

宇賀 それが私、まったくなくて。もちろんたまには、渋谷の109とか、原宿の竹下通りに買いものに行ったりもしてました。だけど、純粋に「遠いな」と思っていて(笑)。あくまで自分のいる場所が起点。そもそも高校ですら「通学に1時間とか2時間使うなら、とにかく近いところにして、残りの時間で遊んだり勉強したりすればいいじゃん」という考え方で選びましたし。大学だって電車1本で行けるところしか受けなかったですし。とにかく昔から、無駄排除の方針で。

── 若い頃から合理的な考えかたが身についていたんですね(笑)。

高校の恩師を偲んだ「まる辰」での一夜

── ちなみに最近も、地元に帰ってきてお酒を飲むようなことはありますか?

宇賀 それが、あまりないんですよね。友達もあまり地元に残っていなくて、お正月に実家に帰るくらいしか機会がなくなってしまった。だから、たまに「大泉でおすすめの飲み屋さんを紹介してください」って聞かれても、お金がなかった若い頃に飲んでたチェーン店くらいしか知らなくて(笑)。

── なるほど。

宇賀 ただ先日、久しぶりに大泉で飲みました。私がパーソナリティを務めている、TOKYO FMの「SUNDAY'S POST」というラジオ番組があり、その番組は「手紙」がテーマなんですが、ある回で私が中学校時代の担任の先生にあてた手紙を書いて読んだんですね。その先生は私が卒業してから何年も経った後、職員室で倒れてお亡くなりになってしまったんです。当時、私はアナウンサーに内定して、そのことを先生に直接言いに行きたかったのに、タイミングが合わずに予定を遅らせていたら、けっきょく伝えられないままになってしまったんです……。

今でもすごく後悔していて。そうしたらその放送を聞いた故人の同僚の先生が「一緒に墓参り行くか?」ってメッセージをくださって、昨年末にご一緒させてもらいました。その後、大泉学園の駅前にあって、地元の人たちに人気のお寿司屋さん「まる辰」でご一緒して。

大泉学園駅から徒歩約3分ほどにある、すし処まる辰練馬店。休日のランチどきは行列ができることも

── 私も大好きなお店です。リーズナブルでおいしくて。

宇賀 そうなんですよね。地元の人に愛されてる感じで、すっごくにぎわってました。私は初めて伺ったのですが、いいお店でしたね。そこでいろいろな思い出話をさせてもらえたのは、とても貴重な時間でした。

地に足の着いた暮らしの感覚が残っている街

── 宇賀さんは旅行がお好きで、連載中のエッセイ『わたしには旅をさせよ』(朝日新聞デジタル)でも、かなり頻繁に世界各地に旅行されている様子を記録されていますよね。そうやって世界中を巡ったうえで練馬という街をふり返ったとき、どんな感覚になるのかなって。あまり海外旅行の経験がない僕からすると、なんだかちっぽけに見えてしまいそうな気もして。

宇賀 あ〜……なるほど。いや、最近は、どこにいてもスマホが使えて、Googleマップで道を調べて、Apple Payで決算して、翻訳アプリで会話ができてしまったりしますよね。それが便利でもあるんですが、私の感覚ではむしろ、どんどん世界が狭くなっているようにも感じるんです。感動や感激を求めて旅をしているのに、子どもの頃に見た景色のほうが印象が強かったりする。例えば、小さい頃に初めて行った「オズ」(リヴィンオズ大泉店、大泉に古くからある商業施設)のゲームセンターは、今見れば小さく感じるのかもしれないけれど、子どもの頃の私にとってはラスベガスにも負けていない(笑)。

初めてって一度しかないから、それにかなう感覚はないと思うんですよね。もちろん、カナダで初めて見たオーロラにはすごく感動しました。でも、初めてのゲームセンター、初めてのおつかい、初めてのマラソン大会、どれも同じくらいの鮮度で、私の中に残っているんです。

そういう意味では、これだけ海外の観光客が日本に来ているんだから、みんな練馬にも来てよって思いますね。半日でできる農業体験コースとかどうですか? 東京にもこんな場所があるんだよって(笑)。

── いいですね! 先ほども農家の無人販売所などのお話が出ましたが、あらためて、練馬区、そして大泉エリアの環境の良さなどについて、ご自身が思うところを教えていただけますか?

練馬は23区でもっとも農地が多く、その面積は23区内にある農地の約4割を占めているほど。農産物販売所専門の区公式アプリ「とれたてねりま」まである

宇賀 港区とか渋谷区を歩いていて、広い畑を目にすることなんてそうそうないじゃないですか。それが普通にあるのって、すごく恵まれていることだと思うんです。高い建物もそれほど多くないから、夕方にちゃんと夕焼けが見えるとか、お月様がよく見えるとか、季節ごとの虫の声が聞こえてくるとか。いい意味での田舎感がしっかり残っているのが、いちばんいいところだと思います。

畑の近くを通ると、風が吹いて土埃が舞って、その匂いを感じることが普通にありますよね。都会に暮らしていると、そういう感覚を忘れがちになってしまう。そういう、地に足の着いた暮らしの感覚が残っている街だなと思います。

子どもたちにとっても、スーパーに並んでいるきれいな野菜しか見たことがないんじゃなくて、畑が身近にあって、「夏になるとトマトときゅうりとなすがなるんだな」と実感したり、不揃いでも立派な野菜が無人販売所に並んでいて、その味を知っていることって、とても大切なことだと思うんです。自転車でおつかいに行って、100円玉を箱に入れて採れたてのキャベツを買って帰る、その重さや手ざわりを感覚的に知っていることとか。そういうことをきちんと体験できる練馬区は、東京23区の中でもとても恵まれた場所だと思うんです。


聞き手:パリッコ

パリッコ

酒場ライター。著書に『缶チューハイとベビーカー』(太田出版)、『酒場っ子』(スタンド・ブックス)、『つつまし酒』シリーズ(光文社)など。
公式サイト:https://lbt-web.com/paricco/
X(旧Twitter):@paricco

編集・風景写真:はてな編集部

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