女たちの堪忍袋の緒がブチ切れたのか
新型コロナで人々がいったん価値観をリセットするほどの全人類的脅威にさらされた2020年代。島国日本でも、私たちはいろいろリセットした。
ライフスタイルの変貌は大きかった。会社が経営方針を変更してリモートワークメインに移行し「なんだ、これでも世の中、ちゃんと回ってるじゃん」とボヤく人もいる。幸せとは何かと見直す人が増え、転職も地方移住も海外移住もあった。「こんな会社、もう無理!」と思ったら、いまじゃ退職申請も代行サービスが有料で請け負ってくれるらしい。
ジェンダー観の軌道修正、いや“進化”も大きかった。コロナ離婚もあればコロナ結婚もあり、炎上も告発も大いにあり、常識が非常識になる(逆もまた真なり)価値観の痛快な反転を体験した私たちは、歴史の最前列の目撃者だ。
そんなリセット気分が続いているいま、フィクション作品、特に映画やドラマにおいても、さまざまな表現が進化した。女や男の生き方を問い、再定義するドラマがいまの傾向だ。
昨年は「昭和の当たり前は令和の不適切⁉」と柔らかく常識の転換が説かれたが、2025年4月はもはやダイレクトに「夫よ、死んでくれないか」なんて物騒極まりないタイトルのドラマもあって、いよいよここまで来たかと爆笑した。なんでも、当該ドラマを放送するテレビ東京はこれまでに「夫の家庭を壊すまで」「夫を社会的に抹殺する5つの方法」など夫婦の愛憎劇を手掛け、「全夫が震えるシリーズ」第3弾なのだという。女たちの堪忍袋の緒がブチギレている表れなのだろうか……。