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国守の愛 第1章      作者: 國生さゆり  
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富士子編  82 牙痕



    シーン82 牙痕



 ねこを迎えた日、夕食が済むとねこを連れて2階に上がったまま、就寝時間がぎても降りてこない富士子を、心配した浮子は富士子の自室へ様子を見に行く。ドアを薄く開け、ベットを見る。富士子は柔和にゅうわな寝顔で眠っていた。窓際に置いたゲージに視線を送ると、黒色のふかふかとしたハウスでしっぽに顔をうずめているねこが見え、浮子はホッと息を吐く。



 この日富士子は国男と浮子があやぶみ見守る中、富士子は仰向あおむけにしたねこを左手にのせて「綺麗にしましょうね」と話しかけながら、軽く5本の指先を曲げ、用意してあった洗面器にめた湯に、救急箱から取り出したガーゼをひたし、ねこの汚れを拭くようにして清めていった。その手付てつきを見た国男は、液体デイバイスを製造している時の富士子を思い出す。富士子の左手にのる濡れたねこは生後2ヶ月前後にしては、痩せていて小さく、浮子はその生命力を心配した。



 ベットの足がわにある造り付けの本棚に、浮子はハンガー掛けしたグレーのカレッジトレーナーを見つけ、トレーナーの正面に付いている黒布はなんだろうと、入室して見ると、富士子のお気に入りの黒のマフラ ーだった。



 長方形に裁断さいだんしたマフラーを二重にして縫いつけ、上向きポケットにしていた。その細かい黒糸の針運びを見た浮子は何事も集中して打ち込み始めると、手が抜けなくなると微笑んでポケットの内をのぞく。


 昼間、ねこをくるんでいたバスタオルがホックで着脱式にしてあった。浮子はトレーナーをゆっくりとひとなでして退出する。



 自室のベットに入り、半年ぶりの一人寝はいつもよりも広く、ぬくもりの薄さが寂しく 、富士子の2度目の巣立ちを嬉しく思いながらも、浮子はなかなか寝付けなかった。



                  ★



 一か月の時をてねこがひとまわり大きくなり、幼児体型になった頃、ねこは家の中を自由に散歩し始めた。国男は敷地内に危険がないか見てまわり、門の隙間すきまからねこが飛び出さないようにと、門の格子の隙間や地面とのあいだはかり、Amazonでねこ用の金網を注文する。




 届いた週末の朝、試行錯誤しながらサイズに合わせて切り出して、取り付け始めた国男の近くに座る富士子はねこを抱き、その作業を眺め続けていたが、昼前に家に入り、濃い緑茶を大きめのコップに作って氷を入れ、「パパ、これ、はい」と国男に手渡した。



 「喉が渇いていた。ありがとう」と言って受け取った国男はコクコクと飲み干し、昼食は浮子が作ったお重を庭に広げて3人で食べ、この日、富士子は国男のそばを離れようとはしなかった。



 事件以前の国男は会社から直帰せず、接待や打ち合わせ等々(とうとう)の出先で夕食を食べ、深夜帰宅していたが、富士子の事があってからは朝10時に出社して、夕方18 時までには帰宅し、富士子と浮子の3人で夕食を摂り、富士子に向き合い、会話を楽しむようになっていた。



 久美子を亡くして以来のその姿に、浮子は日々、胸を打たれる思いがする。



 国男と富士子の親子間に、血のつながりを持たぬ他人である自分が割り込んでは良くないと、そう思って浮子は距離をおいていたところもあったが、富士子と国男の深まっていく絆を、間近で目にしてゆくうちに2人との関わりを、これまで以上に深くしたいと思うようになってゆく。



 遠慮という他人行儀は自分から人を遠ざけて孤独を深め、人を信用していないから、遠慮という作法を取って来たのではないか・・・浮子はそう考え、歳をとったから成熟するのではなく、自己信頼の元で柔軟なとらえ方が出来る寛容さを心に育てるから……円熟してゆく。に、たどり着く。浮子の人生は誰も知らない。損して徳を取れと人は言うけれど、浮子の若き日の人生はそうはいかなかった。上手ずるく立ち回る人が浮子の前に現れては、浮子を踏み台にして去って行った。説明や顔を合わせる事もなく、、、浮子は1人立ち直り、連絡先を火にべて、関係を断ち切って人生を歩いてきた。ヨーソローは他人になった人の話だ。



 ねこもネコで、トレー ナーのポケットに入っていない時は富士子のあとを追うか、所構ところかまわず、へそ天で昼寝にいそしむかで、庭に出てはトカゲやクモ、バッタを捕まえて富士子の前にポトリと落として感謝の意を表し、夜は富士子のベッドの足元で丸まって眠るか、掛布の中にもぐり込むかするようになった。



 そんなおだやかな日々の朝、富士子の自室から悲鳴が上がる。飛び起きた国男と浮子は富士子の部屋にパジャマのまま駆けつけた。



 左手首を押さえ、うずくまっている富士子を目にするや、国男は富士子の側へと駆け寄り、近くに座っていたねこはクローゼットへと走り逃げて身を隠す。



 国男が富士子の左手首をみると、事件で負った傷痕の上に4つの牙痕があった。出血とむごい牙痕をみた国男はカッとなり、クローゼットに走り、怒りの言葉をねこにびせ、浮子はその激高げっこうの罵詈雑言に「旦那様、いけません。血圧が」 と止めに入る。



 「お父さま、ねこが怖がります。やめてください。お願いします。私は大丈夫ですから」富士子の口調と声色こわいろを聞いた2人は瞬時に振り返った。



 驚きの眼差しで直視した国男の目にった富士子の瞳には幼稚ようちさはなく、知性があった。あっけに取られた足取りの国男は富士子の前に進み出ながら「富・・士子⁈」と当惑とうわくした声で名を呼ぶ、「はい」りんとする声で答えた富士子を、国男はがっしりと抱きしめて男泣きした。



 「お嬢様!」と声を上げた浮子も富士子に取りすがって泣き崩れ、富士子はされるがままに「心配をか、かけて申し訳、ござい、、ません」途切とぎれ途切れにそう言うとクタリと身体から力が抜け、国男にしなだれかかって意識を失った。



 富士子の成り行きに意表を突かれながらも、国男は抱き上げてベットに寝かせ「頼む」と浮子に言って、しっかりとした足取りで1階に降りてゆき、固定電話からかけた電話に、2コールで出た樽太郎は「おはようございます!会長、何かありましたか⁈」と早口で言い、樽太郎に国男は「朝早くにすまない。樽太郎、富士子が、そのなんというのが適切か、、元来がんらいそのものの目をして、しっかりと話をした。ああ、そうだと思う。西浜医師には私から往診を頼む。誰か迎えに行くよう手配してもらえないか。ああ、そうだ。今、気を失っている。ああ、心配ない。大丈夫だ。頼んだよ」と冷静に話して電話を切るや、そらで覚えている西浜の携帯番号をプッシュし始めた。



 浮子は横たわる富士子の衣服を整え、上掛けをかけ、額にかかる髪にれて発熱に気づく。



 キッチンで氷枕の準備を慌ててする浮子に、西浜医師と話し終えた国男は「落ち着け、西浜医師に事情を話した。もう大丈夫だ。4〜50分かかるだろうが往診を頼んだ」重く低い声でそう言い、振り返った浮子が目にした国男の表情は晴れやかで、き水のようにんでいた。



 国男は会社を休んで富士子に付きい、浮子もそばを離れず、ねこも富士子のかたわらで過ごす。



 夕方近くに目覚めた富士子は、枕元に椅子を置いて本を読んでいる国男の姿を見るなり「お父さま、大丈夫ですか?」と気遣きづかいを見せ、上半身を起そうとする富士子に、国男は手を貸そうしたが動きを止め、富士子の顔を凝視した。



 富士子は「お父様、いつもと変わりなくでお願いします。あの日からお父様は私に寄り添い、支えてくれていたのを、私は知っています」柔和に話す富士子に、国男は「そうか、なんだか、どうしていいか、いきなり、わからなくなってしまった」困惑してそう言い、「お父様の自信のいお顔、初めて見ました」富士子は国男に笑いかけ、「不器用でしたね。お父様も、私も」と口にする。



 口元をゆるめた国男は「そうだな」と同意した。「ありがとうございます」泣き出しそうな声の富士子が、頬をバラ色に染めてはにかむように笑う。「よかったな、富士子」と言った国男は思っていることの10分の1も言葉にできずにいた。



 ねこは富士子のふところにうずくまり、国男が「調子はどうだ?」と聞く。「お腹が空いてます」素直に答えた富士子に、国男は曇りのない表情で微笑ほほんだ。



                   ★



 アイランドテーブルに座った富士子は、お粥に梅干し、切り干し大根、人参、お揚げの煮物を思考に沈んで、静々と食べていた。冷凍保管してあったカレーライスと、浮子が手早く作ったミックスサラダを、国男と浮子は食べている。



 浮子の立ち上がる素振りを見た富士子は「浮子、座って」と声をかけ、「心配をかけて、ごめんなさい」ふたたび口にして、2人に頭を下げた。



 国男は「子供の事だ。当たり前のことだ」語気は強かったが、うるむ声を隠そうとはせず、浮子は「大変でしたね。お嬢様」といたわり、富士子は「浮子も大変だったでしょう。ありがとうございました」と言って、2人の顔をあらためて見た富士子は、意を決したように「あの、おしえて欲しいの。これまでの事を全て。心配しないで、本当のことを教えてください。その、記憶が、、曖昧あいまいでところどころ、思い出せない箇所かしょがあります。記憶が抜け落ちていると、不安です」と落ち着いた声で話す。



 国男は「知って、どうする?」否定的な声で聞く。



 「わからない。でも・・知りたいの。そうしないと間違いを犯しそうで 、何もかもが、ただ、怖い。怖くて動けなくなってしまう。そんなの嫌だわ。お父様、人は低きに流れやすい。そうはなりたくはないの。だから、知りたいんです」富士子はそう答えた。



 富士子に視線を向けたまま「浮子、お茶をもらえるか」と言った国男も、「かしこまりました」と言った浮子も内心で思案していた。触れたくはない。だが、富士子の言うことも理解できる。話すとなれば中世半端ではならない。回復したばかりの富士子は・・全てを受け入れられるか・・・なやましい。



 お茶を飲みながら考えていた国男は「いいか、客観的に聞きなさい」と慎重に言い、「はい」と言った富士子は居住まいを正す。



 事件の背景、貨物船から救出された時の状況、負傷の状態、病院での生活の日々、自宅療養の毎日を国男は包み隠さず、富士子に話した。




 その夜、空がしらむまで3人は語り合う。




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