ドイツの政治経済が名実ともに「アフターメルケル」時代に突入したことを、筆者は近頃強く感じている。同国の財政運営における変化は、新たな時代の始まる「号砲」と見ることができる。
2月下旬に投開票されたドイツの連邦議会選挙で首位となった中道右派「キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)」は3月4日、連立政権の樹立に向けて協議を開始した第三党の中道左派「ドイツ社会民主党(SPD)」との間で次のような合意を交わした。
- 連邦予算とは別枠で、運用期間10年総額5000億ユーロの特別基金を創設すること
- 名目国内総生産(GDP)の1%を超える防衛支出に関しては、憲法の定める借り入れ上限(債務ブレーキ)の対象外とすること
- 州政府の財政赤字を名目GDP比で0.35%(従来は0%、州政府の財政赤字は一切認められていなかった)まで認めること
端的に言えば、財政収支の均衡を義務付ける債務ブレーキについて例外適用の範囲を拡大し、借り入れ制限を厳しく順守するのはもう止めましょう、という話だ。
総選挙の結果を受けた新たな連邦議会が招集されてしまうと、第二党に躍進した極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が債務ブレーキの堅持を主張していることから、財政均衡義務の緩和に関する合意は難しくなる。
そのため、3月25日の議会招集期限までに協議と合意を済ませて憲法改正にこぎ着けようと、にわかに関係各党が動き出したわけだ。
この財政改革案が報道されると、ドイツの10年物国債利回りは30ベーシスポイント(0.30%)上昇。ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツ統合により拡張財政を強いられた1990年3月以来の上昇幅を記録した【図表1】。
ユーロ圏の発足(単一通貨ユーロ導入)以来、最大の経済規模を誇るドイツが財政支出抑制を堅持することで「圏内の景気循環が平準化されない」との批判は常にあった。
一般的に、同じ通貨圏内では「豊かなエリア」から「豊かではないエリア」に再分配が行われることで平準化が進む。
円の通貨圏である日本国内で考えれば、国から支給される地方交付税交付金で地方公共団体間の不均衡が調整される。
ユーロ圏でも同様に、行政府に相当する欧州委員会もしくは経済規模の大きな国々から、財政運営を通じてより小さな国々に何らかのポジティブな効果をもたらすことが期待される。
しかし、この平準化機能に対して、ドイツの協調姿勢は常に消極的だった。
ユーロ圏共同債の発行(による財政基盤の弱い加盟国への資金供与や融資)が最も分かりやすい再分配手段だが、それに対してさえもドイツは難色を示し続けてきた。
そうした経緯を踏まえた上で、ドイツがせめて拡張財政により自国経済を押し上げ、ユーロ圏経済全体をけん引する構図が「次善策」として期待されてきた。
今回、ドイツが財政均衡の例外適用の拡大を進めようとしていることは、まさにそうした次善策に相当する(ドイツにはユーロ圏経済をけん引する意図はなく、低迷の続く自国経済に配慮しただけかもしれない)。
債務ブレーキの「硬直性」がもたらす混乱
ドイツで憲法に債務ブレーキが規定されたのは意外に最近の話で、メルケル政権時代の2009年に憲法改正が行われ、本格運用に至ったのは2016年からだ(州政府では2020年から)。
冒頭で触れたように、連邦政府の(構造的な)財政赤字上限を名目GDPの0.35%と定め、州政府については0%で単年度ごとの財政均衡が必須とされた。
深刻な自然災害や経済危機など非常事態の際には特例として一時的に上限を超える歳出が認められ、近年ではパンデミックに対応するため例外規定が発動された。
ただ、インフラ改善やエネルギー危機への対応には例外が認められておらず、そうした硬直的な規定運用の是非が近年では政治的な争点と化し、直近ではショルツ政権崩壊の引き金を引く形になった。
2024年11月、年明けに発足する第二次トランプ政権下で保護主義政策が強化され、低迷するドイツ経済にとってダメ押しになる展開を見越したショルツ政権は、緊急事態規定を発動して債務(起債による借入)制限を回避し、拡張財政を通じて景気を下支えする方針を訴えた。
ところが、財政規律を重視するリベラル政党「自由民主党(FDP)」の党首で連立政権の財務相を務めるリントナー氏がこの主張を拒否。拡張財政を主張する与党の社会民主党(SPD)と、緊縮財政を主張する自由民主党の間にある深い溝が埋まることはなく、ショルツ政権は任期途中で突如として崩壊した。
債務ブレーキ条項は財政の長期安定が狙いであり、有事の際の対応に余裕をもたらすメリットもあるが、その硬直性ゆえに政治経済の安定性を損なっている面もある。
英経済誌エコノミストが「戻ってきた病人(the sick man returns)」と揶揄(やゆ)するほど深刻な経済低迷の最中にあっても財政均衡を貫こうとするドイツの姿勢は、筆者に言わせれば、正気の沙汰ではない。
大国が欧州ルールをねじ曲げた
メルケル政権はなぜこうした厳格なルールを導入したのか。
その点を理解するには、欧州連合(EU)の財政ルールである「安定成長協定」の歴史を踏まえる必要がある。
この協定はユーロ導入国に財政規律の維持と強化を義務づけるもので、単一共通通貨であるユーロの信認を担保するのが目的。具体的には、単年度の財政赤字を名目GDPの3%以内に、政府債務残高を名目GDPの60%以内に抑制するよう求めている。
メルケル政権発足を控えた2000年代前半、ドイツは「欧州の病人」と呼ばれるほどの経済低迷を経験し、安定成長協定違反が常態化、欧州委員会から監視を受ける存在だった【図表2】。
ただし、協定違反の常態化はドイツに限ったことではなく、ドットコムバブル崩壊後のフランスも同様の状況にあった。
欧州委員会は当時、安定成長協定の定めに従ってドイツとフランスの両大国に対する制裁措置を発動しようとした。ところが、ドイツとフランスが協定の厳格運用は経済成長の妨げになると主張し、欧州委員会に公然と抵抗した。
欧州委員会は両国に財政赤字の是正を勧告し、さらに警告の採択をEU経済・財務相理事会に提案したが、結局否決されて制裁は執行に至らなかった。要するに、ドイツとフランスは共闘して政治工作を行い、財政ルールをねじ曲げたわけだ。
その後、欧州委員会はEU経済・財務相理事会の(ドイツとフランスに忖度した)結論を不服として欧州司法裁判所に提訴したものの、やはり制裁は行われなかった。
こうした経緯があって、EUの最高政治機関である欧州理事会(EU首脳会議)は2005年、財政赤字の容認や制裁の柔軟化をはじめとする安定成長協定の改定で合意している。
具体的には、財政赤字を名目GDPの3%以内に抑制するルールを絶対視することなく、景気後退が深刻な場合には例外を認めるように変更され、違反した場合でも従来のように短期間での赤字是正を勧告するのではなく、経済状況に応じて是正期限を延長するなどの調整が容認された。
今となっては信じがたいエピソードだが、事実として、ドイツとフランスは共闘した末に「財政ルールはゴネれば変えられる」前例を作った。
そして、こうした大国の身勝手な財政ルールの「弾力化」が、そのうち南欧諸国の財政弛緩へとつながり、ついには欧州経済を根本から揺さぶる2009年以降の債務危機へと発展していったのだった。
メルケル首相の「反省」
メルケル前首相は前節で見た過去の経緯への反省から、2009年の憲法改正による債務ブレーキ導入へと向かっていったと理解することもできる。
前節の【図表2】を見ると分かるように、2005年のメルケル政権発足直後は、ユーロ圏含めて世界経済がバブル的様相を強める中でドイツの財政収支も急改善を果たした。
ところが、世界金融危機が発生した2008年以降、銀行救済や景気刺激などの緊急対応を経て財政収支は再び悪化していく。欧州委員会も2009年、安定成長協定の例外規定を適用し、財政赤字が3%を超えても是正措置や制裁は実施しないとの決定を下した。
その後も、2009年10月にギリシャの財政赤字粉飾が発覚したのを機に、スペイン、イタリア、ポルトガルが次々と国際金融支援を仰ぐ債務危機へと発展し、そのたびに金融支援をドイツが繰り返し負担する事態が繰り返された。
メルケル政権が債務ブレーキを導入したのはそうした時代のことだ。
債務危機からの脱出を目指して南欧諸国への救済措置を野放図に繰り返すことへの危機感と、先に説明したように安定成長協定を蔑(ないがし)ろにして債務危機の遠因を生み出したことに対する自省が相まっての憲法改正だったのではないか。
メルケル前首相の気質まで考慮すれば、欧州の盟主として模範を示す考えもあったかもしれない。
そうした歴史の中で確立された厳格な財政規律は、メルケル政権からショルツ政権に移行した後も大きく変わらなかった。
それがここに来て防衛支出を軸とする拡張財政路線へと舵(かじ)を切らざるを得なくなったのは、第二次トランプ政権の誕生とともに変容したロシア・ウクライナ戦争への対応、エネルギー危機を背景とするドイツ経済の惨憺(さんたん)たる状況が重なったからに他ならない。
メルケル前首相がドイツ・欧州政治の表舞台から去って3年。強固さを維持してきたドイツの緊縮主義、財政規律が転換点を迎え、いよいよ「アフターメルケル」時代の到来と言っていいのではないか。
欧州委員会経済金融総局に勤務していた2007年からドイツの動向をウォッチしてきた筆者も、目が離せない歴史の転換点がやって来たと感じている。
※寄稿は個人的見解であり、所属組織とは無関係です。