第三十話
お昼にもう一回更新します。
「フィリア様……、フィリア様……、あの〜〜、フィリア様ぁ!」
「……り、リーナさん? いつからそこに居ました?」
「ええーっと、三十分くらい前……ですかね」
古代語の書物を隅々まで目を通していましたら、いつの間にか日が落ちて……リーナが背後から声をかけていました。
悪い癖です。集中すると周りが見えなくなる――。
特に研究のために書物を読んでいるときはダメです。時間が経つのも忘れて日を跨いだことも何回もありました……。
「今日のディナーはグレイス様のところのアーノルドさんがレオナルドさんと料理対決をするみたいですよ」
「りょ、料理対決……ですか? お料理で戦うとはどういうことですか?」
「あ、はい。ですから、アーノルドさんとレオナルドさんがどちらが美味しい料理を作るか……という勝負です」
な、なるほど。いや、わかりません。どちらが上手に料理を作るのか優劣をつける意味が……。
お二人とも料理店のシェフでもないですし……。
「余興というか、お楽しみというか……とにかくフィリア様が元気が無さそうでしたので……元気になってもらおうと」
「は、はぁ……。こちらの方はそういうこと好きなんですね」
私はリーナに促されるまま、食卓へと向かいました。
いい匂いがします。食欲を引き立てるような素敵な香りが……。
そして、仁王立ちしているのは、調理服に帽子を被ったレオナルドとアーノルド。グレイスはすでに席についています。
「アーノルドの料理はボルメルンの一流料理店のシェフにも匹敵する腕前ですわ。レオナルドさんには申し訳ありませんが、勝負は見えていますの」
「そうなのですか? レオナルドさんもかなりの腕前だと思いますが……」
楽しそうにアーノルドの料理の腕を語るグレイス。彼女はこの余興を楽しんでいるみたいです。
「レオナルドさん。まずは私のサーブからでもよろしいでしょうか?」
「構いませんぞ。アーノルド殿の料理……見せて貰いましょう」
まずはアーノルドの料理の試食からのようですね……。
どんな品なのでしょう……。こ、これは、確か……。
「白レバーのボルメルン風マリネです。買い出しに行ったときに希少な部位が手に入ってラッキーでした。お口に合うと良いのですが」
やはり白レバーでしたか……。鶏の脂肪肝で特に肉質に脂肪分が多いものだったはず。
食べたことはありませんが、本で読んだことはあります。どんな味なのでしょうか……。
「――お、美味しいです。レバー特有の風味があるのに臭みは無くて……、それでいてむっちりとした食感が何とも言えない食べごたえを演出しています。とても上品な味付けですね」
「さ、さすがはフィリア様。お料理を召し上がられた時の寸評も理路整然とされていらっしゃいますわ。――この美味しさ……アーノルドの勝ちですわね」
グレイスは胸を張ってアーノルドの勝利を宣言されました。
実際、彼の料理がプロ級の腕というのは間違いありません。王宮のパーティーに出されているメニューと遜色ない出来でしたから……。
「グレイス様、アーノルド殿の勝利を確信するのは、このレオナルドの料理をご覧になってからにしてもらいましょうぞ」
いつにも増して気合十分なレオナルドが皿を私たちの前に出しました。
「パルナコルタ近海で捕れた、鮭のミ・キュイにリエットを添えました。さぁ、召し上がってください!」
ミ・キュイとは半生に調理された品で繊細な火加減が要求される難しい品だったはずです。
そして、リエットはパテのようにペースト状にしたメニュー。この2つを上手く融合させているということですか……。
「このミ・キュイの独特の食感は火入れ加減が絶妙だからこそ楽しめるということですね。リエットも鮭の美味しさを存分に引き出して、料理の味を一段階上に引き上げています」
「な、なかなかおやりになりますわね。レオナルドさんも……」
見事な調理をされたレオナルドの品をグレイスは召し上がり、顔を緩ませて彼に賛辞の言葉を贈ります。
しかし、困りました。何とリーナはお二人の料理の優劣を私に付けてほしいと仰るのです。
こういったことは経験がないので……どうやって決めれば良いのか分からないのですが……。
「フィリア様……、あのう、フィリア様?」
「……はい。ご、ごめんなさい。どちらが美味しいのか、そのう……。まだ、決めることが出来なくて……」
真剣に考えて、考えて、考え抜いてもアーノルドとレオナルドの料理の勝ち負けを判断することが出来ずに私は参ってしまっています。
こんな難しい命題は初めてかもしれません。模範解答があれば見てみたいです。
「でしたら、引き分けで良いのではないですか? わたくしなら、そう申し上げますけど」
「ひ、引き分けですか? でも、勝負とは優劣をつけることでは……?」
「もちろん試験などではそうですけど、これは余興ですし。フィリア様が楽しむことが目的ですから。曖昧だからこそ良いこともありますわ」
曖昧だからこそ、良い? 今まで考えたことも無かったです。
一つの命題に取り組むとき、私は必ず正しい答えを見出そうと努力します。それが善だと思っていましたから――。
答えを出さなくても良い問題もあるというグレイスの意見は私にはとても新しく思えたのです。絶対に正しい答えなどない命題もある――そんな当たり前のことに私は気付いていませんでした……。
アーノルドとレオナルドの料理勝負は引き分けに終わり、食事を終えた私たちはリーナの淹れた紅茶を飲みます。
「ところで、フィリア様はお料理をなさったりするのですか?」
グレイスは私の料理の腕前について言及されました。
わ、私の調理技術……ですか。そ、それは――。
「お、お恥ずかしいですが……、わ、私、料理だけは……そのう、何故かいつも失敗してしまうのです。基本的に黒焦げの物体が出来てしまって……」
私は料理が下手です。レシピを見て、そのとおりに作ったはずのモノがとんでもない味になったりします。
「い、意外ですわ。フィリア様って何でも出来る方だと思っていました……」
「でも、何か安心しますよね。フィリア様も完璧じゃないって、逆に親しみやすいというか……」
グレイスとリーナは何故か嬉しそうに私の料理下手の話を聞いていました。
こうして、リフレッシュした私は古代語の書物の研究作業に戻り……ついに発見したのです。ジルトニア王国を……、ミアを助ける方法を……。
可能かどうか分かりませんが……一筋の希望の光が見つかりました――。