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山形放送

長嶋茂雄さんの訃報 山形県内でも惜しむ声 2003年にはW杯日本代表候補の強化合宿を視察

巨人軍の長嶋茂雄終身名誉監督が3日朝、都内の病院で肺炎のため亡くなりました。球界の顔として国民的な人気を博してきた長嶋さんの訃報に、山形県民からも惜しむ声が聞かれました。 「選手を引退したとき“ジャイアンツは永久に不滅ですと言われたあれがすごく印象に残っている」 「野球の神様みたいな人」 「曾祖父も祖父もみんな長嶋さんのファンでしたミスタージャイアンツ」 読売新聞グループ本社と読売巨人軍は、3日午前6時39分に長嶋茂雄終身名誉監督が都内の病院で肺炎のため亡くなったと発表しました。89歳でした。17年間の現役時代は数々のタイトルを獲得し「ミスタージャイアンツ」として活躍。引退後は巨人の監督に就任し多くの名場面を生み出して、ユニークな人柄とともに国民に親しまれました。 国民的スターの訃報を受け、県民からは惜しむ声が聞かれました。 「野球少年だったから憧れですよね。サードをやりたくなった。ひょうきんなところが人を引き付ける素晴らしい人真似しようとしたああいうところは」 「父が巨人ファンで小さい頃はよくテレビで拝見していた言葉遣いも面白い、 独特。ちょっと寂しいですよね」 「迫力もあったし爽やかなところもあったし本当に心に残る監督の1人」 1999年、長嶋さんが高畠町体育協会の創設50周年を記念した講演会に登壇しました。 「雪が舞う日にこぞって体育館いっぱいにお集まりいただきまして改めて皆様に感謝申し上げます」 「ミスター!」 2003年、野球のワールドカップ日本代表候補の強化合宿が鶴岡市小真木原町の鶴岡ドリームスタジアムで行われた際に、長嶋さんが視察と激励に訪れました。スタジアムには長嶋さんを一目見ようと、大勢の市民やファンが詰めかけ、熱い視線を送っていました。 長嶋茂雄さん「出羽三山の羽黒山が近いから羽黒山にお参りしたい。土地柄としては良い環境少年少女たちにとってみればスポーツの振興に大人たちが役割を担いながら協力しているそういう点でいい」 このとき長嶋監督と交流したのが鶴岡野球連盟の前の会長渋谷益生さん。長嶋さんが選手に指導する様子を間近で見ていたといいます。 鶴岡野球連盟 渋谷益生 前会長「いわゆる長嶋弁がすごかった“ビュッときたボールをバシッと打つ”そういう指導をしていた」 球場には、当時長嶋さんからプレゼントされたというボールとサインが、今も大切に保管されています。 「自分にも優しい言葉で“どうもご苦労さんね”と言ってくれる親切 気取らない天上人だからその人があんなに気さくに話してくれるのは感動もの。また天国でも面白い野球を広めてほしい」 気さくでユニークな人柄も愛されていた長嶋さん。その姿は、多くの県民の記憶に鮮明に残っています。

日テレNEWS NNN

6月3日 18:07

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