第九十七話
「さて、随分と遅くなってしまったが、この辺で終わりとしよう」
「あ、あまりお役に立てなくてすみません。ぼ、ボクもフィリアさんみたいにもっと勉強していれば良かった」
「何を言っているんですか。退魔術の修行方法の理論と古代魔術の修行方法の理論の良いところを組み合わせて、安全に神の魔力を運用する練習方法を考えつくに至ったのです。アリスさんのおかげですよ」
一点に魔力を集中して破邪の力を爆発させる退魔術、自然界の魔力を体内に集めることを基本とした古代魔術。
これらの修得方法はそのまま、魔力の凝縮と増幅を同時にこなす神の魔力の運用に活かせそうだと、アリスさんの協力により判明したのです。
神の魔力の運用は魔力の一点集中が失敗しての暴発、もしくは魔力の増幅が失敗しての暴走による事故で命を失うという事例が多かったので、まずは片方ずつを完璧にこなせるようになり、徐々に小さな力から両方を同時に行うという練習をすれば極力失敗のリスクは無くなりそう、という結論に行き着きました。
先人たちは両方を同時にしようとまず訓練を開始していたみたいで、それが事故の多発の原因だと私たちは図書館の書物を読み漁り、断定したのでした。
「で、ではボクは失礼させて頂き――、あっ!?」
そのとき、グゥ~~!と大きな音が静かな図書館の一室で鳴り響き、アリスさんが咄嗟にお腹を押さえました。
みるみるうちに顔が赤くなるアリスさん。えっと、どうしましょうか。
何とお声がけすればいいのか……。
「おっと、すまないな。俺の腹の虫が失礼をした。おそらくレオナルドが食事の支度をしているはずだが、アリス殿も食べに来ないか?」
「え、え、えっ? お、オスヴァルト殿下。あ、あのう。ボクは……」
「私もお腹が空きました。アリスさん、是非ともいらしてください」
「え、あっ、はい」
こうしてアリスさんを引き連れて私たちは屋敷へと戻りました。
そういえば、彼女と一緒に食事をするのは初めてでしたね。聖女国際会議が何事もなく終われば、もっと皆さんと交流が出来ていたかもしれませんが、慌ただしく終わってしまいましたので。
◆
「こ、こ、これは一体」
「お、おい。レオナルド、これってもしや」
「レオナルドさん、これを調理するおつもりですか?」
屋敷に戻ると、庭に大きな板が敷いてあり、その上にドンと見覚えがあり、見応えがあったお肉が置いてありました。
間違いありません。あのお肉はこの国に来たときに見たアレです。
「お帰りなさいませ、フィリア様、殿下。そして、あなたは確かアリス様でしたな。私はフィリア様に仕える執事。レオナルドと申します」
「は、はい。れ、レオナルドさん。アリス・イースフィルです。よろしくお願いします」
きれいなお辞儀をするレオナルドさんに、アリスさんは緊張した面持ちで自己紹介をされました。
「で、レオナルド。あれはなんだ?」
「おっと、気付かれましたかな?」
「この屋敷に入れば、まず誰しもがあれを指さす」
殿下は板の上に鎮座しているお肉の塊を指さして、一応何なのか尋ねたみたいです。
レオナルドさんは誇らしげな表情をされて、不敵な笑みを浮かべていました。
「実は私はダルバート料理を勉強していましてな。王都に買い物に行ったところ。最高級食材が見つかりましたので、つい購入してしまいました」
「最高級食材ねぇ」
「これぞ、ダルバート王国名物“ドラゴン”の胸部です! まるごと買いたかったのですが、それは自重しました」
「当たり前だ」
レオナルドさんが料理好きでも、まさかこんなに早くチャレンジされるとは。
この国に来てすぐに解体ショーを拝見したので見覚えがありましたが、なんと彼は“ドラゴン”の胸部のお肉を購入されたようです。
胸部だけでも大きいですね……。牛一頭分に近い大きさではないですか。
「沢山作りますゆえ、ご近所様にもお裾分けしますぞ」
「そ、それで無くなる量ですか? だ、ダルバート人のボクでもお店以外で胸部まるごと買い取っている方を見たことありません」
「いざとなったらフィリア様に食べていただきます」
「レオナルドさん!?」
体内にエネルギーを貯めて燃焼させ魔力に変換する技術を体得するために沢山食べる修練をしたことがありますから、数十人前を平らげることは可能です。
ですが、オスヴァルト殿下やアリスさんの前でそんなはしたないこと出来ません。
「フィリア殿にそんな負担はかけられん。俺が食べられるだけ、食べてみせるさ」
「そんな、殿下。殿下にだけそんなことはさせません。私も食べます」
「おいおい、フィリア殿。無理しなくてもいい。これでも俺は結構な大食漢なんだぞ」
「そういう問題の量ではありません。ここは私にお任せください」
「エルザさんがお似合いの二人って言っていたけどこういうことだったんだ」
何だか変なことでオスヴァルト殿下と言い争いみたくなってしまいましたが、アリスさんは何だかほっこりした顔でこちらを見ていました。
「レオナルドさ~ん。少し先の酒場が“ドラゴン”のお肉貰ってくれるって言ってくれました~」
「東のレストランも高級食材をタダでもらえるのは助かると喜んでおりました」
「リーナさん! ヒマリさん!」
どうやら、“ドラゴン”のお肉を見て暴走してしまったレオナルドさんを見兼ねたリーナさんとヒマリさんが近くの飲食店にお裾分け出来ないかと交渉に行ってくれたみたいです。
「ふむ。作る量が減ってしまったのは些か残念ですが、調理を開始しましょう。この独特の匂いをどう活かすか、今はそれが楽しみでなりませんな」
「はいはい。期待してるから、早く始めてくれ。俺たち、空腹なんだ」
「お任せあれ。独自に開発した数十種類のスパイスを組み合わせた、レオナルドスペシャル。この万能スパイスで香りの楽園に連れて行って差し上げましょう!」
上機嫌そうに“ドラゴン”のお肉とともに厨房へと向かうレオナルドさん。
彼は優秀でこれ以上ないほど素晴らしい執事ですが、料理のこととなると暴走することも有るのです。
私やリーナさんたちは慣れていますが、アリスさんはレオナルドさんのことを知らないので呆気に取られて後姿を見送っていました。
リーナさんの淹れてくれたハーブティーを頂きながら、しばらくの間食事が出来上がるのを私たちは待ちます。
アリスさんはすぐにリーナさんとヒマリさんと打ち解けて和やかな時間が過ぎ去りました。
「お待たせしました! ダルバート名物! “ドラゴン”の肉料理が出来ましたよ!」
レオナルドさんがそんな私たちに声をかけて、食卓に皆さんが集まります。
結局、アリスさんを随分と待たせてしまって申し訳ないです。
「いい匂いがします。ぼ、ボク、昔から“ドラゴン”のお肉料理が好きでしたから、楽しみです」
しかし、アリスさんは笑顔を見せて本当に楽しそうにしていらしたので、レオナルドさんが“ドラゴン”のお肉を購入されたことは間違いではないということになりました。
「お、美味しい。美味しいですよ、レオナルドさん」
「フィリア様のお口に合いましたか。それだけでこのレオナルド。至上の幸福でございます」
ドラゴンのお肉は臭いがとにかく強い。野性味と言いますか、血なまぐさいと言いますか、食べなくても口の中に錆の味が広がりそうな臭いでした。
調理前に大量の氷とともに屋敷の外で保存していたのはそういった理由からです。大きすぎるという点もありましたが。
レオナルドさんは巧みな計算で香辛料をプラスすることによりこの臭みを芳醇な旨味を演出する香りに変化させるという荒業をやってのけたのです。
「す、すごいです。ぼ、ボク、家でこんなに美味しいダルバート料理食べたことありません。レオナルドさん、本当に執事なんですか?」
「ほっほっほ、料理は趣味でございます。このレオナルドはフィリア様に仕える執事。ゲストをもてなす義務がありますから。こうしてアリス様に喜んでいただき光栄の極みと申せましょう」
アリスさんもレオナルドさんの料理を絶賛して、私たちはしばらく食事の時間を楽しみました。
「ヒマリさん、先日のパルナコルタでの調査に加えて、こちらの国に来ても調査を続行してもらいましたが。首尾はいかがですか?」
「はい。長らくお待ちいただきかたじけない。フィリア様のご要望に添える準備がようやく終わりましたゆえ。……しかし、ここでお話してもよろしいのでしょうか?」
パルナコルタにいたときからヒマリさんにはある調べものをしてもらっていました。
そうですね。どうしましょうか。ここに来て内緒話にするのもどうかと思いますし。
「ヒマリさん、せっかくですから皆さまにも聞いてもらいましょう。私たちがどうして、こちらの国に来ることになったかの答えですから。オスヴァルト殿下はもちろん、リーナさんやヒマリさん、そしてアリスさんにも関係がある話です」
「御意」
私は調査結果の全てをこの食卓で語ってもらうことにしました。
ここにいる全員が当事者なので、知っておいてもらうべきだと思ったからです。
私たちの顔を見て皆さまが緊張した面持ちにと表情が変化しました。
「で、ヒマリは調査って何を調べたんだ?」
オスヴァルト殿下は早速ヒマリさんに質問をされます。
パルナコルタからこちらに来るのをギリギリまで遅らせた理由。それがヘンリー大司教の動機に繋がる手懸りを探すことでした。
そして、ヒマリさんはある情報を入手して、その後もこちらに来て追加情報を探っていたのです。
「私は先代聖女エリザベス様の遺体の場所を探っておりました」
「「――っ!?」」
その一言で皆さまの手が止まり、一斉に彼女の顔に視線が集まりました。
この話は非常にデリケートな話です。我ながら嫌なことに首を突っ込んでしまったとも思っています。
パルナコルタ王国の先代聖女エリザベスさん。ライハルト殿下の婚約者だった方でグレイスさんたちの従姉妹、そしてヘンリー大司教の妹です。
今回の一件は彼女に深く関わるお話なのです。
「ヒマリさ~ん、お食事中にする話じゃありませ~ん」
「すみません、リーナさん。食べ終わってから、に致します?」
「いや、それを聞いてしまったら気になって食事どころじゃなくなったよ。ヒマリ、続けてくれ」
リーナさんのごもっともすぎる指摘に私は話をするのを後にしようかと思案しましたが、オスヴァルト殿下はヒマリさんに話を続けるように促しました。
リーナさん自身もそれに納得して首を縦に振ります。
「だが、エリザベス殿の遺体とはどういうことだ? 俺たちは彼女の墓参りをしている。わざわざ調べなくても明白にどこにあるのかは分かっているはずだが」
「あの墓には何もありませぬ。空っぽです」
「「――っ!?」」
「な、何だと!? そ、そんなはず……!」
やはり一番驚かれたのはオスヴァルト殿下でしたか。
兄の婚約者だった方のお墓が空っぽだと聞いて驚かぬはずがないとは思っていました。
他の方々もエリザベスさんを知らぬアリスさん以外は驚いておられます。
「お、俺は兄上からそんなことは聞いていないぞ。ヒマリ、何かの間違いではないのか!?」
「殿下が知らぬのも無理もなからぬことです。このことは陛下すらご存じなく、ライハルト殿下とごく一部の人間しか知らぬ事実ゆえ」
オスヴァルト殿下の言葉にも淡々とした返事をするヒマリさん。
この事実は国の中でもトップシークレットとして扱われており、ヒマリさんも知るにはかなりの苦労をしたとのことです。
「ちょっと待ってくれ。仮にそんな事実があったとして。どうして、フィリア殿がそれに疑いを持ったんだ? エリザベス殿が亡くなったとき、彼女はわが国にすらいなかったんだぞ」
殿下の疑問は至極当然です。私がそれに気付くなど、想像しにくいことだと思います。
実は私は初めてあの地を訪れたときから違和感を覚えていたのです。あの頃は故郷に色々とあって、考えることを忘れてしまいましたが、今回の一件でそれを思い出しました。
「実は魔力の大きな者を埋葬すると周りと比べて植物が著しく成長するケースが多いのですが、彼女のお墓にはその痕跡が見当たりませんでした。聖女だった彼女のお墓なのに珍しいケースだな、とは思っていたのです」
「な、なんと、そんなことが……」
「そもそも魔力が大きい人間が稀有ですし、それを知っている人も少ない。それに例外がないわけではないので、誰も気付かなかったのは仕方ないことだと思います」
例外がある。その一言で私は違和感に対して結論づけました。
まさか、第一王子であるライハルト殿下が遺体のないお墓に来られるはずがないと思っていましたし、そんなことをする人間がいるなどと思いもしませんでしたから。
「今回の一件でまず私はヘンリー大司教のことを調べました」
「ふむ……」
「ヨルン司教にお願いしてヘンリーとライハルトの言い争いの内容を教えてもらったのです」
「な、何だと? 俺も何やら言い争いをしていたのは知っていたが、内容については全く知らない」
「ヘンリー大司教は妹のエリザベスさんの遺体をダルバートに連れて行きたいとライハルト殿下に要求をされていたとのことです」
大事な存在である妹の遺体をダルバート王国に連れて行きたいとするヘンリー大司教、かたや大切な婚約者の遺体は渡せないとするライハルト殿下。
二人の話し合いは平行線を辿っていました。ヘンリー大司教が絶対に折れないと主張していたとヨルン司教は言っていたとのことです。
「ヨルン司教はそこでライハルト殿下がそれを拒否したと話していましたが、どうしても気になりましたので、ヘンリー大司教の情報を集めてもらっていたヒマリさんにその辺りの事情も探って頂きました」
「あの兄上がそんなことを許可したのか……。信じられん」
「ヘンリー大司教はエリザベス様の死の原因はライハルト殿下だとかなり強めに言われて罪悪感を植え付けられた、という事情も聞いておりまする」
ヘンリー大司教はそもそもエリザベスさんが聖女として活動することを止めさせるように婚約者であるライハルト殿下に懇願していたらしいのです。
しかし、ライハルト殿下はエリザベスさんの国のために奉仕したいという精神を尊重しました。
エリザベスさんはパルナコルタ王国を心から愛しており、生涯を聖女として国に捧げたいと願っていましたから。この頃は兄であるヘンリー大司教とはかなり喧嘩もしていたみたいです。
そんな事情があったことをヒマリさんがさらに付け加えるとオスヴァルト殿下は腕を組んで頷きました。
「ふむ。エリザベス殿が兄上に聖女としての生き様を最期まで示したいと願っていたのは知っていた。強い女性だと思ったものだよ」
「エリザベス様が亡くなったとき、ヘンリー大司教の怒りの矛先はライハルト殿下、そしてパルナコルタ王国に向かいました。それ故にヘンリー大司教はエリザベス様と共に国を出たかった」
すべての怒りは最愛の妹を奪った彼女の婚約者とパルナコルタという国に向かい、ヘンリー大司教は妹をそれから引き離したいと考えるようになりました。
彼女を失った悲しみが彼を怒りに取り憑かれた鬼へと変えたのです。
「す、すると、まさか。ヘンリー大司教の目的っていうのは」
「私はパルナコルタ王国への復讐なのではないかと考えております。彼はずっとエリザベスさんの後釜に収まった私へ敵意を隠していませんでしたから」
「そんな、ヘンリー大司教が復讐に取り憑かれて国に、そしてフィリアさんに、そんなこと」
オスヴァルト殿下だけでなく、アリスさんも信じられないという表情をされます。
大司教という存在は教皇に継ぐ位の高さにあります。
ヘンリー大司教はそこに至るまで厳しい修行を積んで、人間性もそれに相応しいと認められていますから、クラムー教に深く関わる人間ほど驚く話かもしれません。
「おそらくですが、自分という聖女をパルナコルタから奪うことで復讐を成そうとしているのではないでしょうか?」
「そ、それだけのために遺言を書き換えたのか!? あり得ない!」
声を荒げて、テーブルを叩くオスヴァルト殿下に皆さまビクッと肩を揺らします。
やはり混乱が大きくなりましたか。もう少しゆっくりと情報共有すべきだったかもしれませんね。
「殿下、まだ推測の段階ですから落ち着いてください」
「す、すまないな。だが、兄上だってエリザベス殿のことは気に病んでいたのだ。見ていられないって程にな。それに彼女をずっと支えていた……。それなのにっ!」
顔を歪めて、俯くオスヴァルト殿下の無念は計り知れませんでした。
悔しそうな殿下を励ます言葉は浮かびませんが、私は自分のすべきことを認識しています。
「とにかく私が教皇様の魂に語りかけて、真実を暴きます」
冥府の神ハーデスが使ったという死者の魂と会話をする魔法。それさえ、修得すれば真実に限りなく近付けるのですから。
それがオスヴァルト殿下の無念な気持ちに報いる最善手です。