朝6時に起きて眠い目をこすりながらガンダムをみているうちに、「自分のタイムラインをジャックしているガンダム最新作を、リアルタイム視聴すること」について書きたくなった。『機動戦士ガンダムジークアクス』についてでなく、『ジークアクスをみんなで視聴している環境』についての感想文が書きたくなったわけだ。
覇権アニメの賑わいは大喜利の賑わい
今朝のジークアクスも期待どおりの面白さ……というより予想を裏切る面白さだった。ソロモンの戦いは前半にコンパクトにまとめ、後半は月面都市グラナダに舞台を移してグラナダらしい話をやってくれた。マチュの進展もわかった。それで良かった。私のタイムラインは、さっそく賑わっている。
そんな風に私は『機動戦士ガンダム ジークアクス』を楽しんでいる。しかし、その楽しみのすべてが作中描写に由来しているとは思えない。ジークアクスの楽しさのある部分はタイムラインの賑わいによって構成されている。
『機動戦士ガンダムジークアクス』という作品は、タイムラインの賑わいを大前提としてつくられていて、SNSのタイムラインを占拠してしまうことに意識的な作品になっている。事情通な人は、「そんなのは『ツインピークス』の時にも『新世紀エヴァンゲリオン』の時にも『魔法少女まどか☆マギカ』の時にもあった。大河ドラマだってそうじゃないか」と指摘するだろうし、それはそうだろう。それにしてもジークアクスの、話題の撒き餌をまいて大喜利やガンダム早押しクイズを誘発するうまさはどうだ!
歴史があり、古参ファンが大勢いるIPであることを最大限に利用して、ジークアクスは毎週毎週、(少なくとも私の)タイムラインをジャックしている。水曜日にはタイムラインがジークアクス色に染まり、一週間かけて徐々に色合いが薄くなってきたと思ったらまた水曜日がやってきてジークアクス色に染まりなおす。そんなことを毎週毎週やってのけているから、うちのタイムラインにおける覇権アニメっぷりはすさまじい。実際に世間の人がどれぐらいジークアクスを楽しみにしているのかは不明だが、エコチェンバーの内側ではガンダム関連のイラストがリポストされ、“識者”によるガンダムの解説や予測や考察が溢れかえっている。
それは、楽しいことであると同時に難しいことでもある、と私は感じる。
まず、楽しいことについて。
ガンダムという共通のコンテンツで繋がる者同士がこんなに集まってリアルタイムでメンションをかわせるのは、お祭りめいていると思う。三葉虫やアンモナイトの化石をなでるように20世紀のガンダム作品を懐古する日々は終わった! ジークアクスは最新のガンダム作品であると同時に、旧世紀の化石になり果てたはずのサイコガンダムやらキシリア・ザビやらに再び命を吹き込んだ。その、新旧入り混じったガンダムの話にリアルタイムで参加できるのは、ガンダムファン冥利に尽きる。
そのかわり、このカーニバルのようなタイムラインから逃れてジークアクスを視聴することも、また難しい。
タイムラインのカーニバルのなかには、見たくもないものや考えたくもないものも混じっている。褒め方にしてもピンキリで、ろくな褒め方じゃないと思うものもある。が、それはタイムライン構築の問題ではあろうし、「嫌なら見るな」が今日のSNSではある。
ところが最近の覇権アニメ、ひいては覇権コンテンツは、タイムライン上でリアルタイムに盛り上がることを大前提としてつくられている。次週の放送まで話題性を継続させるための撒き餌を作中にも欠かさない。そうしてタイムラインの盛り上げ、作品の知名度やファンの気持ちを高めていこうとしているのは理にかなっている。
だから、たとえばジークアクスをリアルタイム視聴すると言った時に、タイムラインの動向をまったく考えにいれない・まったく観測しないのは、ちょっと違う気がしてきた。作品の仕掛けや販売戦略としてSNSのタイムラインが意識され、実際、そこでの盛り上がりがリアルタイム視聴の風景の一部をなしているとしたら、そのタイムラインをわざわざシャットダウンして作品と向き合うのは、作品の全体像の一部を切り離しているのに近い、のではないだろうか。
「孤独の『ジークアクス』」は可能か、可能だとして、それは適切か?
本当に、アニメ作品を鑑賞するとはどういうことか。
「アニメを観る」と言っても色々だ。作中で描写されていることが最も重要、いわば一次情報なのは言うまでもない。アニメを正座して観たい人は、この一次情報を精確に把握、なんなら読解するリテラシーを身につける必要がある。
また、ある種の観賞態度を良しとする人々は、制作陣についての情報や過去の関連作品についての情報も意識しながら作品を鑑賞・分析することもあるだろう。現在のアニメの流行状況や関連技術を意識しながら視聴する人もいるかもしれない。
とはいえ、周辺情報に惑わされず一次情報に集中して視聴することがまずは大切なはずで、タイムラインが何を言っているのかより、自分自身が作品をとおして何を受け取ったのかが優先されるはずである。だからこそ、ネタバレを回避して作品と一対一で向かいたいファンは眠い目をこすってリアルタイムでジークアクスを視聴し、自分自身が作品から何かを受け取るプロセスに予断や先入観が入り込まないように努めてもいる。
ところが、ジークアクスのようにタイムラインをジャックしてしまう作品の場合は、視聴前後にさまざまな情報や憶測を吹き込まれてしまうのは避けられない。毎週の最新話と一対一で対峙するのは可能だとしても、作品全体と一対一で対峙するのは著しく難しい。もし、本当に作品全体と一対一で対峙したければ、リアルタイム視聴中はずっとSNSを遮断し続けるほかないだろう。
じゃあリアルタイム視聴中にずっとSNSを遮断し続けるのが最適な鑑賞態度かと言われたら……違うんじゃないかなぁ。さっき書いたように、最近の話題作はすべからくタイムラインの盛り上がりを前提とし、それが作品づくりの一部をなしている。控えめに言っても、作品の構成やセリフや予告などのうちに、タイムラインの盛り上がりや大喜利を誘発させる仕掛けを見出すことは可能だ。たとえば今日の昼頃にジークアクスのXの公式アカウントはキャラクターやメカの情報を解禁しているが、それだってタイムライン占拠率を維持するためにやっていることだろう。
なら、そうした仕掛けを受けてタイムラインがどのように盛り上がったのか、ファン内外でどんな反応が優勢だったのかを「場外の出来事に過ぎない」と簡単に切り捨ててしまうのはいけなくないか?
こう考えてしまうと、たとえばジークアクスの鑑賞態度は孤独であってはならず、タイムラインの賑やかさも込みで観測しなければならない……ような気持ちになってしまう。本来、アニメとは一対一で向き合い、楽しめるメディアであるはずだし、今まで私はそう理解してきた。だけど、タイムラインをジャックしている作品、またタイムラインをジャックするべく創られた作品ではこの限りではなく、孤独を良しとしていたら作品をなしている大きな輪の一部分を見逃してしまうのではないか、と思わずにいられない。
もし、ジークアクスをリアルタイム視聴せず、たとえば数か月後、数年後に視聴した場合、リアルタイム視聴勢が受け取ったのとは異なった受け取り方になるのは避けられないと思う。それこそがあるべき視聴態度だろうか?
「いつ観ても作品は変わらない」とか「作中で描かれた一次情報こそが正義だ」と言ってしまうのはたやすい。けれども、そうして旬の時期を外して鑑賞する覇権アニメはタイムラインの賑わいとセットの味がしないし、セットの味がしないとしたら、それは制作陣の思惑の外側の状態での鑑賞、ファンのリアクションという血潮を失った蝋人形の鑑賞になってしまわないだろうか?
誰にも邪魔されることなく、孤独に作品と一対一で向き合う──そういう態度は、アニメを最もプレーンに鑑賞する態度だと思うし、古強者アニメ鑑賞家なら、今でもそうした鑑賞態度を手放していないだろう。でも、それはそれとして、タイムラインをジャックするようつくられた作品の、ジャックしているさまを視野から追い出すのも、それはそれで片手落ちに思える。
この2つの課題を両立させるのは簡単ではないかもしれない。
なぜなら、タイムラインに目を泳がせつつ、それでいて作品と一対一で向き合う態度を維持するには、他人の意見や周りの空気に流されない芯の強さが必要だからだ。
タイムラインをジャックする作品の、「興行的性格」
いまどきの覇権アニメ、いやアニメに限らずタイムラインをジャックするタイプの作品は、催し物やイベントとしての性格、または「興行」的な性格の強いエンタメなのかもしれない。プロレスとか、ペナントレースとか、ツアーといったものに近い性格を帯びたアニメというか。それを私たちは、SNSのタイムラインという巨大な街角テレビをとおして共有し、あれこれ寸評したり、ヤジを飛ばしたり、誰かが即興で描いたイラストを見て歓声をあげたりしているわけだ。
今の時代、アニメ作品それ自体はいくらでもアーカイブ化されるし、サブスクリプションをとおして再生も可能だろう。けれども作品の興行的ストラテジーがぴたりと当たってファンを賑わせているこの状況は、今なおリアルタイム視聴の特権に近い*1。賑わいを楽しみ、作中の表現や演出がタイムラインをジャックする様子をこの目で確かめたければ、結局リアルタイムに視聴するしかない。うまくできているなあ。
きっと来週も、私は早起きしてジークアクスを観るのだろう。
「制作陣に乗せられている」とわかっていても乗らないわけにはいかない。
[関連]:ジークアクスが「インターネットの面白さ」のアニメすぎる・他(2025年5月21日の日記)|人間が大好き
*1:ただし、ニコニコ動画はある程度まで賑わいそのものをアーカイブ化しているとは言える